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実話? それとも創作?
歴史上の人物には多くの逸話が存在します。 ですが、その中には後の創作なのに事実のように伝わっているもや誤って伝わっているもののが多くあると思います。 そのような話をご存知でしたらお教えください。
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戦国時代、上州に長野業正という武将がいました、この人の生前の一次資料に一切記録が無いにも関わらず、江戸時代あたりの上州関連の軍記物に大きな捏造があります、ではその捏造とは?↓↓↓ 「武田信玄に6回も勝った名将」 もうアホかとww上杉謙信が5回引き分けてるからそれに対抗してこのような捏造を記録したのかどうか分かりませんがねえ。 この軍記物に記載してある信玄の戦い方を見ても、信玄の他の合戦とは全然違うそれこそ凡将がやるような戦い方をしています、そこまでして信玄より長野が格上と後世の人に認知させたかったのでしょうかねえ。
- yamazakura5132
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歴史上の逸話とは少し違いますが、 高校の現代国語の教科書等に出てくる小説家「二葉亭四迷」の事。 彼が父親に物書きになると告げたところ激高した父親が「くたばってしめぇい!」と怒鳴った事が今でいうペンネーム「二葉亭四迷」の由来になった、はウソです。 このエピソードを高等学校の教員の様にうんちくとして決して吹聴してはいけません。(笑。)
- awaw7
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真田幸村の家来真田十勇士は、全員いなかったそうです。 僕の知っているうちでは猿飛佐助(立川文庫が作った架空の人物)霧隠才蔵(霧隠鹿右衛門を才蔵と立川文庫が作った)なので真田十勇士は立川文庫あってだったそうです。
- apple-man
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「ニュートンはリンゴが木から落ちるのを見て 重力を発見した」 というのは、ウソらしいです。 ニュートンについては、書物、友人への書簡など いろいろな資料が残っているのですが、まず 本人がリンゴの木の話をしたという、本人自身の記録が 全くないそうです。 ニュートンは貴族の間でも有名になって いたので、ロンドンの貴族たちが地方の 友人に宛てた書簡の中で、ときどきニュートン の話を書いているのが見つかるそうで、 リンゴの話も、ある貴族が友人に宛てた 書簡の中で、「ニュートンという面白い 男がいて、彼はリンゴが木から落ちるのを見て 重力があるということに気付いたそうだ。」 と書いているのがあり、これが唯一 記録に残るニュートンのリンゴの木の話 だそうなんですが、この貴族(名前忘れ ましたが)が面白おかしく話をすることで 有名な人で、リンゴの話もこの貴族の 作り話である可能性が高いそうです。 社交界でニュートン自身が話したとしても、 話を面白くする作り話であったであろうことが 残されたニュートンの書簡から予想される ようです。重力についてニュートンはもっと 複雑なことを考えていたことが書簡の 内容から分かるそうです。
- papa-quiqui
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やっぱり、9.11でしょう。 ちなみに、ぼくはその日の朝6時に、ニューヨークの空港から、マイアミへ行き、そこの搭乗待合室で事件を知りました。そのあと、空港閉鎖のため、一週間空港で足止め。 その時、不審に思った事は、色々あります。 - 映画的にインパクトはあるけど、経済的な打撃が映像ほど少ない。もし、打撃をあたえるなら、ウォール街の証券取引所でしょ。建替えなければならなくなっているビルをわざわざ潰す親切。 - 容疑者が、その日か、翌日ぐらいからどんどん逮捕されていった。あんたら、最初から知ってたんとちゃうの? - 空港閉鎖で、どの国からも取材クルーが入国が出来ないので、独自の調査、報道が出来ない。ご存知の通り、マスコミはユダヤ資本なので、被害者側つまり、彼らに都合のよい情報しか出てこない。 その後、沢山不審な点が出てきているけど、最後まで知らないのは、善良なアメリカ市民なんでしょうね。まあ、これはまたの機会に。 閑話休題。 清水の次郎長の子分の森の石松。 話では、石松が、次郎長から預かった金を吉兵衛という男に貸したのに、返さないので催促したところ、逆恨みされて殺されたことになっている。 ところが、実際は、森の石松が賭場で借金をし、なかなか返せず、人から金を借り、それを元手に吉兵衛の賭場で勝って返そうとしたが、全然ついていなく、いらいらし疑心暗鬼になり、いかさまではとイチャモンをつけて殺された。 これを、神田伯山が講談として創作し、広沢虎造が浪花節にしてひろめたとのこと。詳しくは、海音寺潮五郎氏の「実説武侠伝」「史談と史論」にあります。
- nekonekoakari
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「働けど我が暮らし楽にならず」の句で有名な石川啄木ですが実際は働かずに飲んだくれて一生を送ったそうです。 あと野口英世はアメリカへの渡米費用を複数の知人から出世払いで借りたにもかかわらず凱旋帰国の際は彼らに会おうともしなかったという話も(これって借金の踏み倒しですよね?)
- sumiyoshigawa
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ちょっとおもしろかったので回答というより割り込みに近いですが。主旨逸脱ですみません。 道鏡(女帝に取り入った僧侶) 「道鏡が正座をすると膝三つ」って川柳ありせんでしたか。 徳川家光 女に興味なしで男色ばっかり、やっと女を気に入ったと思ったら、尼さん(スキンヘッドフェチ) 最後に水戸黄門ですが、設定は1693年です。テレビ放送で墓標が出てきて元禄癸酉年=1693年と書かれてました。当時実在の光圀は66歳、助さん54歳、格さん38歳です。人生50年の時代ですから、助さんもじじいで、格さんもじゅうぶんおっさんです。あと、TVはタメ口聞いてますが、もちろん助さんの方が目上です。石坂浩二の水戸黄門では助さんが目上で、「格之進」「佐々木さん」と呼んでて違和感ありましたが、実はこっちの方が正しい設定です。
- gladis
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下にも出てきますが、聖武天皇について。 歴代天皇の中でも評価の変転の激しい人です。昔は信心深く大仏を建立した「聖帝」。それから気まぐれで神経質で電波系で、何度も都を移転させて国家予算を浪費した暗愚な君主。最近では女房の光明皇后に操られていた主体性のないひ弱な亭主。 こういうので難しいのは、そのどれかがウソや創作ってわけではないってことです。信心深いのも神経質なのも気弱なのも全部本当だったはずですよね。一人の人間の中に多面的な要素があるのは当然のことですから。 ただこの人に関しては、最近一部で再評価の動きが出ています。それは世界史上初めて「死刑」を制度としては廃止したこと。 その理由を述べた文書が残っているそうです。 「一度死なせた命は返らない。間違いだったら取り返しがつかないから」 さて、これは気弱と見るべきか仏教への信仰の成果と見るべきか。まあ当時の司法制度では冤罪での死刑なんか日常茶飯事でしたから、現在の日本と軽々に比較は出来ないでしょうが。 ただ、故ヨハネ・パウロ2世の努力などもあって、世界の趨勢は現在「死刑廃止」の方向へ向かっているそうです。聖武天皇の施政が評価されていないのは、日本の現在の社会情勢と無縁ではない気がします。 あ、それと東郷平八郎が司令長官に抜擢された理由については、私は「死んでも惜しくなかったから」と聞きました(笑)
- anchorage
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豊臣秀吉:幼名の日吉丸っていうのも創作なら、信長の草履取りの時に懐に草履を入れて暖めた。っていのも創作。秀吉が、文献で確認できるのは、伊木山城攻め(武功夜話(この本も創作かも。))からで、公文書では、信長上洛後、秀吉が京都留守居役になったところから。で、秀吉の前半生は、ほとんどが創作らしい。 北条早雲:本人は、北条と名乗ったことがない。北条と名乗りだしたのは息子の代から。
お礼
回答ありがとうございます。 秀吉の半生はほとんどが創作ですか。 秀吉には出世していく過程での逸話が多いですが、そのほとんどは創作だったんですね。
- myeyesonly
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こんにちは。また来ました。m(__)m >ガガーリンの前に・・・サルだった。 実はこれも本当の話です。 確か、このおサルさんは、ガガーリンやイリューシンより前だったと思います。 確かその2~3か月前の話で、打ち上げたのはアメリカです。オスのチンパンジーでした。 当時のアメリカのロケットは大陸間弾道弾の爆弾をカプセルにしたような物で、軍事用のをほとんどそのまま転用した為か大変品質が悪く、打ち上げ実験だけでも2回に一回は打上時に爆発してしまうという代物で、恐くていきなり人間を載せられなかったらしいです。 このチンパン君は無事回収されましたがおしっこをもらしていたそうです。 回収された時は、スタッフに歯を向いて激怒して噛みつこうとしたとか。まあ当然でしょうね。 「打ち上げるよ~」って言っても意味が判らないでしょうから。(爆) ソ連はその前に、犬を打ち上げています。 ただ、こちらは回収されず、中でしばらく生存していたようですが、やがて軌道が下がって来て墜落したはずです。 前の方の>芝居を止めさせるのを止めた・・・のは、遠山の金さんです。 水野忠邦の改革で、あまりに無茶苦茶な質素化政策で、そういう内容がありました。 そこまですると、町人が激怒してやばいというのを直観した?彼は、忠邦を諌めて、それだけは止めさせたそうです。 遠山の金さんが、後日、これだけ町人の味方として評判になったのは、この一件が大変大きいようです。 日露戦争が出てきたので、その手の話題で面白そうなのは、(先の方のには劣りますが(笑))、日本海海戦です。 あの海戦の勝因は、東郷ターンではなく、バルチック艦隊(これは日本側の呼び名です)のロジェストウェンスキー中将の命令を信号係がちゃんと伝えられなかった事。 もしこの命令がちゃんと伝わっていたら、バルチック艦隊は戦艦を横一列に並べて一斉に突破する陣形になり、東郷ターンは、敵の直前で明後日の方向に行っちゃう事になり、大混乱になったのは連合艦隊の方でしょう。 このミスにより三列縦隊になってしまい、どうしようもないので、最も簡単に直せる一列縦隊に直してる最中に聯合艦隊と遭遇する事になりました。 これは中将が後日帰国した際、裁判にかけられたらしいのですが、その記録がのこってます。 当時、天皇はバルチック艦隊と会戦するにあたって、現役の連合艦隊司令長官を罷免し、東郷を起用したので、罷免された元長官が、あまりの屈辱(会戦直前に罷免じゃ「あんた能無し」って言われるに等しいです)に激怒して切腹すると言い出すさわぎになり、天皇が直々に押しとどめたなんて話しもありますが、この時、長官を変えた理由は「東郷は運がいい」からだそうです。 本当に運がいい人だったようで、海戦後、艦隊は凱旋帰国し、東郷が三笠を降りて天皇に報告しに行ってる間に三笠は弾薬庫から火災を起こして爆発、あっというまに沈没してしまいます。 もし乗ってたら・・・ですね。 笑える話が沢山出てきてます。 まだまだ楽しみなスレッドですね。(笑)
お礼
回答ありがとうございます、何度でも来てくださいね♪ このころのロケット開発の争いは熾烈を極めていたらしいですが、そのとばっちりを動物たちがモロに受けてますね。まぁ今でも実験に色々な動物が使われてますか。
お礼
何ていうか、聖武天皇のイメージがどんどん崩れていってる気がします(笑) 回答ありがとうございました。