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藤原道長
栄華を極めた人のようです。何でも思い通りにできたし、思い通りになったのかも知れませんが、その藤原道長にしても、本人の持病は別にして、「思い通りにできなかったもの、思い通りにならなかったもの」というのがあったでしょうか???あったとすれば、それはなんでしょうか、どんなことでしょうか???お考えを教えてください。
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晩年は最善を尽くしてもなお自分よりも先に子供が次々と亡くなっていったので、辛かったと思います。 (浄土教に傾向していっていますので…。) なお、有名な「この世をば わが世とぞ思ふ望月の~~」の歌も、視力が衰え病魔が迫るため翌年出家して、阿弥陀如来の本願にすがる様に成る事をおもうと、傲慢さより彼流の精一杯の強がりな気もします。
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- fujic-1990
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賀茂川の水、双六の賽の目 たしか… 源頼朝をして「日本国第一之大天狗」と嘆かせた人物にもなんともならなかったのですから、道長公にも無理だったと思われます。
お礼
ありがとうございました。 たしかにその可能性はありますね。
- eroero4649
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地位やお金を使って気に入った女を抱くことはできたでしょうが、自分は彼女のことが好きだったのに彼女は自分に抱かれても心まで好きになってくれなかった、なんてのは当然あったんじゃないかなと思いますよ。 あと、暑い寒いはどんな権力者でもどうにもならんですよね。「夏が暑いのをなんとかしろ!」っていわれてもね。
お礼
ありがとうございました。 道長って、源氏物語のモデルだったのですかねぇ??? 暑い寒いはどんな権力者でもどうにもならんですよね。……たしかに。ただ、平城京の長屋王でさえ、専用の氷室を二つも持っていたというのだから、道長も暑さの方は何とか気を紛らわすこともできたのではないか???それにしても京の都の冬の寒さは厳しかっただろうと想像します。
- kaitara1
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糖尿病と思われる病気で死んだのではなかったでしょうか。
お礼
ありがとうございました。糖尿病を患っていたというのは、何かで読んだ記憶があります。
お礼
ありがとうございました。 晩年は最善を尽くしてもなお自分よりも先に子供が次々と亡くなっていったので、辛かったと思います。……そうだったのですか。子供を亡くした親の気持ちは分かります。 傲慢さより彼流の精一杯の強がりな気もします。……奥が深いですね。