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常識も、偏見?

常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションに過ぎない。とアインシュタインは、言ったそうですが本当ですか?常識も、元々は偏見ですか?教えて下さい。

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  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11121/34623)
回答No.5

https://tap-biz.jp/lifestyle/trivia/1135562?page=2 アインシュタイン自身が典型的な社会不適合者で、幼少から学生時代には数学や物理にとことんのめり込む反面、興味がない科目にはまったく興味がなく、落第点。子供の頃は癇癪もちで周囲とトラブルを起こすことも多かったようです。 大人になっても堂々と浮気したり、あと私がどこかで聞いた話は「世の中にはお皿が複数ある」ということがなぜかどうしても受け入れられない人だったらしくて、どんなものも一枚のお皿に載せていたんですって。その一枚のお皿の仕事の中には「灰皿」も含まれていたそうですよ。 彼の中では、自分の中の常識に異を唱える大衆のご意見は「偏見のコレクション」だったようです。ま、典型的な「天才脳」だったと思います。ある能力に能力値を全振りしているタイプですね。

kiyurohi88
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

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その他の回答 (4)

  • sknbsknb2
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回答No.4

偏見というのは偏ったものの見方で、人間は一つの事柄を全方位から先入観なしに眺めることなどできないので、すべての人間がすべての事柄について偏見を持っていると言えます。 常識という言葉を使っても、その見方は偏見でしかありえないので「常識とは、広く世間に正しいと思われている偏見」 だと考えます。 科学の歴史というのは、その常識を否定し、より多くの方向から物事を見られるようにすることの連続だったと思うので、アインシュタインに限らず、すべての科学者が同じことを言ったとしても不思議はありません。

回答No.3

アインシュタイン自身が、こう語ったかどうかには、確証がありません。「Common sense is nothing more than a deposit of prejudices laid down in the mind before you reach eighteen.」という記述はリンカーン・バーネットという元雑誌記者が書いた雑誌記事にありますが、「引用符」がありません。但し、1949年出版のバーネットの著作にもこの表現があり、その本の序文をアインシュタイン自身が書いている(彼は序文を書く場合は必ずその著作を読む人でした)ので、この表現がアインシュタインの考えを示していることは間違いない、というのが研究者の見解です。 常識というものは、私達が物心ついた時期から、父母、祖父母、もうすこしたてば学校の教師などの「周囲の人々」から教えられたり、経験を通じて身につけたりしたもののことです。しかしそれはあくまでも「本人が生まれ育った環境」の中で身についたことで、地域(国のような大きな単位でなくとも、日本の都道府県程度の小さなものでも)により違うし、時代によって違うということがよくあります。かなり前に「日本の常識、世界の非常識」という言葉が流行りましたし、「業界の常識、世間の非常識」という言葉もよく使われます。 英語のprejudices と言う単語は「偏見」と訳されていますが「十分な思考や知識なしに形成された」意見や感情のことですから、個人が持っている日常生活上の常識の殆どはそれにあてはまりますね。 当然それは「科学」にも起こってきたことです。

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6923/20482)
回答No.2

確かにそういった意味もありますね。 世界中 全年代 過去から現在 などで共通することはないでしょうから。

  • kon555
  • ベストアンサー率51% (1845/3564)
回答No.1

 発現した、という事は本当だと思っていいでしょう。  調べてみても「いつどのような場面での発言か」という事がイマイチ出てこないワードですが、元々手紙や書簡を書いたり、インタビューなどを受ける機会の多い人ですので、そうした中での発言なのでしょうね。  この言葉が真実かどうかと言うなら、それも真実でしょう。  そもそも『常識』というのは「社会的に身に着けていて当然と思われる行為や考え方のこと」です。つまり絶対不変のものではなく、環境次第で大きく変わります。しかし人間はこの『環境次第で変わる』という点をつい忘れがちです。  そして『偏見』は「事実に基づかない、偏っていて誤った考え方」です。属する社会や環境が違えば、常識は偏見に、偏見は常識になります。  それこそアインシュタインの登場前後で、物理学的な『常識』は大きく書き換わりました。今でも当時の科学理論を正しいと信じていると『偏見』と言われるでしょう。  アインシュタイン自身の生涯を考えると中々に激動の人生ですから、そうした体験からの実感を含めた発言なのかもしれませんね。

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