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敵は本能寺にありって誰が

'敵は本能寺にあり!'って言葉は誰が話したんですか。 明知光秀が本能寺への奇襲の前で話すって人もいますが、羽柴秀吉が織田信長の殺害を分かる時で話すって人もいますから どちらが事実かなんか確かに知ってません。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.6

後に書かれた「明智軍記」だと聞いたことがありますが、これは史料としての信憑性はともかく、吉川英治の小説で参考として使われたりで結果、現代の明智像がつくられたらしいです。

ressise
質問者

お礼

十分な答えですね。 本当本当にありがとう

その他の回答 (5)

回答No.5

 江戸時代の頼山陽という漢詩人が『日本楽府』という詩集のなかで光秀の本能寺討ちを詠んだときに創作した詩句で、当時流行作家・歴史家だった山陽の名声のせいで(まあ今の司馬遼太郎みたいなものだと思っていただければ)有名になったものです(山陽が書いたのは「詩吟」ではなくて漢詩です。そもそも当時はまだ詩吟自体確立していない)。  正確を期すれば、「山陽のイメージ(詩人的想像)のなかで、光秀が言った言葉」で、実際に光秀がそういった可能性はきわめて低いのですけれども。

ressise
質問者

お礼

今日は大切なことを学びます。 ありがとうございました。

noname#14601
noname#14601
回答No.4

日本人の常識として、これは明智光秀の言葉です。 出典が気になってネットで調べて見ましたが、「信長公記」には このセリフは記されていませんでした。 頼山陽作による詩吟「本能寺」には登場するようです。

参考URL:
http://www.marute.co.jp/~hiroaki/ginnei/honnouzi/honnnouzi.htm
ressise
質問者

お礼

ZAKUMさん いい答えほんとうに有難うでした

  • ZeroFight
  • ベストアンサー率15% (30/189)
回答No.3

〈羽柴秀吉が織田信長の殺害を分かる時で話す〉 意味不明の文章ですが、本能寺の変の黒幕は秀吉だったという、陰謀説のことでしょうか。 光秀の行動は謎が多く、最近は、朝廷黒幕説や、足利義昭黒幕説が、歴史家の間で、真面目に議論されているそうです。しかし、秀吉黒幕説は、朝廷や、足利義昭程の信憑性はないようです。現段階では、歴史小説家が、おもしろおかしくでっちあげた、珍説の一つにすぎないと思います。徳川家康黒幕説も、似たようなものでしょう。 もし、秀吉黒幕説が事実だったとしても、秀吉がそんな危険なことを口にするはずはありません。

ressise
質問者

お礼

ZeroFightさん 面白い答えでした。 この秀吉の言葉は私も少し知ります。 信長の殺害ニュースが秀吉の耳に入られたとき、 秀吉は明知が犯人だと思って"敵は本能寺にあり"と言ったんでした。 もちろん事実ではないですけと とにかく、ありがとうでした。

  • nrb
  • ベストアンサー率31% (2227/7020)
回答No.2

敵は本能寺にあり!'って言葉は誰が話したんですか。 通説では明智光秀ですが解説する必要はないですね でもあとで取って付けてかもしれません (あとで話をする時に付けた、忠臣蔵の劇ではでは尾ひれがついてますけどね) 結構歴史っていい加減で しょっちゅう定説が変わりますから 定かでは無いのは確かです 証拠が無いのでね たぶん、後に話を語るときに誰かがつけて それが、後々一般的と成り広まってと思います

ressise
質問者

お礼

nrbさん いい答えほんとうに有難うでした。

  • zorro
  • ベストアンサー率25% (12261/49027)
回答No.1

織  田信長の家臣であった明智光秀が、備中の毛利を攻めることを命じられて出陣したとき、  突然進路を変え、「我が敵は本能寺にあり」と言って、信長のいる本能寺に攻め入った故  事による。」

参考URL:
http://www.aaagroup.org/k_detail/teki.htm
ressise
質問者

お礼

今日は大切なことを学びます。 ありがとうございました。

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