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自然淘汰とnatural selection

 私は、高校時代のリーダーの教科書でnatural selectionの訳が自然淘汰と習いました。しかし、英語の方を直訳して考えると、自然が選んだのは、生き残った方だと思えます。学生時代に読んだ文献もそうであったように記憶しています。また、淘も汰も「よなげる」と(良いものを)選ぶの意味のようです。しかし、一般的には、滅びる方を指す事が多いように思いますが、生物系の書籍の訳者の方々はどのようにお考えなのでしょうか?

  • peror
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  • suiran2
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回答No.5

24blackbirds さんの「学校教育で用いられる用語として自然淘汰という用語は慎重に扱われるべきでしょう」 perorさんの「自然選択としてあれば、なんら問題ないですよね。訳語としては、自然淘汰は不適切であった、ないし、不適切になったということでしょうか。」 全くその通りと思います。文科省が生物教育に使用する「基準語」(学術用語ではありません)を定めていますが,その中では「自然淘汰」は不適切で「自然選択」を使用するように指導しているようですね。もうずいぶん昔のことと思いますが… 進化説が日本に入ってきました際に,何方かが「自然淘汰」と訳したようで,お年の方は今でも淘汰のようですね。生物系の辞書等も相変わらずです。 上記の基準を知っている方や最近の教育を受けた若い方は「自然選択」としているのではないでしょうか。徐々に自然淘汰は死語になってゆくのではと思いますが… 用語は色々ですね。遠赤色光と近赤外光(基準語)も困ったものと思います。

peror
質問者

お礼

どうもありがとうございます。当に知りたかったことです。

その他の回答 (4)

回答No.4

かなり言葉足らずでした,#3です。#1さんが書かれているように、分布がシフトするプロセスそのものをさして自然淘汰と呼ぶのです。生物の種というものを考えるとき、遺伝子プールという考え方をします。交配可能な遺伝子全体をとらえる考え方です。 自然淘汰はそれぞれの個体に働くのではなく、遺伝子プールに働くのです。遺伝子プールの質的変化、というのでしょうか、常に最適な遺伝子の出現頻度を保つシステムをさして、自然淘汰と呼んでいます。 昨今、多様性という言葉が野生生物保全のキーワードになっているのはそういうことなのです。 最適なもののみが生き延びるシステムなら、環境の変化には対応できません。そういった種がもし存在したら、環境の変化に際して絶滅することは必至です。つまり、規格はずれも種の存続にとって重要なファクターなのです。 ということで、「自然」が「選択」するのは、分布の平均と、ばらつきの両方です。そこそこのばらつきのない種は、絶滅への道は近い。

peror
質問者

お礼

 度々、ありがとうございます。  私の方こそ言葉足らずでした。遺伝子プール、多様性など生態系のシステムの話から入る必要があることは、理解できます。私はもっと単純に、現在、natural selection がどのように訳されているかを、翻訳家の方々等々に質問したかっただけなのです。

回答No.3

自然選択という訳語も用いられます。淘汰という言葉から間違ったイメージが一人歩きしているのですが、自然淘汰という言葉は弱いものは滅びる、という概念ではありません。 生物の世界の様々な遺伝的形質の多くは、(大まかにいって)平均値を中心としてなだらかな山を描く分布(正規分布)をしています。たとえば、ある島に住むある種の動物の体重は平均付近に属するものが多く、平均から離れるとだんだん少なくなるというような。平均付近がもっともその環境に適応している、と考えられます。そして、その環境に変化が生じてそれまでの平均とは違った値がもっとも適応的になった場合、分布のシフトが起こります。島の動物の体重の例でいえば、食糧事情がもっと悪くなったら、少ない食料で子孫を残せる方が適応的となり平均値や分布は小さい方にシフトします。また、寒い環境では大型の体を持つ方が相対的な体表面積が小さくなるため寒さに強いので、体重は大きい方にシフトします。このような分布のシフトに突然変異が加わった場合に進化が起きるという考え方もありますが、新しい遺伝子の出現は自然淘汰という言葉の範疇に含めるべきではないという考え方もあります。 いずれにせよ、学校教育で用いられる用語として自然淘汰という用語は慎重に扱われるべきでしょう、誤解されやすい概念ですので。

peror
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。  自然選択としてあれば、なんら問題ないですよね。訳語としては、自然淘汰は不適切であった、ないし、不適切になったということでしょうか。  一番しりたいことは、英語の論文で、適応した方をselectされたという時は、「選択された」としているんでしょうか?淘汰と訳すことはなく、そのような訳語の必要もないということでしょうか?

  • apple-man
  • ベストアンサー率31% (923/2913)
回答No.2

 淘汰のいう日本語は、不適格なものを排除すると いう意味です。よなげるも悪いものを捨てると いう意味です。つまり日本の考えは、切り捨てると いう方に重きが置かれています。  ダーウィンはそんなことは言って いません。実際、環境にうまく適用できない 動物でもなんとか生き延びているものがいます。 切り捨てられてはいません。滅ぼされても いません。  日本の淘汰という考え方はドイツ からの影響です。20世紀のドイツ 医学は非常に進んでていたので、日本は ここから医学を学びました。その過程で ナチスドイツの思想も一緒に入れてしまった んです。  ドイツは、ダーウィンの進化論とメンデルの法則などを 非常によく研究したものの、諸外国からの圧力に対抗 するため、民族主義が台頭し、natural selectionを 他の劣勢種族は滅ぼされるべきという解釈に してしまったんです。  他民族を差別するというのは、他にもありますが、 ドイツの場合、学術的な理論づけをしていたところが すごかったわけです。  ドイツ人はユダヤ人を殺したというところだけ 強調されがちですが、遺伝的にアーリア人に近づけば 残してもいいと考え、医学的な人体実験をして いたわけです。  戦前日本は、生糸の輸出で外貨を稼いでいたのですが、 良質の糸を作るために、カイコの生物学的研究に 力を入れていました。ここでもダーウィンやメンデル の考え方が役立ったので、これがドイツの淘汰と いう思想を広げるのに役立ってしまったわけです。  ライ病患者の隔離や、優性保護法(平成8年まで ありました)のように、生物学的に劣ったものは 切り捨てるという、他の先進国では考えられない ことを実際やっていたのは、このナチスドイツの 思想が日本の医学界で生き残っていたからです。 >一般的には、滅びる方を指す事が多いように思いますが  一般というか、日本ではということではないでしょうか?

peror
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。  ナチス流の解釈というのは、説得力ありますね。でも、淘汰の解釈がapple-man様のいう通りだとして、淘汰という訳語は、ナチス台頭後にできたんですか?

noname#25358
noname#25358
回答No.1

 もっともな疑問ですね。  一般用語としての自然淘汰の場合、その言葉自身が「剪定されゆく要素」を指すのではなく、「剪定されゆく」という状況そのものを指します。  よって、「自然淘汰された○○」という言い回しでは、その要素が生き残った組なのか、死滅した組なのかを判断することはできません。  もし「死滅した組を指す」という前提で話をしている人がいれば、それはその人の習慣に基づくものでしょうが、あまりよい日本語の使い方とはいえません。

peror
質問者

お礼

 早速の書き込みありがとうございます。  「自然は生き残る物も選んだし、滅びる物も選んだ。」という事でしょうか。確かに「選ぶ」とだけではニュアンスは兎も角、どちらでもいいんでしょうけど、日本語訳を最初に考えた人は(生き残る方)を選ぶ意味でつけたんだろうと思うんですよね。  私自身は、経済学者はみんな誤用していると思っております。

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