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自分で自分の気持ちが分からないのはどう言う事でしょうか?

ある漫画でも「自分が自分の事を一番分からないのは心(気持ち)である」と言うのを見かけた事があります。 これは一体どうしてなのでしょうか? そう言う自分も今こう言う事が起こっているのですが。 将来就きたい職業が英語の翻訳家か経理の事務(事務職)か、あるキャラクターやある芸能人に対して本当に想っているか、です。 前者は関係しないでしょうが、後者は今回の事と関係していますよね。 ご存知の方、こう言う風に自分は解釈している方、教えて下さい。 お願いします。

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  • hakobulu
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回答No.3

私達が生きるということは、瞬間的な選択の積み重ねという見方もできると思います。 今日のお昼はそばにしようか、スパゲッティーにしようかと迷ったら、 早めにどちらかを選択しなければ昼休みが終ってしまう。 (うどんの方がいい、とかいう突っ込みは無し) しかし、ある人を好きかどうかは、すぐに結論を出さなくても差し支えない問題、 つまり選択を先延ばしにできる(または選択しなくてもよい)事柄です。 人は何かを選択しながら生きていると言いましたが、 選択の対象にならないものも、たくさんあります。 必要なものが、自動的に選択されているだけですが、 ある瞬間に「好き」と選択されたものが、しばらくすると、 「嫌い」という選択肢にとってかわることもあります。 一度選択されても、永久に選択され続けるわけではありません。 人の選択は可変性のもので、常に対極の選択が可能ということでしょうし、 その攻めぎ合いが瞬間的に発生すると、「自分で自分の気持ちがわからない」 という感覚になるのだと思います。 このような場合、人はよく 「どちらも選択しない、という選択」 をして、当座をやり過ごしているように感じます。 本当に必要なことは否応無く、選択を迫られます。 この選択に責任を持つというのが、 大人の処方ということになるのでしょう。

noname#13550
質問者

お礼

ご回答有難う御座います。 分かり易い例も挙げて下さったのでとても理解し易いです。 なるほど!そう言う考え方も出来るのですね。 人間と言うのは案外複雑なのですね。 大変参考になりました。 どうも有り難う御座いました。

その他の回答 (3)

回答No.4

もしあなたがタイムマシーンに乗って原始時代まで行くことが出来れば・・。 そこではきっと、自分の欲求や感情を自然に認識して理解して、そして発信して、「自分に素直に(自分を尊重して)」生きることができるんぢゃないかな・・。 今の日本は「和」を重んじ、言いたいことをはっきり言わないことを美徳とする風潮がまだまだ強く、知らず知らずのうちに、自分の欲求や感情をシカトしてしまう機会が増えてる気がするねえ。 しかも、世の中便利だし、「人の目」を気にするヒマがあるから余計「本当の自分」が抑圧されてしまうんだろうね。 中には過去のトラウマで心を閉ざし心を鈍磨させてしまってあまり何も感じないで生きていた方がラクだという人もいるけど。 No2. No3.の方がおっしゃるように人の心は意識できる部分が1割、無意識のところに9割もあるらしい。 限りなく愛されて尊重されて育った人は、割と「自分を尊重して生きる」という習癖がついているのですが、中には「自分の欲求や感情はなるべくシカトする」という悪癖がついている人もいるようです。それが続くと精神疾患になったり犯罪につながったりすると思うんですけどね。

noname#13550
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 う~ん、なるほど! 確かにそうですよね。 最後の文章は今の時代の人には特に言えている事ですよね。 参考になりました。 どうもありがとうございました。

  • maria1956
  • ベストアンサー率36% (109/297)
回答No.2

心とは、自意識、超意識、無意識の3つが複雑に絡み合って形成されたものとされます。 自意識のみが意識してコントロールできるもので、後の超意識、無意識は普段、覚醒時には意識化には上ってこず、押さえ込まれたもので、その抑圧が身体の病気まで引き起こすこともあれば、睡眠時夢として形を変えて意識の表面に上がってくることもある。 人間は、自分で心をコントロールしているつもりでも心の深層部分までは、本当のところ自分で自分の像を理解していると思い込んでいるに過ぎないのではないでしょうか? #1の方が書いている遺伝子のこと。 人間には、不思議な力がある。それは、過去の神話の世界の話をそれまで一つも聞いたことがない(自意識の覚醒時では)にもかかわらず、その人の夢の中、或いは退行睡眠時に神話の世界の物語と奇妙に一致する話を語りだす人がいる。 それは、遺伝子の刷り込みのなせる業ではないか?というような話を精神世界の本か何かで読んだ記憶があります。とこれは心の回答とはずれている話ではありますが。

noname#13550
質問者

お礼

回答有難う御座います。 参考にさせて頂きます。

回答No.1

いろいろな考え方ができると思いますが、まず自分というものが考えているほどに安定しているものではないということがあると思います。自分のことを考えても、一応同一の名前で生まれてから首尾一貫して生きてきたということになっていますが肉体はともかく心のほうは結構支離滅裂で来たように思います。それから今流行の遺伝子という言葉で言えば、それこそ過去どのくらいの人の遺伝子が混じり合って自分というものが作られているか想像もできません。つまり自分が本当にやってみたいことといっても、いわば多くの数の他人が用意したものの中から選ぶということになりますから、なかなかぴったりしたものが見つからないということも多いのではないでしょうか。このことは自分のなかに眠っている可能性がまだあるということにもなるのでしょうが、そう簡単に行かないのはかなり本質的なことなのではないでしょうか。

noname#13550
質問者

お礼

回答有難う御座います。 参考にさせて頂きます。

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