- ベストアンサー
趙雲のおくりな
趙雲は「順平侯」というおくりなをもらっていますが、「大将軍」のおくりなももらったと聞いたことがあります。 実際にはどうなんでしょうか?
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
可能性1 三国志演義において、趙雲の死を知った諸葛亮は「趙雲の死は、国家にとって棟木が一本落ちたようなもの。私にとって腕を一本もぎとられたようなものだ」と言います。 ここから、「国家の棟木で丞相の片腕=大将軍?」という想像をして、それが伝わった。 可能性2 正史注、「趙雲別伝」の、「大将軍姜維らが提議し(中略)趙雲に諡して『順平侯』とすべきと存じます(と上奏した)」という記述が「趙雲が大将軍に諡された」と誤伝された。 可能性3 最近よく言われるようになった「趙雲はものすごい名将だ」というやや偏った情報から、「死後大将軍に叙せられたに違いない」という思い込みを生じさせ、それが伝わった。 少なくとも正史三国志の趙雲伝、および三国志演義には「趙雲が死後大将軍に叙せられた」というような記述は見当たりません。 趙雲が死後とはいえ大将軍に叙せられるのなら、関羽とかはどうなるんでしょう? それ以上の地位が無いんですけど‥‥。 おまけ 蜀書六 三國志三十六 関張馬黄趙伝第六 http://mujin.parfait.ne.jp/search2.cgi?text=shu6;lang=JpCh
その他の回答 (1)
正史の趙雲伝には、大将軍になったとは書かれていません。 そもそも『大将軍』は軍の官職名であり、諡号(しごう。おくりな)とは違うのではないかと思います。死後、生前の功績を考えて昇進させる、という例はあるでしょうが(現代でも、少将が死後中将になったり)、それは追諡とは別のものだと考えるべきでしょう。 趙雲が諡号を追贈されたのは死後かなり経ってからの261年です。同時に関羽、張飛、馬超、ホウ統、黄忠が追諡されました。 諡号の『順平侯』というのは姜維の案による名前で「柔賢慈惠曰順、執事有班曰平、克定禍亂曰平、應諡雲曰順平侯」(柔和で賢明、慈悲、恩恵があるのを順といい、仕事をしてけじめがあるさまを平といい、災いや混乱を鎮めるのを平という。だから趙雲には順平侯とおくるべきだ)という理由からだそうです(正史注、『趙雲別伝』による)
お礼
順平候のおくりなの由来は存じておりました。 大将軍のおくりなはデマだったのでしょうか? それと、一説に趙雲は従順でおとなしい性格だから順平候のおくりなとなったと聞いたことがあるのですが、この説はどうなのでしょうか?