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ミッドウェー海戦について

Sasakikの回答

  • Sasakik
  • ベストアンサー率34% (1663/4826)
回答No.4

既回答のとおりなんだが・・・ あと、ミッドウェイのころ、飛行機から爆弾を落としても狙ったところに当たらなかったと言うモノ大きいだろうな。 日本だけで無く、第二次世界大戦当時にあった爆撃照準装置は至って原始的なモノで、誘導装置も無い、自由落下爆弾の命中精度は極めて低かった。 唯一の例外として、アメリカのノルデン爆撃照準器装置があったけど、英軍に供与したB-17にも旧式のスペリー爆撃照準器を搭載していたなど、最高レベルの軍事機密扱いで、米軍以外に採用されていなかった。 英空母イラストリアスが大破したときは、エクセス作戦というマルタ島へ向かう輸送船団の護衛任務。鈍足の輸送船に合わせた10数ノットという低速航行中に、独空軍のJu 87(スツーカ)急降下爆撃に襲われたもの。 イタリア軍のサヴォイア・マルケッティ SM.79爆撃機による雷撃の後、Bf109(メッサーシュミット)戦闘機の護衛を受けた40機以上のJu87が来襲したもので、イラストリアスにはフェアリー・フルマーという複座の艦上戦闘機が15機載っていたけど、フルマーの性能じゃBf109に勝ち目は無かった。 イラストリアスは33機のJu87から命中6発、至近弾3発を受けて大破している・・・低速で航行している標的に急降下で爆撃しても命中率は20%以下。 戦闘機の上空警戒を受けながら戦闘速度で航行している標的相手だと・・・雷撃が合理的な選択だったんだな と。

tahhzan
質問者

お礼

う~ん… 命中精度ですか…なるほど。素人から見ると、何をモタモタしてるんだろう、とは思いましたが、そんな思惑もあったんですかね…ありがとうございました。

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