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ウィーン体制・・・・・

ウィーン体制~七月革命~二月革命~ルイ=ナポレオンが国王になるまでの経緯(なんでこうなったか)がわかりません、どなたか教えていただけませんか??

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  • Ryu831
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回答No.1

1824年 シャルル10世が即位 絶対主義を目指した古い反動政治を行い、貴族らを重用して議会を圧迫する。 要は民主主義に近づきつつあったフランスの政治体制を、革命前の体制のように戻そうとして、これが自由主義者達の不満を買ってしまう。 1830年7月、議会を弾圧的に解散し、これに怒ったパリの市民が放棄して革命が起こる(七月革命)。 1830年 ルイ=フィリップが即位 当時のフランスでは、人口の1%しか選挙権がなかった。そのため、これををあらためさせようという,市民・労働者の運動がおこっていた。 1848年2月、選挙法改正の要求が退けられたのを機会にパリで暴動が起き、ルイ=フィリップが亡命、臨時政府が樹立された(二月革命)。 二月革命によって成立した政府は王様(国王)がいない、すなわち共和政(議会が中心の政府)だったので、12月に大統領選挙が行われ、そこでルイ=ナポレオンが当選して大統領となる。 1851年、議会の一派が反動政策で人気を落とすと、彼はクーデターを起こして独裁権を握るようになる。 翌年の国民投票で信任され、正式に皇帝を名乗るようになり、ナポレオン3世と称した。 非常に大雑把ではありますが、流れがつかめればと思います。主要な事は教科書にでも詳しく出てるのでそちらを参考にしてください。

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質問者

お礼

ありがとうございました。。

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