- ベストアンサー
日の丸・君が代が嫌いな人
よく日の丸や君が代に反対している人がいますよね? 公式行事なのに国旗を掲揚しなかったり君が代を歌うのを拒否したり・・・。 過去の戦争で日の丸・君が代にいい思い出がないという話は多少理解できるとして、反対している人たちは結局のところ最終的には何が狙いなんですか? 新しい国旗や国歌を作るつもりなんですか? 公立高校や国立大学の教師で日の丸・君が代に反対している人を見ると『だったらなぜ公立に入ったの?国歌や国旗が嫌いなら国政で作ったトコに入らなきゃいいのに』って思うし、国歌や国旗が嫌いなら日本から出て行きゃいいのにち思います 反対している人達は何が狙いで何をどうしたいんですか?
- みんなの回答 (16)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
国旗・国歌反対論者の捉える“国”と賛成論者の捉える“国”がそもそも別のものなのではないでしょうか? 反対論者の言う“国”とは、権力構造である政府、政権、また、それを担保する軍事力、警察力などの強制力が一体となったものであり、 賛成論者の言う“国”とは、民族的、民俗的、言語的、文化的、地域的、歴史的 共同体のことであると言えるのではないでしょうか。 反対論者が国旗・国歌に反対するときは、大体において過去の“国”による軍事的強制力の行使(国内外を問わず)を問題にし、その暗い影を想起させる当時のままの国旗・国歌に対して“防衛本能的に拒絶”しているように見えます。 対して、賛成論者の考える“国”とは、共同体であるから、統合(あるいは識別)マーク(ここでは国旗)や、民心をまとめるもの(ここでは国歌)を欲するのは自然なことと“感じて”いる。 事の大前提が違うのだから、分かり合うことがあるはずもなく、別々の舞台に立っている者同士が同じ芝居を出来ないのと同じで、永遠にかみ合うことの無い論争なのではないでしょうか。 結局、国旗・国歌に反対している人たちは、別に何も狙いがあるわけではなく、“国”=強制力 に対する恐怖 から、逃れたい一心でそのような行動に出るのではないでしょうか。で、“国”=共同体 と捉える人たちは、 統合アイテムであるところの国旗・国歌を求めるのは自然なことなのに・・・なんで反対するの?と反対する彼らを理解できないという図式なのではないでしょうか。
その他の回答 (15)
- yatagaws
- ベストアンサー率21% (73/333)
多くの意見が出ているので簡単に申します。国民として国旗、国歌を愛しいつでも掲揚、歌えるものにする大切です。学校などでは毎日国旗をかかげ、ことあるごとに国歌をうたいましょう。ただし、現在の国歌には内容的に反対する人も多く、メロディーも国際的にみていまいちです。国歌を日本古謡の「さくらさくら」にかえましょう。メロディーはきれいで、国際的にも受けるから。「日の丸」はわかりやすくて世界で一番よい国旗と思います。 余談ですが、世界で国歌(メロディー)のきれいなのは「ベトナム」と「東チモール」のもの。アメリカとかフランスのは戦争を意識したもので内容はひどいものです。
- yusha2005
- ベストアンサー率0% (0/1)
天皇制があることはまだしも、君が代が国歌である以上は、日本は本当の意味での民主国家にはなれないと思います。 君が代には、ただ「天皇よ、栄えあれ」とのメッセージしか入っていません。肝心の国民が入っていないのです。それでは、国民主権なんてできるはずがありません。 そういう意味で、反対している人もいるかもしれないと思います。
- yushimadiode
- ベストアンサー率68% (40/58)
No,12の方がdemocracyの訳語について他サイトの引用を紹介しておられますが、まずrepublicanに対してrepublicanismは「共和主義」の意味で普通に用いられると思います。また、英語democrat/democracyはフランス語democrate/democratieからの借用で、語源上はaristocrate/aristocratieからの類推ですが、aristocrateには「貴族」だけでなく「(貴族制を信奉する)貴族主義者」の訳語もあり、これに対応する形でdemocrateが「(民主制を信奉する)民主主義者」、またdemocratieが「民主制」だけでなく「民主主義」と別称されているとしても、それほど不自然ではないと思います。 (17世紀末の文献でrepublicanがnationalistと同義で用いられていたり、republicanismが政体としてのrepublicをさしていたり、ラテン語のres publicaは『国家』そのものだったり、ギリシア語のdemokrateiaが現代語ではrepublicの意味だったりと、『本家』でも一様ではありません) democratismという英語も大きな辞典には載っていますが、「形式的な民主主義」など否定的な語感があるので「民主主義」の英訳には適さないでしょう。 「~制」「~主義」「~思想」の漢語にあてられている英語の接尾辞は-ism,-cy,-ology,-isticなどさまざまで、そのどれもが漢語と厳密に一対一で対応するようには元々なっていません。政治学的・行政学的には別かも知れません(democracyとliberalismが異なる次元の概念であるというのはその通りです)が、言語学的・語源学的には「民主主義」の訳が誤っているとか、日本語圏でしか通用しないとは必ずしも言い切れないと思います。 vomildさんのご質問ついては、以前にも同様の質問に回答していますので、よろしければそちらをご覧ください。ただ、立憲君主制の本場イギリスでも、皇太子が社会科教科書を紹介したスウェーデンでも、OECDの学習到達度調査(PISA)で首位に立ち日本の教育界から注目されるようになったフィンランドでも、日本と同じ旧敗戦国のドイツでもイタリアでも、その他多くの(正確に調べあげていないので『多くの』としか書けませんが、たぶん『全ての』と書いて差し支えないでしょう)ヨーロッパの国々でも、学校行事での国歌斉唱など初めからやっていませんし、そのことによってこれらの国々が無政府状態になりつつあるとか人々の愛国心が薄れている、などという話も聞いたことがありません。ご質問のテーマを考える上で参考にしていただければと思います。
- yuhkoh
- ベストアンサー率48% (350/723)
日本の国家体制はそれこそ大和朝廷樹立以後、いわゆる君主制に分類されますね。そして、明治維新以後はそれが立憲君主制であり、それは現在まで変わっていません。戦後は大日本国憲法から日本国憲法へと法改正されましたが、、立憲君主制という国家の基本体制までが変わったわけではありません。 『軍事板常見問題』「アジア・太平洋方面FAQ 総記・組織」 http://mltr.e-city.tv/faq08j.html <【質問】戦前日本も充分民主主義だったという説を聞きましたが、実際はどうなんでしょう?>より 「まず,民主主義は、本来は「主義」(-ism)ではありません。 体制概念(-cracy)であり、君主制(政)、独裁制(政)、貴族制(政)、寡頭制(政)、民主制(政)…といった具合に、主権者は誰であるかということを示す概念であって、自由主義(-ism)というイデオロギーとは別物です。 国民の意志に従って政治が行われるという形式が制度上保証されていれば,民主主義と呼ぶことに問題ありません。 自由主義であり、君主制(立憲君主制)というのは、十分に成立します。共産主義であっても、実質は独裁制であっても、形式上は民主制というのも、十分に成立します。思想・良心の自由が保障されているかどうかはまた別の問題なんです。 すなわち、Democracyは、民主制、民主政治と訳すのが正しく、「民主主義」というのは厳密に言えば、「誤訳」なんです。簡単に言ってしまえば、「民主主義」というのは、何者かが作った「日本だけのイデオロギー」と言っても過言ではないのです。 例えば、共和制をrepablic、そのの支持者をrepablicanと英語では言いますが、決してrepablism(共和主義)、repablist(共和主義者)とは言わない。 民主制の支持者をDemocratと英語では言いますが、決してDemocratism(民主主義)、Democratist(民主主義者)とは言わない。 イデオロギー概念ではないものに「主義」を適用するのは、非情に困った間違いなんです。厳密に政治学的・行政学的に言えば。 さらに言うならば、多くの君主制国家は、日本で言う「民主主義的」、あるいは正しく「自由主義的」であっても、民主制ではない。「立憲君主制」であります。イギリスのごとくに、如何に普通選挙による議会(特に、英国の場合は下院)の権能が強かろうが、立憲君主制であるという事実は変えようがありません」 ですから、日本は立憲君主制であり、その君主(天皇)の上位に立つ憲法に「国民主権」が明記されているのですね。だから日本国国歌が、国家の基本的体制である君主(天皇)を称える歌詞であっても、それは国民主権に対立するものではないといえるでしょう。 ですから、“「君が代」は国民主権を謳っていないから国歌にふさわしくない”という批判は少し的外れなように思います。君主制の廃止を求めるのであれば、「君が代」を認めるわけにはいかないでしょうけどね。もっとも「日の丸・君が代」論争はもはや政治闘争に利用されている観があって、手段(日の丸・君が代反対)と目的(君主制廃止)が主客転倒しているようにも思いますが。
お礼
ありがとうございます >国家の基本的体制である君主(天皇)を称える歌詞であっても、それは国民主権に対立するものではないといえるでしょう。 なるほど。かなり説得力がありました。 >もっとも「日の丸・君が代」論争はもはや政治闘争に利用されている観があって、手段(日の丸・君が代反対)と目的(君主制廃止)が主客転倒しているようにも思いますが。 そうなんですよね。だから反対論者の意見には説得力がないのかな。政治闘争に利用している人たちを見ると鼻白む思いがするんですよね。主張が理解できないというか・・・。
- chibifuku02
- ベストアンサー率26% (15/56)
No.7です 前にも話したとおり、「君が代」は天皇制が末永く続くようにと歌われたものです。 「国家と国家体制の繋がりがない」と答えたのは 天皇主権であった当時から、日本国憲法が制定され 国民主権となっている現在において なぜ、天皇主権の象徴となっている歌が国歌として存在するかで反対がでているのです。 ですから、「象徴になっているから国歌にふさわしい」とか 「君が代の歴史を重んじれば」というより 「君が代」そのものが歴史を無視(天皇主権⇒国民主権の流れ)しているものです。 また、学校などにおいて、国歌斉唱・国旗掲揚が強制され さらに、音量を判定する自治体までありましたが 韓国併合の際に日本が行った「国旗・国歌・日本語の強制」と変わりありません。 ですから、何が狙いなどではなく、今の国家体制と結びつくものを 国歌として揚げるべきだ。ということで反対しているのです。
お礼
ありがとうございます >前にも話したとおり、「君が代」は天皇制が末永く続くようにと歌われたものです 天皇制が国家の象徴として持続するのであればそれは国家が平和な証であるからこそふさわしいとの解釈も出来ますよね。 >韓国併合の際に日本が行った「国旗・国歌・日本語の強制」と変わりありません 韓国併合は基本的に日本国となるのだから国歌・国旗を日本にあわせるのも仕方ないかと当時は考えられていたと思っています。振り返ってみるとそれは韓国国民にとって屈辱的であり恥じるべき歴史だと考えています。しかし国歌として存在していた韓国に押し付けたのと、長い歴史の上で歌い継がれてきた物を同等に並べて判断するのはナンセンスだと思うのですが・・・。 >今の国家体制と結びつくものを 国歌として揚げるべきだ。ということで反対しているのです。 その活動の趣旨は理解しました。しかし具体的に何をどうしたいのかが見えないんです。今の国旗・国歌に変わるものを何か提示して提案したししてるのでしょうか?代替案なき反対は単なる自己主張のような気がしてしまうのです。
- lvmhyamzn
- ベストアンサー率8% (50/617)
単なる反対活動好きです。 強制されるいるもは国歌・国旗だけではなく、 国語や国籍、国技・国花・国鳥・風習・習俗だって強制されているのに 国歌・国旗にしか反対しません。 国歌・国旗が本当に変わってしまって困る人はほとんどいないし、どうでもいいような事柄です。 だから反対運動には好都合というわけです。 しかも、戦争のからみで言うならば、日本語だって利用されましたが、国語の授業で日本語を教えていることには反対しません。
お礼
ありがとうございます >国語や国籍、国技・国花・国鳥・風習・習俗だって強制されているのに 国歌・国旗にしか反対しません これは盲点でした。新鮮に驚いています。なるほど。納得です。
- kikiki99jp
- ベストアンサー率12% (132/1021)
no4です。 君が代や日の丸はいまや政治線利用されています。いまほど君が代や日の丸を拒否するものは非国民をある。愛国心のないものは非国民である。といわれるのはなぜなんでしょう。かつて日本が歩んだ富国強兵への道をもう一度歩もうとしているのでしょうか。君が代も日の丸には歴史があるといいますが、人類が生まれて5万年うち、たかが100年たらずを歴史といえるのでしょうか。国民の総意ではなく時の権力者によって決められたものをどうして好きになれるのでしょうか? 国とはなんなのでしょうか?愛されるべき国とは? なぜ国民は国を愛さないといけないのか? 国は常に清く正しく正義であり国民のために存在しているのでしょうか。 わたしは強制強要されるのが嫌いなだけです。 だから君が代がながれても起立したことはありません。 畏敬罪が出きるようになるのが恐い。 世界を平和にするには愛国主義者をなくすことだ。とだれかがいってました。 スレを荒らしたくはないのでもう出ません。
お礼
再度ありがとうございます >たかが100年たらずを歴史といえるのでしょうか 私は充分に歴史であると考えています。100年は重いですよ >国は常に清く正しく正義であり国民のために存在しているのでしょうか それもひっくるめての歴史ではないでしょうか?間違えたり軌道修正したり、いろんなことを繰り返してきたからこそ重いんだと思います。あくまで私の考えですが。 >わたしは強制強要されるのが嫌いなだけです 強制・強要というよりも、日本で育っているからにはごく自然な儀礼だと思います。 >なぜ国民は国を愛さないといけないのか? 自身が育ってきた環境や地域などを考えると自然と愛着がでると思うのですが・・・。 >世界を平和にするには愛国主義者をなくすことだ 国を愛せずに世界平和が成り立つとは思えないんです。 お考えありがとうございました
- ss79
- ベストアンサー率33% (258/765)
私も国旗、国歌の存在は肯定派ですが、現在の国歌には悪い印象ないし記憶が多すぎるのです。 「象徴だからよけい歌っても」といわれますが生理的という位いやなのです。 そのような印象や記憶のない世代には理解出来ないでしょう。 国旗、国歌を強制するのはある目的があっての事ですがその目的に不純なものを感じるのです。 単純に愛国心を涵養するためだけでなく、いずれは命まで捧げる気持ちに持ち込もうというねらいを感じてしまうのです。 私達の世代はそのように育てられ、深い挫折を経験したのです。 日本が嫌いなのではありません。 日の丸もきらいでは無いのです。 ただ強制されるのがいやなのです。 自分ではやりたくない事を強制された記憶があり、それが国旗、国歌に象徴されている思いが消えないのです。 そのような経験記憶を持って欲しくないだけです。
お礼
ありがとうございます >そのような印象や記憶のない世代には理解出来ないでしょう たしかに私の年代にはなかなか実感として理解できない深いものかもしれませんね >いずれは命まで捧げる気持ちに持ち込もうというねらいを感じてしまうのです 実感として理解できない部分があるからこそなんですが考えすぎなんじゃないかと思うし、国家・国旗に命を捧げる気持ちは決して不純とは思えないのです。 ただ、戦争を経験したことのない世代の甘さかもしれないですね
- chibifuku02
- ベストアンサー率26% (15/56)
そもそも「君が代」は日本国歌ではあるものの 天皇が治めるこの世が何年も何年も栄えるようにと歌われたものです。 現在、天皇は国民の象徴となっていますので、国歌の方が今の日本に対して当てはまらない。というのが反対理由です。 日教組とか、少数の団体とか言う前に、国歌がどういう意味を持っているのかを考えるべきです。 たぶん、国歌と国家体制に繋がりのない歌を歌っているのは、日本くらいになっているでしょう。
お礼
ありがとうございます >現在、天皇は国民の象徴となっていますので、国歌の方が今の日本に対して当てはまらない。というのが反対理由です なるほど、初めてそういった冷静な分析の意見を聞きました。参考になります ただちょっと気になったのですが象徴になっているからこそ国歌にふさわしいような感じもするんですよね。 >国歌と国家体制に繋がりのない歌を歌っているのは 仮にそうだとしても君が代の歴史を重んじれば決して意味がないとはおもえないんですよね。 あくまで私の感想なので。 違う視点のご意見ありがたかったです
- shkwta
- ベストアンサー率52% (966/1825)
人々の主張等から見てこんな感じだろう、というところに過ぎないので、参考までに。 (1)理由や、考えは人によってさまざまだと思います。 (2)まわりの空気に合わせているだけの人や、所属している団体の方針だからという人もすくなからずいると思います。 (3)国家の打倒、無政府主義を主張する人もいるかもしれませんが、少数派だと思います。 (4)選挙を通じて政権交代を実現し、自分の支持・所属政党が政権に参加することを望む人はかなり多いと思います。 (5)20世紀始め頃から1945年にかけての大日本帝国政府の行動については、否定的な評価をする人が多いと思います。 (6)新しい国歌、国旗の制定を望む人もいると思いますが、少数派だと思います。 (7)現在の国旗と国歌を廃止することは主張しないが、国旗への敬礼や国歌の歌唱を強制されない権利を認めてほしいという人は多数派だと思います。ではなぜ強制されたくないかについては、現在の国旗と国歌が国民主権を象徴するものとは感じられないという人が多いと思います。 (8)これは過去から継続している対立が長引いているもので、各団体でもいまさら後には引けないという事情があると思います。 (9)この問題に関する態度が、立場の旗印・シンボルになっている面があると思います。これに関して、実際に行事などでどうするかが踏絵のように感じられる人も多いようです。そのため、裏方や受付など会場に入らなくてよい役を選ぶ人もいるようです。 (10)国旗と国歌の強制がいいとなると、言論の自由など表現の自由を規制することも有りになると心配する人はかなり多いと思います。 (11)公務員である人については、国家に雇われているからと言って、現在の政権政党を支持する義務まではないと考える人が多いと思います。 (12)最終的な目標は、学校の式のように参加・不参加が自由でない行事では、国旗・国歌を用いないのが望ましい、というあたりに落ち着くのが、(過激な人は別として)平均的なところと思います。一方、政府としてはすべての国民に国旗・国歌を用いる行事を経験させたいところですから、この対立は収束できない状態になっています。 ご質問の意図と異なる場合は補足してください。
お礼
ありがとうございます かなり本質的で興味深かったです 5・8・9あたりはなるほどと頷いてしまいますね 10に関しては私は意見を反にする考えですが、そういう風潮はもっと深く検討するべきなんでしょうね (私は国歌・国旗の法令化は言論・表現の自由を規制するとは考えていない立場です。参考までに) 11が一番興味深いですよね。理屈は最もですからね。 12のあたりがいつも考えちゃうトコなんですよ。国旗・国歌を用いないのがなぜ望ましいと考えるのか・・・。 色々とありがとうございます 考える座標を頂いたように思えます。
- 1
- 2
お礼
ありがとうございます >国旗・国歌反対論者の捉える“国”と賛成論者の捉える“国”がそもそも別のものなのではないでしょうか? そうか。そうゆう考え方が成り立つのか。これは見事でした。納得です。