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100%いじめられる方は悪くない?

noname#12813の回答

noname#12813
noname#12813
回答No.27

ケースにもよりますが、私は「どっちも悪い」の考え方です。 いじめをする方が確かに悪いです。絶対に悪いです。 ただ、いじめられる方が悪くないと言ってしまうと、 いじめの問題はなくならないと思います。 私は心理カウンセラーをしていました。 心の病気も似たような部分があるのですが、被害者意識が強くなるとそれが自己正当化につながり、まったく改善しなくなるのです。 心を病む人も、いじめられる人も、もともとの原因はその人にあるのです。 (人種差別など本人に責任のないことに対するいじめについては除外します) 例えば、不潔にしているとか目つきが悪いとか性格が暗いとか。 それがいい悪いは別の問題です。 社会で生きていく以上、他人を不快にさせる言動は改善するように努力すべきであって、その努力を怠ったならいじめという仕打ちを受けても、本人に非がないとはいえないと思います。 だからいじめをしていい、という意味ではありません。 いじめを正当化するわけではありません。 努力しろといっても簡単なことではないですし、いじめという仕打ちが理不尽な場合もありますが、皆そうやって社会に適応しようとしているのです。 ずいぶん前に、いじめを苦に中学生の女の子が自殺した事件がありました。 記事をよく読むと、遺書には「××さんに無視された、ひどいことを言われた、死んでやる」ということが書かれていました。 これに対して教育委員会が早急に対策を、などと言ってましたが、私は正直、ばかばかしいと思いました。 無視されたとかひどいことを言われたとかいうことで死ぬのだったら、死ぬほうが人間として弱いと言われても仕方ないでしょう。 どれほどひどいことを言われたかはわかりませんが、自殺したから「ひどいいじめ」だったとは限らないのです。 どんな過酷ないじめを受けても克服するべく努力している人もいっぱいいるのです。 >いじめられる方にも非があるとお書きの方はその旨をいじめられている生徒、保護者に伝え、適切な指導を行うべきかどうかもお願いします。 心理カウンセラーとしての私の経験ですが・・ 心を病む人の多くは、自分は悪くない、社会が悪いのだと思っているものです。 確かに過酷な精神状態で社会に適応していくのは難しく、社会の方からもっとフォローしてくれたら、自分の苦しみをもっと理解してくれたら、と思うものです。 けれどこの場合、病人の方が病んでいて社会の人は病んでいるわけではないのですから、病人の方が健康な人に合わせて行くほうが、病人の治癒にとっても効果的なのです。 いじめの場合は確かに、いじめる方もある意味病んでいるのですから、必ずしもいじめる方に合わせるということではないのですが、 ただいじめられる方が自分にある問題を改善しようとしないで、社会に甘えさせてもらおうとするならば、それはやはり間違っていると思います。 いじめられる側が改善しないことには、その人は大人になって社会に出ても同じ目に遭います。 ただいじめと一口にいっても、明らかにいじめる側が悪いケースもあると思いますし、このような質問に一言で結論を出すのは難しいですね。 ちなみに明らかにいじめる側が悪い場合は、いじめられる方の傷も浅いものであることを付け加えておきます。

kou_2005
質問者

お礼

改めて多くの回答をお寄せ頂いたことにお礼を申し上げます。 ポイントの発行についてです。 全ての意見を拝見した結果、私なりにまた新たな考えに辿りつけました。また問題の特性上どの意見が最も正しいということはないと考えます。 よってすみませんが今回ポイントの発行は見送らせて頂きます。 たくさんのご回答、本当にありがとうございました。

kou_2005
質問者

補足

たくさんのご回答を頂き、本当にありがとうございます。 回答が多岐に渡り、恐らくまとまった意見として表せなくなると思い、お礼を一まとめにさせて頂くことをお許し下さい。 ここまで読んで感じた事は、ご意見の中にもありましたが「いじめ」という言葉そのものに何らかの抑圧的な、絶対悪のようなイメージがある。よってその言葉の使用を止めて全てのケースを個別のトラブルとして捉える必要があるのではないか。と、いう事です。例えば不衛生な子が仲間はずれにされているのを見た場合。教師は「誰かがいじめをしている、止めさせなければ」と捉えるのではなく、トラブル内容、つまり仲間はずれの質もきちんと見る。無視をするなら人に声をかけられて答えない事の恥ずかしさを指導する。叩くなら意味無く人を叩くことの恐ろしさを指導する。そしてそれとは別に衛生を保つことの必要性を伝える。 これをトラブルではなく「いじめ」と捉えると「なんで仲間はずれにするんだ!」という一元的な指導になりがちである。また「いじめ」と捉える事により被害者意識もより強くなる。よって被害者側に改善指導を行うのはより困難になる。するといじめた側にはクラス替えまで汚くても我慢を強いる事になり、それは二次トラブルの原因となり得る。 つまり「いじめられる方」と捉えるのではなく、トラブルの当事者として捉える。弱者、強者の関係ではなく対等な関係として捉えるように指導する必要があるのではなかろうか?と感じます。 人種の違いなど自分に全く非のない場合のトラブルならばどうするか?当然一点だけを見て大局を捉えない愚かさを指導する。それは考えの狭さに起因する事であり、そのような適切な指導を怠った学校、家庭に問題は行き着くと思われます。 私も昔少しいじめにあった時代がありました。その時にいじめは駄目だから止めなさい。という指導がありました。しかし結局心のうちでは嫌われたままです。自分の悪いところも当時は分からずにいました。 結論として教育現場では 「いじめられる方は100%悪くない」と決めつけるべきではない。そもそも「いじめ」ではなく「トラブル」と捉えるべき。 当然トラブルなのだから両者共に調べ、原因究明は行う。 しかしそれが許される世の中なのかどうか。学校から変わり、社会を変えるだけの何かがなければ現実は厳しいのでしょう。それを支えるのはこれもご意見にありましたが、「尊厳ある教師の復活」「家庭との信頼関係」に行き着くのでしょう。けども、この問題をここで考え出すと膨大な量になりそうですので、ここでは学校現場では「いじめ」改め「トラブル」とするべきだ。という結論で終わらせて頂きます。

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