• ベストアンサー

神の存在証明について

神が存在するか否かという命題を、経験論的もしくは宇宙論的に説明・証明しようとしています。 カントとヒュームを用いたいと思っているので、経験論中心になるかと思いますが、何か構成や、宇宙論に対する良い案なのはないでしょうか? アドバイスよろしくお願い致します。

noname#13673
noname#13673

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#80116
noname#80116
回答No.2

 何を《神》と考える(または想定する)かで 議論は ちがって来るように思います。(いわゆるキリスト教のなかでも 時に ちがった捉え方をしている場合が まま あります。)  経験合理性に基づき 神を定義する仕方を考えました。よかったら参考にしてください。  《考えても 分かるか・分からないかが 分からない という領域》 これを神とする想定のもとに 個人の信仰のうちに 存在すると 表現しうるはずだと論じます。

参考URL:
http://d.hatena.ne.jp/bragelone/20040914

その他の回答 (1)

回答No.1

カントとヒュームを使いたければ、使えばよいと思うのですが、ここでなにを聞きたいのでしょう? ただ、テクスト解釈で、日本の哲学の先生などは必ずしも信用していないので、私の勝手なカントの解釈を述べれば、 ものすごく一言で言えば、 論理と直感だけでは、倫理も導けない。 よって、 内なる良心に耳を傾けろ。 で、そうした良心が純化されていったところに宗教、神がある っていったところでしょうか。 宇宙論は、神をまったく必要としません。 もしくは、なにか宇宙論で利用される概念のなにかを、 勝手に宗教用語として「神」と名づけることは可能かもしれませんが。 かなり、神という用語はいろいろな使われ方をしているので、この辺は融通が利くと思います。

関連するQ&A

  • 神は存在しない、神は「妄想」です!

    従来から、神の存在証明には、以下の3つがあります。 (1)自然神学的証明(一名、目的論的証明) これは生物の仕組みがものすごく精巧にできていることから、このような生物は神がいて、その神が設計図を引いて創ったに違いないと推論し、神の存在を証明しようとしたもの。 カントは確かに生物の仕組みが合理的に精妙にできているのは確かだが、だからと言って神が存在するとは言えない、と批判しました。 ダーウィンの進化論では、生物は長い歳月をかけて、現在の精密な仕組みを作り上げたことが分かっていますので、この証明は今では無効です。 (2)宇宙論的証明 これはアリストテレス、トマス・アクィナスの証明と言われるもので、以下のようなものです、 「この世には運動するものがあるが、それには原因がなければならない。そして原因があれば、その原因も結果であり、さらに原因の原因がなければならない。しかし、原因の原因も結果としたら、さらに原因の原因の原因もなければならない。かくて原因の系列は無限にさかのぼってゆく。しかし、人間は無限にさかのぼることはできないから、どこかで初動者とか、第一原因に突き当たらざるを得ない。その初動者とか、第一原因と言われるものが神である」と。 しかし、無限にさかのぼるということは、行けども行けども果てしがないということであり、どこにも行き着かない、ということです。 アリストテレス、トマスは初動者とか、第一原因に突き当たるというけれど、突き当たりません。 だから、この証明は間違いです。 (3)存在論的証明(一名、本体論的証明) これは一切の経験を除外して、ただ概念のみから最高存在者の存在を推論するもの。 以下のものがあります。 聖アンセルムスの証明。 「神は全知全能、完全無欠の存在である。全知全能・完全無欠の中には、存在も含む。もし、存在を含まなかったら、神の全知全能・完全無欠という定義に反する。よって神は存在する」 デカルトの証明。 「この世に存在するすべてのモノは偶然の存在である。偶然の観念があれば、必然の観念もなければならない。しかるに神は必然の存在である。よって神は存在する」と。 この証明に対しカントは「純粋理性批判」の「神の存在論的証明の不可能の理由について」で、以下のように批判しました。 「神の全知全能・完全無欠というのは、神の述語である。しかるに存在は述語ではない。だから、神がいかに全知全能・完全無欠と言ったからと言って、神が存在するとは限らない」と。 つまり述語とは、もともと主語に含まれた性質なり属性を外に展開したもの、いわば分析判断ですが、しかし存在は主語に含まれた性質でも属性でもない、主語に何ものも加えない、ということ、いわば総合判断です。 アンセルムスの証明は存在を主語に含まれると言っているが、それは分析判断と総合判断をごっちゃにするもので、間違い。 デカルトの証明は、観念としてあるものは実在してもある、と主張するもので、観念があるからと言って実在があるとは限らない、という意味で、間違い。 こうして神の存在証明には、従来3つしかありませんが、そのことごとくをカントは批判し、これをもって西欧の長い神の存在証明の歴史に終止符を打ったとされます。 現在、神は道徳的な行為の元に価値として、あるいは信仰の問題として残っているだけです。 みなさん、どう思いますか? 確認質問です。

  • 神の存在証明についての本

    キリスト教学の授業のレポートで、神の存在証明についてレポートをかくことにしました。 しかし探してみたのですが、1人の証明法しか載っていなかったり、そもそもタイトルで『存在証明』と明記されているものが少なく、検索方法にも困ってしまいました。 そこで質問するという手段に出たのですが、どなたか存在証明について載っている本で「これが分かりやすいよ!」「いろいろ載ってるよ!」というのを知っている方がいらっしゃれば、回答していただけると幸いです。 授業では 目的論的証明 本体論的証明 宇宙論的証明 道徳論的証明 についてさらっと触れたので、これらの証明の話が(簡単にでも)載っている本だとより良いなと思います。 なおお手数ですが、図書館や本屋で手に入る本だとありがたいです。

  • 神の存在証明[現代]

    神の存在を証明しようとした人は歴史上数多くいますが、 今日までに行われた存在証明で最も理論的な証明は何でしょう? 証明を行った人とその方法を教えてください。 "いる"でも"いない"でも結構です。 また、いくつか挙げていただくだけでも結構です。 また、ご自分の論でも結構です。 ただし、論理的な証明のみでお願いします。 よろしくお願いします。

  • 「神の存在証明」やってみましょうか その4

    現在の日本には固有の神があるのに参考書が西洋だ。 それは仕方ない。 むしろ神にすら疑いを抱く風習がなかったことを美徳とするのが良いだろう。 さて、私の命題は人間の追及で、信じるとしたら神の事でなく人間を信じる取り組みだった。 そして、個人的に無量光という「観念の純粋な光」に到達した。 神は考えたことがなかった。 しかしだ、その純粋な光が意志を持ち私に話しかけていることに気が付くと、日本人であるゆえに、ごく自然に「アマテラス」と答える。 自己の存在の確信、これだけでも実は骨が折れる哲学の命題で、人間であると教育で刷り込みを受けた自覚だけだと中途半端なんだよ。その教育自体が宗教だ。 仏教様式で取り組んだ、探求で無量光に到達したら、自己の自覚でもれなく付録として神様がお友達になったのさ。 はっきりりって、そんなこと考えたことなかった。 ただ、優しい風のささやきに乗せて、信じるなら神でなく人のことだと、教えを受けてきた。 さて、アマテラスさん、とかしこまって話しかける場合には、独自の心構えがある。 アマテラスさんは、神の名として現在アマテラスさんだけど、そう呼ばれる以前からも女神として別の名前があったことを踏まえないでアマテラスさんと呼ぶと極めて無礼なんだよ。 しかし、そこをかしこみ、踏まえたうえでアマテラスさんと呼ぶと納得する。 いわば、何者かすべてを知るわけではありませんが、神としてアマテラス様と呼ばせてください。 こういう態度が必要だ。 さて、参考書として西洋では神に名をつけるなと言われる。 オーマイゴッドというのはどうもギャグらしいけど、実際はこのような過程を経て、自らが思うままに神をたたえるための名は成立するんだよ。 そして、自らが神に話しかけることができるようになるんだ。 キリスト教系での欠点の一つは、そうした形で祭壇で交霊術を行わないで、処刑台で交霊を封鎖した。 祭っているのは神のむくろだ。 イエスの処刑で、神も死んだ神になったからだよ。 散漫な西洋系神学では、神の存在証明を命題にしながら、神の不在である天国を作りたがっている。したがって自分が昇天したい天国に関しての神学研究が今までの命題の実際だよ。 さて、哲学には、既存の命題に取り組むほかに、自らが命題を策案するという研究手法があります。 そっち系の考察でして、読書感想文的に考察をさらに進めるための「つっこみ」をお願いします。 解放された場所で、バカ話大歓迎です、集まるのはキチガイ集団ですので、回答者さんが一方的に自己の命題の備忘録のつもりで投稿しても歓迎です。助け合いですから。

  • 神の不存在証明

    チューリングマシンの停止問題というのがあるというのを知りました。 これは、決定論の否定が成立している証拠と考えていいですよね? つまり、 「世界の未来を完全に予測するのは不可能」という事ですよね? 同時に、この事から 「あらゆる事を知る事が出来る存在」 つまり、神(God)は存在しない、という事になりますか? チューリングマシンの停止問題は神の不存在証明だと思うのですが、それについて教えて下さい。

  • 神の存在論的証明(本体論的証明)

    神の存在論的証明(本体論的証明)はどういう点で欠陥があるでしょうか?

  • 神の存在を証明できるか?(改)

    削除されたので再度質問します。利用規約違反があったとのこと。以後気を付けます。以前回答してくださった方々、申し訳ありません。 それで、改めて質問します。 神の存在を証明できる方いらっしゃいますか。 あるいは存在しないことを証明できる方でも結構です。 よければ、その理論をお教えください。 そして、下に私の見解を記します。よければ、これに関するご意見もお聞かせ願います。 -------------------------- 神の存在を証明できるか?    「できる」と私は考えます。ここで言う「神」とは、キリスト教的な神のことで、当然人間の目には見えません。それなのに、なぜ見えない神の存在を証明できると言えるのでしょうか。その根拠は大きく分けて以下の2つです。    (1)人間は目に見えないものを識別する能力を持っている。    (2)目に見える物事から見えない神の存在を証明できる。 -------------------------- (1)人間は目に見えないものを識別する能力を持っている。    例えば、「1、2、○、4、5・・・」という虫食い問題の○で隠されているのは当然「3」ですね。しかし、なぜ○で隠されて見えない「3」が分かったのでしょうか。要するに、見えている数字の並びとの相互関係から推理した結果それが分かったというわけです。    同じように、例えば推理小説の名探偵などが実際に事件を目撃したわけではないのに、現場の状況や遺留品、関係者からの証言などに基づいて推理した結果、あたかもその事件を目撃していたかのようにそれがどのように起きたかを言い当てることができるのではないでしょうか。      このように人間は見えないものでもその存在を識別する能力を持っているということが確認できました。ですから、「神は目に見えないから信じることができない」という論理は人間の能力からすれば当てはまらないということができるでしょう。    では、以上を踏まえて、次に、(2)目に見える物事から見えない神の存在を証明できる、という点についてご説明しましょう。 -------------------------- (2)目に見える物事から見えない神の存在を証明できる。(その1)    上で証明したように、人間には「見えないものでも推理によってその存在を識別する能力」を持っているということでした。ではその能力を使って、見えない神の存在を識別できないものでしょうか?    私がここで言う「神」とは、キリスト教の唯一神で、万物の創造者のことです。聖書によると、存在するすべてのものはこの創造者によって造られました。つまり、宇宙も地球もその中にある動植物、そして人間も神が造ったということです。    もしそれが事実なら、そのような神が造ったもの(被造物)を観察する時、見えない神が存在することを識別する手がかりを得ることができるはずです。    では、それらの被造物を人間と比較してみましょう。    まず、人間以上に大きいものは存在しますか。はい、当然存在します。例えば大型動物がそうですし、もっとスケールを大きくすれば地球も太陽もさらには大宇宙もあり、それらと比較するとき人間の存在の小ささを実感せずにはいられません。    また、人間以上に強い力が存在しますか。それも存在します。台風や地震や火山、さらには太陽の核エネルギーなど挙げればきりがありません。    では、次の質問はどうでしょうか。人間以上に賢いものが存在しますか。さて、その点どう思われますか。人間は地球上で最も賢い生物だと考えていますし、実際そうなのですが、しかし多くの研究者たちが様々な分野の研究をしてきたにもかかわらず、現実には人間の知性では到底及びもしない高い領域(人間ではまだ理解できていないこと)が存在することがいよいよ明白になってきました。    あなたは人間にはまだ「未知の領域」があることを認めることができますか? 次に、その具体例を考慮してみましょう。 -------------------------- (2)目に見える物事から見えない神の存在を証明できる。(その2)    人間ではまだ及ばない「未知の領域」について、その具体例を考慮してみましょう。    例えば、鳥は人間が飛行機を発明するよりもはるか大昔から空を飛んでいました。ライト兄弟が飛行機を実用化するまでにどれだけ多くの人が苦労して「空を飛ぶ」ための研究をし、また失敗を繰り返してきたかを考えてみてください。    重力のある地球上で空を自由に飛行するということは実際には並大抵のことではないということです。それには綿密に計算された飛行設計が必須であり、それなくしてどのように空を飛ぶことができるでしょうか。    にもかかわらず、鳥は当たり前のように空を飛んでいます。人間の研究者たちは鳥の体の構造などについても研究を深めてきました。内臓の軽量化、骨の構造、羽毛のしくみなど飛行のための工夫が施されていることに彼らは驚きました。    では、そのような鳥の飛行設計や工夫を鳥自身が考えて設計し、製作したのでしょうか。そんなことはあり得ません。では、どうしてそのような人間でも驚くべき綿密な飛行設計や工夫が施されているのですか。    それは、人間よりも高い知性を持つもの(そのような設計・製作ができる者)が実在するということを意味しているのではないでしょうか。そのような設計・製作者なしでどのようにしてこのような高度な飛行技術が実用化され得るのでしょうか。 -------------------------- 結論    被造物(例えば地球上の動植物など)には人間以上の知性が見られるという事実から、    (1)被造物は綿密に設計され、製作された、ということが分かり、    さらに、(1)に基づいて、    (2)被造物を設計・製作した者、つまり創造者が実在する、    ということが推理できる、または証明できるのです。    しかも、それには人間にとってもっと重要な意味があります。例えば、人が何かを作る時それには何らかの目的があるはずです。同じように創造者が何かを造る時それには目的があったはずです。つまり、それは神が目的をもって私たち人間を造ったということを意味しています。    ということは、「なぜ自分は存在しているのか」、「人生の目的は何なのか」などという古今東西の人々が考え続けてきた疑問の答えを創造者は知っているということになります。ですから、神(創造者)が存在するかどうか、または人間が神から造られたかどうかは、私たちの人生観をも左右させるほど重大なテーマであることがお分かりでしょう。

  • さて「神の存在証明」やってみましょうか 2

    木霊が声にならないまま、優しい風で私の心を揺さぶった。 それに言葉で答えた私。 実在する妖精セレビィとフェアリーフュージョンする男子プリキュア。 キュアプリムだ。 それは中学生の時に妖精さんとお友達になった思い出だ。 なぜなら私は美しい。 第二弾なんでね。 以前のやつ↓ さて「神の存在の証明」やってみましょうか https://okwave.jp/qa/q9334985.html 面倒でもちゃんと読んでくれないと何の話かさっぱり分からないだろう。 無量光という体験をかみしめると自らを自覚する開眼者となるが、人は自らを自覚すると対となる神様と連れ添う。 無量光に到達する起源回帰性を発揮した私自身の仏性に相当するセレビィ。 人が聖霊となり神のもとに到達する経験だ。 無量光に案内して歓迎してくれた神に相当するアマテラス聖霊ジラーチちゃん。 そうさな、私は神の聖霊から迎えを受けたという形じゃない。 こちらから出向いたんだ。 これは仏教における仏陀という理想の結果で、涅槃への到達とはそういうことだ。 さてね、生粋の天界の住人であるジラーチちゃんなどの神と、人はどこが違うか。 わかり易くするきっかけに身に覚えがある。 「みんな」 そういう言葉だ。 これは人の言う「私」に相当する。 前質問を詳細に読んでも登場しているね。 自我論自体が大きなテーマだが、そうして自覚を達成する「私である」という自覚。 それと神は根本的に自己認識が違うんだ。 人間の一人称は「私」神の一人称は「みんな」なんだよ。 神は自我の研究による到達を超越した自己の認識を自覚している。 そこで得られる世界のすべてとの融和性が知性に波及すると、人間が神について想定している全知全能が実現する。 古くは「つくよみ」と人に呼ばれ、それ自体はたどたどしくても私自身も使いこなしている。聖職者の能力だ。予言もそうだろう。 それからね、私は聖霊と遊んでいるが、無量光のような生命の起源を自覚した天界の住人が、「みんな」と語らず、あえて人に合わせて「私」と語りかけるその姿が、要するに聖霊で、定説から類推する通りに、神の姿の一部であるが全容ではないんだ。 セレビィも「私」でなく「みんな」を自覚するから天界に到達できた。 「みんな」を自覚するセレビィにはいまさら神も何もないのだが、それでもジラーチちゃんが幼馴染として連れ添ってくれる。 そんなもんなんだね。 さて論説はまだ準備段階なので今回はこのくらいにしておこう。 生命として、人の不完全さは、神の完全さに補われる、人と神との対であってこそ、人間を自覚できるんだ。 ここは哲学カテゴリーで、哲学には既存の命題に取り組む以外に、自分で命題を作るという研究もあります。 その手の質問でして、お手伝いという形で、何かご助言ください。 読書感想文でもいいし、何か気の利いた冗談でもいいです。

  • さて「神の存在の証明」やってみましょうか

    木霊の声が風のように心を心地よくくすぐる。 その話しかけてくる友達の声に答えてセレビィは目覚めた。 実在する男子プリキュア キュアプリムだ。 男子プリキュアなのに男が嫌いだからプリムだ。 惨劇に歓喜する祭りでもある。 今回は「実在する妖精の捕まえ方」本編でもあるね。 今回あらかじめ準備するネタは↓ あんた、妖精が実在すると信じるかい?その4 https://okwave.jp/qa/q9319132.html 回答者とも応答も関係しているから読んでくれ。 さて哲学だけでなく心理学も、自己のより深い内面の探求と関わり、学問はともかく誰もが何らかの形で取り組むことだ。 前質問にはそこに伝統的に無量光として象徴されていた、私の体験を交えて一定の結論を説明した。 無垢で純粋な光をより深く理解する過程でその意志を持ち交流してくる何者かこそ神であるという結論だ。 この無量光とは生命の起源となる命の泉だ。 ごちゃごちゃ言わないから、踏まえておいてくれ。 神そのものが生命だ。 それから無量光には神という形容のほかにも、魂という形容ができる。 プリキュアである私には、フェアリーフュージョンするパートナー妖精がいる。 実在する妖精セレビィだ。 セレビィは無量光に到達する起源回帰性という性質があり、聖霊といえば通常は神が人のもとに遣わすが、セレビィは明白に私自身という自覚があり、通説とは逆に人が神のもとに遣わす聖霊だ。 これは無量光とは仏教で語られている自己の境地であることともかかわっていて、仏陀の資質の一部である精神の到達点であり、その面で特に神というより魂という意味が強い。 セレビィという聖霊に神格を与えると神そのものというより仏性という言葉がしっくりくる。 ただこのような私の精神の到達は、私に話しかける神も同時に見出した。 セレビィとずっと一緒の幼馴染、アマテラス聖霊ジラーチちゃんだ。 どうやら、人は自己の精神を強く自覚する到達点で、意図していないとしても神と邂逅するのだ。 さて、私も仏教はさんざんやったんでね、無我論もわかりにくいだろうが、実際は自我論もわかりにくい。 その説明の要点が↓ 哲学における自我の話を持ち出してみました https://okwave.jp/qa/q9290692.html 結論は、西洋で研究している自我は東洋では仏性として伝統的に研究されていて、自己の精神の全容を意味する人格の中心であるということで、そのほかにも人格といえば、おおむね誰もが理解を拒否しないだろうが、他者の意思による影響というのが、精神作用として自己に組み込まれている。 それは社会性を帯びた人間の必然で知性という働きや資質も、他者との共通の理解とかかわっている。 言葉という知性の表現手法は、ある意味神聖化すらされているね。 さて、他者の意思や知性が人を助けるのと全く同じで、観念上の人に知覚が困難な事柄に対して、神の意思や知性が人に働きかけて助けるんだ。 人間が知性を自覚してサルから進化したこと自体に神の発見がかかわっているだろう。 神の霊的な働きが人に心をともしているんだ。 まあ第2弾3弾も今後好評ならやってみるけど、今回はこの辺で切り上げるよ。 哲学なので既存の命題に取り組むほかに、自ら命題を立案するというのもアリで、学問研究としてその手の質問だ。 感想文でもらくがきでも歓迎するから気軽に回答してくれ。 付録で雑談だ。 これは答えやすいだろう。 神は存在しない。 神は妄想だ。 その手の主張だがね。 私が説明した中にあるように、「神そのものが生命である」これを納得すればそんなこと言わないだろうね。 それから、宗派がどうのこうのじゃなくて、私の人格や知性的資質全体に神の存在というのが深く根差していて、自己を形成したり自覚したりする欠かせない要素とは最低限でも明白だ。 宗教というのは社会を形成する要素だから、政治批判なんかと変わりなく他者の所属する宗教を批判することは、神も人も冒涜しない場合がやり方によってはある。 批判と攻撃の違いをわきまえて健全な手段と目標に立てばだ。 個人の信仰を侮辱すれば同時に神も辱めるだろうと、その点は現在の法の精神では解釈できるけど、それを言うと個人の信仰を最も著しく損なうのは宗教組織だという笑える事態になる。人として、何かを理解するという知性的働きは、神のみにかかわらず社会を形成する共存の成立とかかわっていて、特定の地域社会の精神的基盤は宗教が必要なんだ。 ところが宗教と信仰について何らかの矛盾がありうるので、その点は質問主文のおまけとして暇つぶしで落書きしてくれ。 サービスがいいだろ。

  • 神は存在するのか?

    神は存在するのか否か。 大自然そのものが神だとか、神はそれぞれの心の中に…などといった抽象的かつ曖昧なものではなく、様々な宗教で崇められている"神様"という存在があるのかないのか。 神は全知全能なのか? だとしたら、人間の行いの先の先まで見通せるはず。ならば"人間の行いに神様がお怒りになり…"とはなんぞや? 最初から知っていたはずではないのか? 前世? まぁ、前世なんて確かめようもないもののせいにすれば、何だってこじつけ可能ですよね。 来世? あの世? これも同様。 便利な言葉ですよね。 "神様"とやらが、本当に人間をより良き方向に導きたいのなら、前世もあの世も見えるようにすれば? そこだけはシークレットですか? お墓? ただの石ですよね? 何百万も出して石を建てないと"先祖"が怒るんですか? 成仏できない? 魂の世界とやらも、随分とヘンテコなルールに縛られてるんですね。 バチが当たる? 狡賢い政治家や某インフラ大企業の幹部にはバチが当たらないのに? あぁ、そういう時の為の"あの世で裁かれるのであ~る"ですか? 現世で裁いたり、あの世まで待ったり一貫性がないんですね。 まぁ、そうやって現世とあの世を使い分けてれば、何とだって言えますもんね。 因みに単細胞生物には神様はいないんですかね? 人間だけにしか神様は存在しないんですかね? 神様が創造主なら、その神様を作ったのは何なんですかね? サンタや宇宙人、麒麟やネッシーを笑う人達が、ペテンじみた物言いやこじつけだらけの"神様"の存在だけは信じたりするのも、なんだか奇妙ですね。 天動説は今や笑い物ですが、なぜ神様だけは未だに否定できないのでしょうか? 誰一人、見たことなんてないのに……。 神様という存在ほど、眉唾で怪しいものもないように思えます。