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私は戦争を知りません(長文失礼します)

私は30代女性です。 タイトル通り、私は戦争を知りません。 だから、戦争の悲惨さを見ても、聞いても、今ひとつ実感がわきません。 戦争より悲惨なものはないのでしょうか。 私は理由もなく離婚を言い渡され、夫を失いました。 心身のバランスを失い、職を失いました。 新築した家を失いました。人間としての信用を失いました。 残ったのは左腕一面の切り傷痕だけです。 その後、再就職しましたが、人間関係がうまくいかず、薬を大量に飲み、自殺を図りました。 失敗したので、こうして生きていますが。 私としては人生メチャクチャになってしまった気がしています。 でも、戦争を体験した人から見るとなんていうことないんでしょうか。 6年間精神科に通っていますが、まだ良くなりません。 でも、戦争を経験した人からみると私の苦しみなんかどうってことないんでしょうか。 皆さんのご意見いただきたく投稿します。 よろしくお願いします。

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  • ベストアンサー
  • Ryo_jp
  • ベストアンサー率46% (6/13)
回答No.9

若輩ながら意見させていただきます。 私はsweet36さんの境遇に同情します。 人生がメチャクチャというお言葉もその通りだと思います。 それでも、私は「自殺」には無条件に反対いたしますので、他人事に聞こえるとしても、私は、まずは心の安定することを祈ります。まだ長い人生の建て直しを図る状況が生まれることを祈ります。 さて、「戦争を経験した人からみると私の苦しみなんかどうってことないんでしょうか」 に関してですが、今の日本が凄惨な戦乱の最中でしたらそうかもしれません。 でも、今の日本は戦時下ではありません。 殆どの日本人は戦争の悲惨さに直面しなくて良い権利を今のところ有しています。 そんな状況で「戦争に比べたら」というのは違います。 その発言者の意図は分かりませんが、貴女がその言葉に傷つく必要はありません。 戦争に比べたら、飢饉と異常気象に比べたら、ペストが蔓延した中世に比べたら、まだ法も整備されず人権も無い時代に比べたら、奴隷に比べたら・・ 比較するものは山ほどあります。 そういう状況に比べたら、確かに生きているだけで幸せなのかもしれません。 でも、そんな比較は無意味です。 我々は今という時代の日本という国にいます。 過去の時代や、別の国の価値観と今の日本の価値観を比較することに意味はありません。 貴女は今の日本という状況において、絶望するに足る状況にあるのは理解できます。 貴女は、そのような無意味な言葉に耳を貸し、傷つくべきではありません。 少しでも早く貴女の人生が安らかに立ち直ることを祈ります。

sweet36
質問者

お礼

確かにおっしゃるとおりですね。 ここは日本で、しかも戦争中ではないですからね。 比較は無意味ですね。 わかりやすい回答ありがとうございました。

その他の回答 (8)

回答No.8

No5.です。早速の回答拝見しました。内容を理解できないとの事スミマセン!自分との戦いとは”人”夫々違いますが貴方の場合”死への願望”との戦いになりませんか?交通事故や病気で生死をさまよい無事回復した時、人は初めて”生きる事の素晴らしさ”を実感するのです。何時の日か、キット分かる時がきます!今分からなくても構いません。信頼出来るドクターに受診のご様子なによりです。薄皮をめくるように少しずつ快方に向かっていると推測してます。(こうしてネット上で問題提起出来るのですから~)

sweet36
質問者

お礼

二度もお返事ありがとうございます。 “死への願望”は確かにあります。自殺未遂もしでかしたことがあります。 でも生きることの素晴らしさは今、全くと言っていいほどわかりません。 いつかわかる日が来るのを待とうと思います。

noname#18887
noname#18887
回答No.7

お若いのに大変な体験をされた事は充分に理解できます。 ただ、戦争と他の種類の被災を同列で比べるのには無理がありそうです。 戦争が、他の被災と決定的に違うのは「相手を殺す」という事です。 自分自身が受けた被災や被害は、時間や物質が癒してくれるのかもしれませんが 「人を殺した」という行為はどんなに繕ってみても 自らが忘れたり無視したりできるものではありません。 つまり、取り返しのつかない事を「された」んじゃなく 「してしまった」という心の傷は、いつまで経っても同じ重さで残るものです。 古い言い方をすれば“恥を忍んで生きる”なんてふうに言うのかもしれません。 規模は違いますが、私は学生運動の中で似たような体験をしています。 当時の仲間の幾人かは「警察発表」で「行方不明」のままですし 私の属した団体も同様に「行方不明者」を作り出したりもしました。 ※作り話ですので適当に解釈してください。 今は、その時の事を考えれば「殺される」んじゃなければ大抵の事は我慢できますし 同様に、「殺さなくていい」ように、大抵の事を我慢する癖もつきました。 それは殆ど、いま生きている事に意味を見出せないのと同じです。 これを「苦しみ」と言うのなら、それは死ぬまで解消されはしないと思います。 だからご質問者の苦しみは「どうってことない」と言うつもりはありませんが こうして懺悔できるだけは、そして、それに対して親切なアドバイスを貰えるだけは まだ少し救われるのじゃないかと思います。 「過去を語りたくない、けれど忘れる事は出来ない」と言う人も確実に存在します。 戦争に参加すると言う事は、その典型だろうと思います。 ● と、それはそうとして、 他の不幸と比較して自分を慰めようとするのは、ちょっと後ろ向きすぎますよ。 それで少しも前に進むわけじゃありません。 それよりも、過ぎた事は忘れるに越した事はありませんよ。 ご自身の体験は、忘れたって誰に詫びる事でも、恥じる事でもないのですから。

sweet36
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 質問を投稿したのは、他の不幸と比較して自分を慰めようというつもりではありません。 むしろ逆です。 離婚の話をしていたら、戦争体験者に 「そんなこと、戦争に比べたら」と、鼻で笑われてしまったからです。

noname#11177
noname#11177
回答No.6

例えば、アフリカの各地で内戦が今でもたくさんあります。 5歳で誘拐され、戦闘人殺しマシンにされ、自分の親や出身の村を自らの手で襲わされ、皆殺しにする。 それに逆らったり逃げ出せば自分が拷問に掛けられ殺されるのです。 さらに、その内戦のとばっちりを受けて難民になった人たちは、食べるところも住むところも着るものもない。そういう人たちが数千万人~数億います。 国内の平均寿命が35歳という信じられないような国もあるのです。 そこまで行かなくても、世界各地の貧困層は明日食べるものにもこまって、まさに生きていくのにやっとです。 3歳くらいで親に捨てられストリートチルドレンになるなんてのもよくある話です。 生きていくために10才程度で売春し、エイズに感染し、20代で死んでいく子供達も大勢います。 でも、上記の人たちでも生きていこうとしてるんですよね。 そこから考えれば、日本に生まれただけでかなり幸せ! 生きているだけで丸儲け! といつもおもっています。 発展途上国のストリートチルドレンなんかを生で見ると自分はなんて幸せなんだろうと思いますよ。だってそれを見たときは泣いてしまいましたもん。 でも、平々凡々と日本でぬるま湯につかって生きてきたんだから、それくらいでも生きるのがつらくなるというのは、日本ならよくあることなんじゃないかと思います。でなきゃ年間数万人もの自殺者が出ませんよ。 とわいえ、そうなってしまった以上早く治療を済ませないとですよね。何といったらいいかわかりませんが、早くよくなってください。 でわ

sweet36
質問者

お礼

>平々凡々と日本でぬるま湯につかって生きてきたんだからそれくらいでも生きるのがつらくなる そんな風に思われてしまうんですね。 なんだか悲しいです。

回答No.5

戦争とは、国と国の戦いですが之を実行するのは人間!相手の国民(兵隊、市民の区別無く)を殺す!多くの市民が一度に犠牲になったのは、広島、長崎に投下された原爆です。東京でも大空襲で焼夷弾が投下され、多くの都民が犠牲になりました。しかし日本もアジア諸国で同じような事をしてきたのです。これが戦争なのです。悲惨です。 貴方は自分との戦い!でも生きているのです!人生メチャクチャにしたのは誰ですか?生きる事とは、楽しさ少し、苦しさ沢山なのです。自殺に失敗と有りますがキット神様がまだ死ぬな!とのサインなのです。まだ死ぬのは早いです。生きる事の素晴らしさ!必ず訪れます!その時までどうかドクターを信じて悩み事は全て話せば、少しは安らぐと思います。繰り返しますが、生きる事は辛い事が多くて当たり前、だから楽しさも少しあるのです。自分に優しく他人にも優しく~でも死神に負けては駄目です。 一度チャンスがあれば長崎か広島の原爆資料館に行かれる事お勧めします。原爆の悲惨さ、良く分かりますし泣けるはずですし何かを得るはずです。ご参考まで!

sweet36
質問者

お礼

すみません。お話がよくわかりませんでした。 自分との戦いってなんですか?生きることのすばらしさってなんですか?私にはわかりません。わかる日が来るとも思えません。 とりあえず、機会があったら原爆資料館に行ってみたいと思います。 ありがとうございました。

  • myeyesonly
  • ベストアンサー率36% (3818/10368)
回答No.4

こんにちは。 私が生きている期間に戦争はありましたが、私自身は実戦経験はありません。 ただ、アメリカの湾岸戦争症候群を始め、戦争の後遺症がとても問題になってます。 前の方もおっしゃってますが、普通の精神病は治療方法もあり薬もありますが、戦争後遺症はまだまともな治療法もないという状況です。 なので、「治療ができる」という部分は、まだ戦争後遺症に比べればよほどいいといえるでしょう。 ただ、現在、精神科医療で最大の問題は、「患者が病気であるという自覚がなく、受診してくれない事が非常に多い」という現状です。 質問者さんの場合は、その最悪の状態は取り合えず乗り越えられて精神科を受診していただけました。 その分は間違えなく幸せです。 ただ、精神科の治療というのは、風邪や盲腸みたく、数週間、数ヵ月で終わるというものではなく、年単位、十年単位の治療も珍しくはないのです。 大変ではありますが、ぜひ続けてください。 状況から、何か趣味でももたれるか、そういう患者のグループなどと交流されるといいと思います。 ぜひ主治医にそういう相談をしてみてください。

sweet36
質問者

お礼

戦争後遺症は難しい、というのは時々聞きますが、現在でも確たる治療法がないのですね。 私は自分から受診してなんとか生きています。通院歴は6年になります。入院もしました。それでもまだよくなりません。長くかかるものですね。 患者のグループで交流というのは考えたことがありませんでした。主治医と相談してみたいと思います。 ありがとうございました。

回答No.3

あなたの色々な苦しみと戦争の苦しみって土俵が違うので計れないと思います。どっちも苦しそうですよ。自分も戦争なんて経験して無いので気持ちは分からないですが・・・。 どんな事でも苦しいと思ったらさらに苦しく感じるし、楽だと感じればそれなりに楽になると思うんですが、あなたの場合この文章だけで思うのは、自分でさらに苦しもうとしているような感じがします。だから戦争の経験者と比べて自分はまだまだ苦しくないからもっと苦しもうって思いたいのでしょうか?(何が言いたいのか自分で分からなくなってきました^^) ちなみに「人生楽しく」が僕のモットーです。 辛い事や楽しくない事も自分なりに楽しく演じようとしたり無理やり楽しさを見つけています。どうせ生きていくなら楽しいほうがいいでしょ?自分の人生であって誰の人生でもないんだから^^楽しく生きなきゃもったいないっていつも思って生きています^^

sweet36
質問者

お礼

>あなたの色々な苦しみと戦争の苦しみって土俵が違うので計れないと思います やはりそうですか。他の方も書いてくださっていますね。 「人生楽しく」はいいですね。 できれば私もそう思いたいです。なかなか思えないんですよね。 ありがとうございました。

  • wsws
  • ベストアンサー率9% (256/2568)
回答No.2

質問者様にとって質問者が体験したことが一番の悲惨な事です。間違いありません。 スマトラも被災しようがイラクで爆撃されようが痛くも痒くもないのですから。 ただ、自分は自分でお守りください。

sweet36
質問者

お礼

確かに地震もイラクも「対岸の火事」なんですよね。私にとっては。 でも、現地の人にとっては悲惨極まりないわけで・・・。 やはり、それぞれの体験が一番なのでしょうね。 お返事ありがとうございました。

noname#11186
noname#11186
回答No.1

私は戦争と、質問者様の悩みとを、天秤に量るべきではないと思います。 精神的なダメージの悲惨さと戦争の悲惨さは、また違うと思いますよ。 「薬がある」ということは、戦争中よりある意味幸せかもしれません。 戦争中は「薬」もほとんど手に入りません。巨大な災害があっても入手困難になりますね。 どうでしょう。私の提案ですが、女性の平均寿命は80歳超えですよね? 計算的に考えると、まだ人生残り半分もあります。 何が起こるかわかりません。良いことが起こる確率も高いです。 短期で物事を判断せず、もっとゆっくりと腰を据えてみてはいかがでしょうか。

sweet36
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 >精神的なダメージの悲惨さと戦争の悲惨さは、また違うと思いますよ なんとなくわかるような気が・・・。 でも、正直言って、人生まだ半分もあるのか、という気持ちです。

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    「子孫に戦争は絶対ダメだと教育したが子孫は戦わず殺された」 ソースはあるサイトだが今は削除されているそうです。 質問タイトルからピンと来る人もいるだろうし、なんのこっちゃと思う人もいるでしょうけど、要はこういうことらしい。 戦争で悲惨な体験をした者は祖国の子孫教育に「戦争絶対ダメ」=「子どもたちはうんうんそうだね」となるが、悲惨な体験をしていない…世界中にあるいろんな国の人間は「戦争絶対ダメ」なんて教育されていない国もたくさんあるのは当然のことで…。 悲惨な体験を語りつなぐ人々をメンヘラと言ってはいけないが、タイトル通りメンヘラが野蛮キチガイに対応できず殺されてしまうということらしいです。 結果、国内の子孫に教育してきたことが正しかったのか正しくなかったのか…子孫が途絶えれば当然まちがっていたということなのであり「戦争絶対ダメ…なぜかと言うと…こんな悲惨なことになるんだよ」という教えは国内だけでなく世界に発信すべきで、いつまでも国内でうじうじ…重ねて言っていまして「国内だけでうじうじ」言っていてよいことではない… というサイトだったらしいですが、これは正しい理論ですか? というか、この戦争メンヘラ国内発信者は支配欲・征服欲キチガイ国の工作組織に利用され、工作員が潜伏潜入しメディアを通じて…要は国内だけで発信され続けているのが現状らしいのですが…これも本当ですか? 目的は何ですか? 国家国民骨抜きですか?正しい啓蒙ですか? 戦略的啓蒙ですか?…ただの征服戦略ですか? 国内だけで「戦争絶対ダメだよ、刷り込み教育」だけでなく、逆に害奇知国家を啓蒙(「戦争絶対ダメだよ、刷り込み教育」)するにはどうしたらよいでしょうか? 「戦争絶対ダメ」を他国に啓蒙することを、お嬢さんのような態度でできますか? メンヘラは「ケンカも絶対ダメ」らしいので、正しい喧嘩の仕方もわからないそうです。 やられたらやられっぱなしでやられ損ですか? 戦わないで、脅され続け奴隷になるのでしょうか。 以上居酒屋マリー群団子ども会の素朴な疑問を社会問題研究サークル居酒屋タンクケントとその舎弟がお題として出していましたのでご報告して質問とさせていただきます。 <(_ _)>

  • なぜヒトラーは×でローマ帝国は○なの?

     戦争の是非?について教えてください。  私たちは学校の授業でヒトラーによる第二次世界大戦ではヒトラーは他国に侵略して悪い人間だ、あんな事はしてはいけない、と習います。また第一次世界大戦やベトナム戦争を通じて、人がたくさん死に戦争は悲惨だ、戦争をしてはいけないと習います。  今各国の授業でヒトラーは悪だ、とんでもない人間だと教えていてもドイツ政府はいちいち抗議していません。  しかし例えばローマ帝国も他国に侵略しセレウコスシリアを滅ぼしエジプトを滅ぼし何万人という人々を殺しまくりました。  オスマントルコ等もヨーロッパに侵略しアラブを支配下に置き北アフリカ等にも侵略し何万人と虐殺しました。  しかしだから戦争はいけない、トルコは悪だ、あんな事をしてはいけない、ローマはひどい、戦争でたくさんの人を殺した、あんな事はしてはいけない、とは習いません。  もしそういう授業をすればトルコ政府から抗議が来るかもしれません。  重複になりますがモンゴルなどもヨーロッパに侵略しイスラム諸国を滅ぼし中国やビルマを滅ぼし大帝国を作り何万人という人々を虐殺し、殺しまくりました。しかしだから戦争はいけない、モンゴルはとんでもない国だった、悪だ、とは習いません。もしそんな授業ならモンゴル政府から抗議が来るのでしょうか?  一体この授業の教え方の差は何なのでしょうか?  まさか昔は他国に侵略し大勢の人々を殺しまくっても全然構わなかった、問題ないとでも言うのでしょうか?  つまり、なぜここ100年ほどの戦争では、戦争はいけない、戦争は悲惨だ、と授業で教えるのに大昔の戦争ではこういう戦争があってプトレマイオスエジプトは滅んだ、という授業だけで戦争は悲惨だ、たくさんの人が死んだ、というような授業は行われないのでしょうか?