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陪臣
陪臣の筆頭は加賀八家の本多家(五万石)と言われますが、本当は長州藩の岩国吉川家(六万石)が陪臣としては一番表高が多いのではないでしょうか?
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- 6dou_rinne
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回答No.2
岩国吉川家は陪臣ではありません。 幕府から正式に大名としては認められていませんでしたが(関が原の時の因縁から毛利本家が認めさせなかった。)、待遇としては大名格で参勤交代もしていましたし、毛利家も陪臣としての扱いはしていませんでした。
noname#113260
回答No.1
吉川家は、徳川幕府からは独立した大名として扱われ、参勤交代もしていますが、毛利本家は独立を認めていないので、陪臣ともいえます。 ちょっと複雑な関係なので、独立した大名として扱い、陪臣とはしない意見もあるのでは。
質問者
お礼
御回答ありがとうございます。 確かに尾張徳川家の千村家・山村家の様に、幕府の交代寄合並の家格と尾張藩士の両側面も持つという幕藩両属の家もありますから、吉川氏も大名なのか陪臣なのか微妙なラインにあるとは思いますよね…。
お礼
御回答ありがとうございます。 おっしゃる事はよく分かります。確かに幕府には大名とする意思もありましたが、吉川家が大名となったのはあくまで幕末に朝廷から認められた時ですし、大名・旗本として直の御奉公をしていない以上、陪臣と呼ぶのは必ずしも間違ってはないのではないでしょうか? それぞれに対する幕府からの呼び方は、毛利家に対しては「その方の家来吉川…」、吉川家に対しては「その方の本家松平大膳太夫…」と使い分けていたらしいですし… 従五位下に叙任されてない点(これについては御三家附家老や加賀八家より扱いが劣っていますよね)、伺候席がない点、あくまで防長二国は支藩領も含めて一円に毛利本家に領地判物を与えられている点などが大名格というのに私はやや抵抗があります。 赤坂に三千五百坪程度の江戸屋敷を持っていた様ですが、諸大名の様に中屋敷や下屋敷は拝領していなかったのではないでしょうか。