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やる気について

高校1年生です。 この前、先生に「やる気のある君は素晴らしい」みたいなコメントをもらったのですが、私は自分を「やる気」があるとは思わないのです。 与えられた事は期待以上の結果を出すのは、私の中では常識になっていますし、好きなことや興味のあることにはイロイロ手をだしたりしていますが、好きだからやるのであって「やる気」とは違う気がするのです。 結果が伴わなければ、やらないっていうほどでもないのですが、「やる気がある人間」にならなければいけないわけがわかりません。 考えるんですが、そもそも勉強やその他のことについて「やる気」なんて必要なのでしょうか。 徒然とまとまりの無い文章ですが、解答お願いします。

みんなの回答

回答No.5

はあ。優秀な子ですね。徒然なんて言葉はそうはでてきません。やる気がなくても期待以上の結果を出せるのも普通ではできません。一般人はやる気を奮い立たせないと出来ないことが多いのです。 さて、その能力を何に使うか。衆生を救うことに使ってください。

  • mamaty
  • ベストアンサー率29% (90/310)
回答No.4

「やる気」と一言で言っても各個人の価値観によって大分差があるものだと思います。 あなたからみれば、「この程度誰でも常識でしょ?」と感じることであっても、すべての人がそう感じるとは限らないのです。 例えば、私から見ますと >与えられた事は期待以上の結果を出す →相手が満足できるだけの結果を「出す気」がある、すなわちやる気がある。 >好きなことや興味のあることにはイロイロ手をだしたりしています →色々な事に興味を持って「やってみる気」がある、つまりやる気がある。 と感じました。 やる気というモノは、別に漫画のように目をキラキラさせて俺はやるぜ!みたいな熱いもの(笑)とは限らないと思います。 なんでも興味を持つ、それがやる気(の第一歩)だと私は思うのです。 TVで話題になった本をちょっと読んでみる。 噂で聞いたことを本当かどうか確かめてみる。 あれ?なんだっけ?これ知らないなという事をとりあえず調べてみる。 何でも「やる気」に突き動かされているのかもしれません。 それはあなたにとっては誰でもそうでしょ、常識の範疇とお感じになっているようですが。 本当にやる気のない人間をあなたはご存知ですか? 本当にやらねばならないことまで何もしませんよ。 そういった人間も実在しますから、比べるのは失礼ですけど、あなたは充分やる気のある人間と、他人からは映るのではないでしょうか? そもそも、なんにでも「やる気」がなければ、やりません。 勉強を含め、色々な事を知りたいといった、知識欲や、やってみたいと検討する事、全て「やる気」がなきゃ最初から興味すら持たないでしょうね。 色々な事に興味を持ち、前向きに検討し、自分で考え実行する行為(あなたが普段やっている事)はやる気のある行為だと思います。 「やる気のある人間にならなければいけない」ではなく、「普通の人間はやる気がある」といった方がわかりやすいかもしれませんね。ちょっと語弊がありますけど☆  ひょっとしたら「普通の人はやる気がない」ということも有り得るか…とすると「やる気のある人間のほうがいい」になる? やる気は大切です。何事もやる気を持って仕事した場合、たとえ失敗してもプラスになりますから(次はどう知れば失敗しないか考える) あなたが持つ責任感、きっと嫌いなことでもソツなくこなすそうとすること自体素晴らしいのでは? もう少し前向きに、のめり込める事に出会えるといいですね。 ノリノリでやる気全開で何かをするのって、とっても楽しいですよ~。それがくだらない事でも。多分やる気を出している時って、何か変な脳内物質が出ていて、いつも以上に自分の潜在能力を引き出せるんじゃないかな?という事も含めた上で、必要なことなのではないかと思います。 徒然どころか長々ダラダラまとまりのない文章で御免なさい。お気に触る所多々あるかと思いますが、こういう考え方もあると少しは参考になれば幸いです。

  • chironero
  • ベストアンサー率11% (23/200)
回答No.3

 先生が「やる気のある君は素晴らしい」と仰ったのは、もしかして、貴方に「やる気を」起こして欲しかったのではないでしょうか。  貴方が、今、学んでいる事は、貴方がこれから生きて行くのに必要な事を、しっかり身に付ける為です。  「やる気」は、他人の為では無く、貴方自身の為なのです。でないと生き残れないんですよ。  私は、貴方にいわゆる、ニートと言われる様な道を選んで欲しくありません。自分自身はもとより、これから創り上げて行くだろう(家庭)家族を守って行くに足る力を、今から付けておく事です。そしてそれを「やる気」の源にしては如何ですか。  

  • Riccota
  • ベストアンサー率46% (116/248)
回答No.2

私も似たように感じることがあります。もう40歳だというのに、周囲の評価と自分の価値基準のギャップに「あれ?」と思うことがしばしば。いい加減に「ギャップがあること」が当然なんだということに慣れないといけないと思いながら。 「やる気」の定義づけは人によって異なると思いますが、motivationと解釈すれば、物事をする際にMotivationを持ち、そして持ち続けること、また目的遂行のために、グループ内の人に持たせ続けることは、非常に重要なことだと思います。生徒に学習意欲を持たせることのなんと難しいことか。つい、先生も「すばらしい」と言っちゃったんだと思いますよ。 Motivationは必須ですが、別に「やる気のある人間になる必要性」はないと思います。興味のあることには自然と沸いてきますしね。 興味のないことを成し遂げなくてはならないことに直面したときに、どうやって自分(や他人)の興味を引き出すか=Motivationをあげるか、やってみてはどうでしょうか。これはこれで面白いものです。 私は教えるときも仕事をするときも、相手のMotivationを最大限引き出す努力をします。興味を持たせたり、やりがいを自覚させたり、報酬(ご褒美や賞賛)を次のステップに進む前に与えたり(等価交換としてですよ)。自分自身も客観的にどう心理操作すれば興味のないものに対して興味を持てるのか、試行錯誤しています。 でも、「やる気のない」人生を悟りきって、南の島でぽーっと暮らすのもいいですねぇ。活字中毒なので読書への「やる気(読む気?)」だけは捨てられないかもしれませんが。Minmi7さんの「やる気のない」人生ってどんなイメージですか?

  • xeno-rd
  • ベストアンサー率22% (28/123)
回答No.1

「やる気」や「努力」などというのは周囲が判断することだと私は思います。 「やる気がある」と公言したからといって結果が伴うわけではありませんし、その逆もまた然りです。 自分のやりたいこと、好きなことを追求している人に対して、我々は「やる気がある」という風に表現しているのではないでしょうか。 質問者様はそれを「常識」という言葉で表現しているだけにすぎないと思います。

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