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光る君へ 紫式部 清少納言 藤原道長
今更ですが、「光る君へ」の登場人物(紫式部 清少納言 藤原道長など)は、史実として個人的なつながりはあったのでしょうか。 ドラマなので、創作は当たり前ではありますが。
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史実で個人的つながりがあったとされているのは、紫式部と藤原道長ですね。 紫式部は1006年前後(諸説あり)から、一条天皇の中宮・藤原彰子に女房として仕えるようになりました。彰子は藤原道長の娘ですから、ごく常識的に考えてそれを決めたのは道長です。後に源氏物語の解説書を書いた鎌倉時代・室町時代の学者の中には、それより前、道長の正妻であった源倫子の女房だったという説を唱えている者もいます。 清少納言と藤原道長の個人的つながりは無いとされています。もっとも室町時代の研究者による「清少納言が藤原道長に内通したと疑われ、実家に帰されていた時期があり、枕草子はそのときに執筆が始まった」という説もありますが、現時点ではそれを立証する文献は見つかっていません。 清少納言と紫式部も個人的つながりはないでしょう。面識があったとも考えられていません。紫式部が出仕したのは定子が亡くなってから数年後、当然清少納言は宮中にはいませんでした。ただし、紫式部日記の内容から、紫式部が枕草子を読んでいたことは明らかです。
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- toratora(@aasjetto)
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『紫式部が一方的に清少納言をライバル視していた可能性はある』ということです。なぜかと言うと、『定子&清少納言たち』と『彰子&紫式部たち』が作り出す雰囲気に大きな違いがあり、紫式部が『定子&清少納言たち』に大きな嫉妬を感じていたからです。 噂だけで直接会ったことはないらしいです 道長とは『紫式部日記』を読み解くと、式部は道長を「お姿のなんと立派なこと」「素晴らしい」などと記しています 恋愛関係にあったのではという説 妾としてそばに置いたとか 夜に訪ねてきたが 式部は部屋の戸を開けなかった という説もあります いずれも詠んだ歌や日記で想像するものです
お礼