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日本的因果応報観の歴史的な流布具合について

お世話になっております。 「先祖が武士で人を切っていた因果(業)で・・」とか、「親の因果が子に報い」とか、日本的な因果応報観があります。正統的仏教からは、間違いですね。質問の趣旨は仏教的・哲学的に正しいかどうかではなくて、これの流行具合と歴史的な展開が知りたいわけです。お願いします。 家単位で、因果応報(世俗的意味での)を捉える傾向は、5・6世紀の中国ですでに見えているようで、カルマは個人の問題として捉えるべきことが注意されていたと思います。中国には、『易』の有名な思想がありますので、起源は中国思想に求められることは分かります。 しかし、こういったことを、中国や日本の高僧が相談を受けているのかどうか知りませんが、在家信者に「それは仏教的には間違いだから気にするな」と教えているような例が残っているのでしょうか? どれほどその誤解が流布していたのか・・。 文学にはなにかあるでしょうか?たとえば平家物語を因果応報の文学として読むことができるという解釈がありますが、清盛の因果を子供達が嗣いでいるという理解が出来るでしょうか? 安徳帝は十善の徳がつきて海に消えたわけですし、清盛の因果が報いたとは書かれていません。清盛自身は死後地獄に堕ちていますので、一方的に子孫が贖っているわけではなくて、清盛の罪は清盛で完結しているとも考えられます。しかし、平家一門全体の悪徳がつもったとも見られます。源氏物語や和泉式部日記で、不倫する登場人物が、自らの後生は心配しますが、子孫に障碍が残ると言って恐れてはいない気もします。 戦国大名などはどうでしょうか? 後生だけではくて、子孫の因果まで心配しているのでしょうか? どうもわかりません。いつ頃から、「親の因果が子に報い」的因果応報観は国民的支持?を得たのでしょうか? そもそも「親の因果が・・・」は、どこが出典ですか?

noname#10410
noname#10410

みんなの回答

  • souziki
  • ベストアンサー率24% (116/482)
回答No.1

多分、カテゴリーを変えたほうが回答を得やすいと思いますよ。歴史か文学辺りにもっていかれたらどうでしょうか。 戦国大名……小さい諸大名では親の仇を子ではらす、ということはあった、と思います。親子共々拷問、というような。 平安時代までいわれてみると……確かにそんな気もするのですが……。すいません。あまりよくわかりません。 またどこかで、またどなたか、回答してくださられるといですね。

noname#10410
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 そうですねぇ。ちょっとタイミングもまずかったのかも。詳しい人もよく出入りされているので、答えてもらえるかなぁなどと甘えたことを考えておりましたが(汗)、そうそうこんなマニアックな問いにいつも答えが見つかるわけではないですよね^^。 ま、しばらくあけておいて、またぼちぼち聞き直すなりしてみます。ではでは。 私の今の見通しだと、思想としては古いけど、流行したのは案外新しいような気がしています。

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