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有限個存在するとはどういうことか

モーデルの定理というもので「~が有限個存在する」というものがあったと思うのですが、有限個存在するとはどういうことでしょうか?有限個というものは1であってもいいし、10000000であってもいいし、93857282758282であってもいいし、いろいろあると思うので、可能性としては無限にあると思うのですが、つまり無限個存在するというのと有限個存在するというのではどこか違いがあるのかわからないのです。わかる方がいたら、教えてください。

  • corpus
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回答No.2

No.1さんのおっしゃる通り、「有限個存在する」というのは、「無限には存在しない」です。数学では多くの場合、「具体的な個数はわかっていない(調べていない)が、無限には存在しない」という意味で使います。具体的な個数を挙げるのが面倒、もしくは特に意味が無いので、具体的個数を書かないこともあります。 有限個存在する、ということの証明方法には、無限個(または、ある個数以上)存在すると仮定して矛盾を導く方法があります。モーデルの定理を知らないので、これに使われているか知りませんが

corpus
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。 無限個か有限個のどちらかであるから、「有限個存在する」は「無限には存在しない」といえるのですね。

その他の回答 (3)

  • ryn
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回答No.4

モーデルの定理の証明が無限個あるとして矛盾を導いたのか, 上から押さえて高々有限個といえたのかは知りませんが, 有限個であることをいうのに具体的な個数を知る必要はないと思います. > オセロがたかだか64の階乗通りであることはわかります。 > このようにたかだか有限個だというときがあるといっていいのでしょうか? よいと思います. ちなみに No.3 での例は 円がおさまる正方形を考えればよいです.

corpus
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • ryn
  • ベストアンサー率42% (156/364)
回答No.3

具体的個数に触れなくても有限個であることが言える例は いくらでもあるように思います. たとえば,  原点を中心とする半径 93857282758282 の円周上の  格子点の数は有限個存在する という命題があったとします. わたしには格子点数がいくつかはわからないですが (2*93857282758282)^2 以下であることはわかります. モーデルの定理とは全然次元の違う話ですが こんな感じで上から押さえて 無限個存在しないことが証明されたのでは?

corpus
質問者

お礼

ありがとうございます。 >わたしには格子点数がいくつかはわからないですが (2*93857282758282)^2 以下であることはわかります. この例は私にはわかりませんでしたが、例えば、オセロがたかだか64の階乗通りであることはわかります。 このようにたかだか有限個だというときがあるといっていいのでしょうか?私の理解はこれでよいのでしょうか?

回答No.1

フェルマーの最終定理でしたっけ? 「有限個存在する」ということは、言い方を変えると「無限には存在しない」ということだと思います。

corpus
質問者

補足

たしかに、私もフェルマーの定理で知りました。 無限に存在するというのは例えば「二点を通る円は無限に存在する」ということだと思います。そうではないということをたぶん有限個存在するといったのだと思います。 しかし、私が疑問なのはなぜ有限個存在するということが言えたのかです。48390028個であったり、518949個であったりしていいのは特にふれていないにもかかわらず、です。

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