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現在の日本の仏教について

現在の日本の仏教は、仏教発生当時の無神教のような状態から一神教の拝一神教か単一神教のような感じになっているような気がするんですけど、実際に現在の日本の仏教はどういわれているんですか。

みんなの回答

  • lightgrid
  • ベストアンサー率26% (11/42)
回答No.9

質問からかなり時間がたっているにもかかわらず、締め切られていませんので、質問者ご自身も、この質問を忘れているのかもしれません。したがって、私のアドバイスも読んでいただけるかどうかわかりませんので、言いたい放題、書かせていただきます。 質問の意味がよく分かりませんが、私なりに、説明します。 現在の日本の仏教は、檀家のための葬式仏教が主流です。お坊さんたちも、生活のため職業としてやっている方が多く、求道者として修行している方は少ないのではないでしょうか。そもそも、日本の仏教は大乗仏教で、お釈迦様の仏教ではありません。 仏教とは、仏陀になるための修行、因縁解脱の修行を説く教えです。その仏陀になるための修行法は、お釈迦様の説かれた阿含経(あごんきょう、アーガマ)にしか説かれていません。阿含経だけがお釈迦様が説いたお経です。法華経等の大乗経典は、お釈迦様以外の、説法師たちが「創作した経典」(悪く言えば偽作経典)です。 しかし、日本の宗派仏教は、(中国経由で取り入れたために)その修行法の説かれていない法華経等の大乗経典に基づくものであり、そのため法力がないまたは法力を失っていると思われます。 法華経等の大乗経典には、仏教を信仰することによる「ご利益」や「仏教信仰のお勧め」が説かれているに過ぎず、修行方法を説いていません。したがって、仏は、神様のように信仰の対象でしかなくなっているのです。日本の仏教は、偽物の仏教ですので、仏教としてパワーがないのです。 それゆえ、政治活動に活路を見出す排他的な宗教団体も出てくるのだと思います。本来、真理を説く理念の高い宗教ならば、政治的主張や信条にかかわらず、分け隔てなく受け入れ、真理を説き、修行させるべきです。 日本の仏教を立て直すには、各宗派のお坊さんたちは、阿含経に基づく南伝仏教(上座部仏教)や、阿含経を取り入れて修行しているチベット仏教を、各宗派に取り入れて、教義を立て直し、修行し、一般人にも修行させるよう門を開く必要があると思います。 仏教は、本来、すがるための宗教ではなく、仏陀になるための修行をさせる宗教なのですから。 現代の一般人は、昔と違って、知的レベルも高く、場合によってはお坊さんより知的レベルの高い人もかなり多いですから、お坊さんと同じ修行ができるはずです。(もっとも、お坊さんたちも、仏陀になるための修行はしていませんが。)

回答No.8

皆さんいろいろお答えなので、ちょっと違ったアングルで…(長文です。ご注意(笑)) 「日本の仏教」だけがそうなのではなくて、いわゆる「世界の仏教国」の大半で「仏教発生当時の姿」とは違ってしまっている…というのが歴史学的な常識になっているようです。 比較的釈迦の仏教を正確に伝えているといわれていた南伝仏教(タイや、スリランカあたりもそうなのかな?)についても、実はその根拠になる経典の成立は今日本に来ている大乗仏教の経典とほぼ同じ時期になるのではないかと推測されています。 日本の仏教は、ご存知の通り中国の影響を多分に受けています。特に「禅」は中国の思想をモロに取り込んだとも言われています。コレ、違和感を持って捉えられる方も多いでしょうが、調べてみるとわかりますよ。 更に、日本が仏教を吸収していた時代と、中国で仏教が(効能主義的に)受け入れられた時代とが合致し、宋であるが故に日本も「効能主義として」仏教を受容したというのが「日本の仏教」を形成するのに大きな意味を持っていたと思えます。 質問者さんは「一神教」的に捉えられていますが、日本の仏教はそんな理由から多分に「多神教」の様相を呈しています。 …そういわないと奈良時代の寺院の大半が薬師や観音を祀っている根拠が説明できない(笑)。 聖徳太子でさえ(最近は架空人物説も唱えられていますが)祀ったのは釈迦ではなく、薬師です。その聖徳太子を供養する(?)法隆寺には観音の影が多分に見えます。 ちょうどその「中国の仏教を真正面から受け入れていた」時代の最後に当たるのが空海と最澄。どちらも「密教」という思想を持って帰ってきています。空海は密教のために、最澄は「天台思想(法華経を中核にする思想)」を学びに行き、その帰途縁に恵まれて、それぞれ密教を持ち帰っています。空海の密教に関して言えば、それ自体は曼荼羅に構成される約1000もの仏らによって構成された多神教です。日本人はその「効能主義的な多神教」を好んで受け入れた(古代神道もどちらかというと多神教的な正確を持っているので、わかりやすかったのでしょう(笑))のが正直なところです。 初期の「経典」が成立した時点で、もうすでに仏教の変質は始まっていた…現在世界に残っている仏教を多面的に分析するとそういう答えが返ってくるようです。 それは、釈迦が「悟りの道」は直接の弟子に指し示したけど、それを更に多くの人に説く方法…つまりリーダーシップ論の指導をしなかったことに原因があるのではないかと考えています。 更に、釈迦の指導スタイルは「対機説法」と呼ばれています。つまり、がんばりすぎている人には「がんばるな」、怠けている人には「もっとがんばりなさい」という指導をし、それが教えを受けた人にマッチするように釈迦自身がアレンジをしていた…というものです。 したがって、釈迦の死語、弟子たちの中でも意見の食い違いが見られ、それらは一度集められて(「結集(けつじゅう)」といいます。2回ありました)経典として整理されましたが、それでも意見の統一までには至らなかったのです。 釈迦の仏教は残っていない…そう考えてしまうのは悲観論です。ボクもそう思ってしまってジレンマに落ちていたのですが、仏教学者で大学教授の中沢新一氏が、夢枕獏ほかと行った対談集「ブッダの箱舟」(中央公論新社)の中で、面白いことを言っています。 「釈迦って、触媒なんだよね、きっと」 釈迦自身が「自分を崇拝しろ」とは一言も言っていない以上、釈迦に原点を求めるのではなく、自分の内面に原点を求める。そのきっかけが釈迦なんだ…そんなないようだと思います。対談はもっとバカ話的に、でももっと高度なレベルで展開されますが(笑)。 いずれの宗派もその釈迦が起こした「仏教」を基点に、釈迦的な考え方を発展させて包摂していった経緯があるのですから、「なにが仏教で、なにが仏教でないか?」的な議論はもはや成立しえないのだと思います。 学者レベルの話をすれば、もう「日本の」「中国の」「韓国の」「チベットの」「インドの」というレベルでの仏教の解釈はしていないと思います。あくまでも「インドで釈迦が作り出し、それがどのような経緯で発展し、その過程でどのように変質して行ったか…というレベルで話が進められています。 「各国の仏教」は、その課程でどの時代のどの思想を受容したか…その問題でしかないのです。 往来が楽になったことで、日本に来た経典とチベット語訳、サンスクリット原典などの比較対象が研究されています。徐々にそういった知識が浸透していくと、もしかすると「国別の仏教」という考え方はナンセンスになるかもしれません。 以上、回答になっているかどうかわかりませんが…

noname#115004
noname#115004
回答No.7

>現在の日本の仏教 日本の宗教、もしくは仏教の流れをくむ宗派ということなのでしょうか? 正確には、日本の「仏教」はありません。釈尊がインドで説いた八万四千宝蔵の経典(経巻)をさして「仏教」といい、中国に渡り漢訳がなされ、奈良・平安時代に日本に入ってきました。その経緯の中で、各学僧の残した解説書的なものを釈疏といいます。それらを元に時の宗祖が興したものが宗教です。  「神」という存在を信仰することは、仏教ではなく神教です。日本にも古来から存在します。また、仏教にも「神」という存在はありますが、信仰の対象として根本尊仰するものではありません。  日本の多くの家庭で、この建て訳がなされていません。仏壇に仏様を飾り、神棚を設けお札をはっています。見たことはありませんか?また、生まれてから神社に行きお参りをし、結婚式はチャペルで、もしくは神前で。葬儀はお寺の御僧侶が行うなど。基本的に、日本人また、日本の社会は宗教(仏教)無知です。  また、すべての宗派が、釈尊の本意にかなった教義を実践、社会で展開しているかといえば、していません。日本の宗教ほど形骸化しているものはないのです。それは、時の権力者が上で、僧侶は二の次という 体質があるからです。だから、出来事を歴史の時間に勉強する程度で、教義などは勉強しません。難しいということもあるでしょうが、一般の人に、宗教(仏教)について、利口になられると困る人がいるのも事実です。鎌倉時代、日蓮大聖人が、事あるごとに流罪されたのもこのためです。

  • katyan
  • ベストアンサー率9% (201/2029)
回答No.6

仏教と宗派の違いを見てください

参考URL:
http://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html
noname#15563
noname#15563
回答No.5

日本の仏教って何なのでしょうね。いろんな習俗が吸収されていて、たぶん、仏教が生まれた当時のインドや、日本に伝来された頃とはだいぶ違うのでしょうね。明治以前は仏教も神道も一緒でした。特に真言密教は神仏混淆です。政治の力で分離されたのですから、どうにでもなるあたりが、人間ですよね。日本の神々は神道ではなく、アニミズムといった方が正解ではないでしょうか。天皇の神道はこれも明治になって国家統一される過程で形作られたものです。宗教関係者は詳しくいろいろお答えするでしょうが、かえって分からないですね。本当に、「日本の・・・」仏教だと思います。でもその教えは、日本人の心のよりどころですね。

  • atom40
  • ベストアンサー率23% (16/68)
回答No.4

現在の日本の仏教というのは、いくつかの宗派のことでしょうか。どの宗派のお寺に行っても、複数の仏像があると思いますが? 一般には如来が中心、脇持とかで両側に2体の3体がご本尊様としてまつられていますね。まあ主役は如来ですけど。仏教は多神教であり、神様に格の違いがありますが、お地蔵様とかまでみんな神様なのですよ。

  • seducer
  • ベストアンサー率32% (87/265)
回答No.3

さて仏教発生当時というのは、どこまで遡りましょう。 確かに釈迦の教えから現在の仏教を見るとまるで違った宗教のように見えますね。 おそらく一神教のように見える部分と言うのも理解できます。 私も極楽浄土を願い阿弥陀仏を祈る様は、天国に行く為に神に平伏すユダヤ・キリスト・イスラムの一神教とどこが違うのかと思います。 苦から解放される為、あらゆる執着を捨て去る釈迦の教えは実践は難しく、その教義を一般の方にとって理解しにくいものです。 どのような崇高な理念を持って生み出した団体であっても、長い歳月と肥大化とともに当初の理念は失われ腐っていくものです。 そして難解な教義そのものではなく個人崇拝や偶像崇拝という安易で分かりやすいものに頼ってしまうのです。  その教義は後世の者によって曲解され新たな意味が付加されるばかりか、釈迦の言葉とは無縁のオカルティズムまで融合して変容してしまうのです。 もちろん釈迦自身も当時のバラモンの神々を話の中に登場させたのも布教の為だったでしょうが… しかし日本のという言葉は的はずれでしょう。 オカルティックな密教はチベットにも他のアジアの国々にもあり、在家信者の現世利益を願う仏教系新興宗教は世界中にあります。 日本の仏教がその中で特異というわけではないと思います。  けれど釈迦の頃の仏教に一番近いのってオウム真理教なのかも。(あくまで教義の範囲) 仏教は元々世を捨て出家した者の団体だったのですから。在家信者が解脱を得る事などないのです。 だって煩悩を払えず執着を捨て切れない人々なんですもの。 だから仏教の変容はある意味時代の流れだったのかも知れませんね。  何にせよ、今の世界にはモーセもイエスもマホメットも釈迦も空海も日蓮もいません。 精神的な指導者たる偉大な宗教的カリスマがいないと言う事です。 2000年前の教えを超えられないところに宗教の限界を感じますね。

  • mashahide
  • ベストアンサー率15% (20/133)
回答No.2

諸外国と変わらず普通だと思いますよ。一神教でもないですし、そものも”神”と言う考え方ではないですし。どの宗派に対してお思いなのですか?

  • yetinmeyi
  • ベストアンサー率21% (761/3595)
回答No.1

初心者のための仏教入門

参考URL:
http://butsuzo.cside.com/index.html

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