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新極真?

もう結構経ちますが、極真と書いてあった道場がいつの間にか新極真と書いてありました。 新極真のホームページでは理念がどうのこうので立ち上げたと書いてありましたが、極真が新極真になったの?それとも内部分裂か何かで別に立ち上げたの? 極真ていろんな団体があるんですか?

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回答No.1

こんにちは。 極真空手は、始祖の大山倍達総裁が亡くなった後、 内部分裂によって、大きく分けて松井章圭率いる松井派と緑健児率いる緑派に分かれました。 (大山総裁は松井を後継者として指名していたので松井派が一応正当な流れになります。 ちなみに、緑派は支部長会派だったかな?自信ないです…また、この2派のほかにも「真を極める会」などいろいろ分裂したようです) で、しばらくは極真空手・松井派と極真空手・緑派が別々に存在していたのですが、 最近になって一応の正当な流れである松井派が「極新会館」を商標登録したため、緑派は流派名を変更した… といった感じだったと思います。 手元の資料が乏しいので正確かどうかはわかりません。すいません…ほかの方の意見も参考にされてください。

noname#11177
質問者

お礼

ありがとうございました。さんこうになりました

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  • markymac
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回答No.2

大山総裁が存命中から分裂直後まで極真の道場に通っておりました。 #1の方の説明で、新極真設立に至る経緯は大体間違いないと思います。一つ未だに疑問なのは松井氏が真に後継者に指名されたのか、不確実なこと。総裁が元気な時に、きちんとした形で皆に大々的に発表しなかったがために、後々まで継続する後継争いへと発展してしまいました。 これについては様々な利権や主義主張が絡み、ドロドロになってしまい、多くの道場生やファンを失望させる結果となりました。 テコンドーの分裂がオリンピックの際に話題になりましたが、少し似ていましたね。 新極真は先の商標の関係で新団体の形をとったものだと思われます。元は一つの団体だった訳で、稽古の体系や昇級、昇段に至るまで、それほど大きな差はないはずです。どちらにせよ大山総裁の遺伝子を受け継いでいるんですから。

noname#11177
質問者

お礼

ありがとうございました。さんこうになりました

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