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戦国時代の戦について教えてください

rczdの回答

  • rczd
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回答No.10

ちょっと視点を変えて、鉄砲の具体的な用例を…。 「信長公記」首巻「村木の取出攻めらられしの事」より(新人物往来社版) 「信長堀端に御座候て、鉄炮にて、狭間三ツ御請取りの由仰せられ、鉄炮取りかへ取りかへ放させられ、上総介殿御下知なさるる間、我も我もと攻め上り、塀に取り付き、つき崩しつき崩し…」 今川義元、斉藤道三存命の頃の信長の活躍の場面です。今川方に占拠された村木砦を攻めるにあたり、一番の難所を受け持った信長は、配下に攻めさせる一方で、これらを援護するため、自ら鉄砲をとっかえひっかえ撃ちまくっています。 鉄砲を撃つにも慣れ、熟練が必要と思われますので、打った人が後ろに回り込み玉込めをするより、撃ち手は1人で補助役が玉込めをする方が理に叶っていると思います。

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