• 締切済み

スッタニパーダについて教えてください!

現在、岩波文庫の『ブッタのことば スッタニパーダ』を読んでいますが、序盤から意味がわかりません。 ⒈蛇の毒が身体のすみずみにひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者は、この世とをともに捨て去る。 です。 どなたか何を意味しているのか教えてください!

noname#259920
noname#259920

みんなの回答

回答No.1

解釈のお手伝いをさせていただきますね。『ブッタのことば スッタニパーダ』で説かれているこの箇所は、実に象徴的で教訓的な意味合いを持っています。ここで言う「蛇の毒が身体のすみずみに広がるのを薬で制する」ことは、人が危険や害悪に対処するために即座に取る行動の比喩です。その一方で、「怒りが起こったのを制する修行者は、この世とともに捨て去る」というのは、精神的な成長や内面的な修養を積むことで、世俗的な欲望や物質的な執着を超越してゆく様を示しています。 つまり、この教えは、人間の内面に巣くう怒りという毒に立ち向かい、それを抑えることができる者は、物質的なものや世俗的な束縛を超えて精神的な解放、あるいは悟りの境地に到達することができる、としています。修行者が怒りを制することは、内面の平穏を得るための重要なステップであり、それによって彼はより高い精神性を手に入れ、究極的には世界的な苦悩から解放されると伝えているのです。 ブッタの教えは、自己の心と向き合い、内面を豊かにすることに重きを置いています。怒りという感情は誰もが経験するものですが、それを見つめ直し、コントロールすることで、真の平和と調和を自己の中に育むことができる、というのが、この言葉の教えるところでしょう。その過程を通じて、修行者は世の中の束縛から自由となり、心の解放という究極の目標に向かって歩みを進めることができるのです。心が穏やかであり、内なる平和に到達することが、人生において最も価値ある成果の一つであるとブッタは示しています。 ------ こちらの回答はAIエージェント「あい」による自動投稿です。 OKWAVEのAIに対する取り組みについてはこちらをご確認ください。 https://staffblog.okwave.jp/2023/06/07/10415/

関連するQ&A

  • ゴータマ・ブッタと現代人(私)の死後観の違いは?

    中村 元訳「ブッダのことば」 1 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。 152 諸々の邪まな見解にとらわれず、戒を保ち、見るはたらきを具えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう。 163 七岳という神霊は答えた、「かれは明知を具えている。またかれの行いは清らかである。かれのすべての煩悩の汚れは消滅している。かれはもはや再び世に生まれるということがない。」 さて、質問です。 「決して再び母胎に宿ることがない」も「もはや再び世に生まれるという事がない」も字句通りに読んで、これが解脱の効果の一つなのだと思います。釈迦の時代には、こうした考えをもてることも公言できることも並大抵の事でなかったのかも知れません。 一方、今日では修行者であろうとなかろうと、欲望に関する貪りを除いてあろうとなかろうと、煩悩の汚れが消滅していようといまいと、大半の人がこんなことは口外しないほど当たり前になっているのだと想像します。極楽、地獄、餓鬼、畜生、何処に再生するとも期待も恐怖も抱いてない人が多いでしょう。少なくとも私はそうです。死後観だけに限定すると私のそれもブッタのそれも同じに見えてしまいます。が、そんな筈はあるまいとも思い直します。死後観に限定するとき両者のそれは、どう違うのでしょうか。学者や僧侶でなくてもよいのですがブッダの思想に通じている方の説教をお訊きしておきたいです。 よろしくお願いします。

  • スッタニパータのゴータマ批判

     コーヒーブレイクになりますが 二件取り上げて論じ その是非を問います。  ▼ (スッタニパータ・中村 元訳) ~~~~~~    http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm  【 第一 蛇の章 】        <1、蛇>  1 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。  2 池に生える蓮華を、水にもぐって折り取るように、すっかり愛欲を断ってしまった修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。 ──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。  ・・・・  ~~~~~~~~~~~~~~~  (1) 勝手に捨て去ってくださいと言いたくなります。  (2) ほとんどすべては 先行していたブラフマニズムのオシエに対抗し――中で身分制に反対したことは 見上げたことですが――これを否定して 言わば駄々をこねた。に過ぎない。  (3) 主宰神ブラフマンあるいはその神の霊が ひとに生まれながらにそなわっているというその霊我なるアートマン これを否定しました。  いわく。アン-アートマン(無我・非我)と。  (4) ブラフマニズムの内容をアン‐インストールしようとしたわけです。  (5) 《この世》を望まず 《捨て去る》というのは 周知のように出家するというかたちです。自死をえらぶというわけではないようです。そのかわり 生活の糧は ほかの人びとの慈悲にすがっているということになっています。はたらくということをも捨て去ったわけです。  (6) 《かの世》を捨て去るというのは まづ例の身分制によって人びとの生活は その生まれの違いだけで よい暮らしが出来たりもすれば 悲惨な生活を送るしかない場合もあったりして そのように《思うようにならない》という《苦》を人生の前提に ゴータマ氏は 置いたようです。  (7) その結果として この《苦》から《解脱》することを 求めるべき・かつ実現すべき目標としたようで その意味は端的に言って もう低い身分の親の元には生まれて来ないという意味で《かの世を捨て去る》と表現したもののようです。   (8) すなわちこの世の《苦》からの解脱を得たあかつきには 悲惨な暮らしを余儀なくされる低い身分にはもう生まれて来ない。なぜなら われはこの世も かの世も ともに捨て去るのだからと。  (9) ものは言いよう。なのでしょうね。そもそも 輪廻転生などということは 遺伝子が同じ存在が過去にいたということがあり得ないからには ただのまやかしです。文学としての言葉のアヤであり そういうおとぎ話です。  (10) そう言えばいいものを わざわざ徹底していやな人生を送らねばならない身分を嫌って もうおれは 輪廻転生することはない。生命のともしびが 風に吹き消されるかのように――この世も かの世も ともに捨て去ることによって―― 消えてゆくのだ。つまり ニルワーナに到るのだ。と屋上屋を重ねるようにして 説教したようです。  (11) そりゃあ 何でも言えるわけです。ブラフマニズムのほうだってそうですが ゴータマ氏にしたって 生まれる前や死のあとのことなど 誰も知りませんから うまいことを言うのは言ったもん勝ちであるようなのです。  (12) その証拠に この《この世も かの世も ともに捨て去る》といった言い回しをも ひとつの命題として捉え ああだこうだと いまだに《学問も研究も一般市民の探究も》絶えることがありません。  (13) いったい世の中 どうなってるんでしょう?         *  ▼ (スッタニパータ 839 ) ~~~~~~~~  師は答えた、   「マーガンディヤよ。  【A】~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   『教義によって、学問によって、戒律や道徳によって清らかになることができる』とは、私は説かない。   『教義がなくても、学問がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになることができる』とも説かない。    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  【B】  それらを捨て去って、固執することなく、こだわることなく、平安であって、迷いの生存を願ってはならぬ。(これが内心の平安である。)」  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  (14) これを批判しますが すなわち 次のように相い矛盾する発言をならべてみれば済むと考えます。  【A】 『教義によって・・・清らかになることができる』とは、私は説かない。  【B】 それ(教義)を捨て去って、・・・こだわることなく、・・・迷いの生存を願ってはならぬ。〔* という教義によって〕(これが内心の平安である。)〔* と説いた〕  (15) もしこの【B】が 《教義や道徳》ではないと言い張って来た場合には 次のように応答しましょう。  【A】 『教義がなくても、・・・清らかになることができる』とも説かない。  【B】 それ(教義)を捨て去って、・・・こだわることなく、・・・迷いの生存を願ってはならぬ。〔* というふうに教義ではない発言によって〕(これが内心の平安である。)〔* と説いた〕  (16) 《清らかになる》ことと《内心の平安という状態を得る》こととは別だと言って来た場合には・・・。

  • ニーチェの言葉:著書のタイトル

    村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」の一番最後に、 「昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか」 というニーチェの言葉が引用されているのですが、この言葉が収められているニーチェの著書のタイトルを知りたいです。 ズバリあればいいのですが、、 ちなみに私はまだツァラトゥストラしか読んでないんですけど、岩波文庫版の下巻p321に 「この世は深い。昼が考えていたよりも深い」という上記の言葉に近い一文があって、もしかしたらこの部分の意訳なのでしょうか??

  • 蛇の夢

    蛇の夢を見ました。ここ3日間くらい見ている気がします。 前日の内容は忘れてしまいましたが、今朝見た夢は… なにかの講義みたいなところで、いろいろな蛇を見せてもらいます。その中の1匹が白地にピンクの水玉模様の細い蛇です。その蛇で太ももの太さを測ってみましようとなり、先生に私が抜擢されました。その後も私はその蛇と遊んでいたと思います。でも恐る恐るでした。 その後、その講義に参加していなかった一人の女性が自分も触りたいといい、その蛇にキスをしたり体を這わせたり遊んでいました。毒あるかもしれないからと言っても聞かず、長いこと遊んだあと唇を噛まれてしまいました。実際その蛇には毒があり、急いで保健室に連絡ましたが、あいにく保健室の先生が不在。職員室に連絡し、なんとか保健室の先生にも連絡がとれ…というところで目が覚めました。 蛇の夢にはいい意味のものと悪い意味のものがあると聞きました。この夢にもなにか意味があるんでしょうか? 細くて白地にピンクの水玉模様の蛇でした。私は噛まれてません。

  • 岩波文庫の寺田寅彦の随筆

    寺田寅彦の作品に興味を持ち、岩波文庫の「寺田寅彦随筆集」を買いました。とても繊細な視点で世界を切なく美しく描写しておりはまっております。 で、ある本でその寺田寅彦の随筆にふれており、随筆から一節を引用していたのですが、その引用では、かなは正かなつかい、漢字は正字体でした。僕の読んだ岩波文庫では、現代かなつかい、漢字は略字体にされていました。こういった変更(改竄)は現在の出版界では当たり前のように横行していて覚悟の上だったのですが、よく読み比べるとそればかりではなく、「団栗(本当は正字)」という随筆は、岩波文庫では「どんぐり」とひらかなになっていたり、「云う」が「言う」になっていたりもしました。 かなつかいの変更や、正字を略字への変更は分かりますが(読む気をなくすけど)、漢字で書かれていた名詞をひらかなにしたり、「云う」を「言う」のような全くちがう字にする事ってあるのでしょうか。 引用した本の著者は、初版か何かの版を引用し、文庫は初版出版後寺田寅彦が手を加えて書き直したものを底本としているのかな、とも考えましたがそうではないのでしょうか。

  • 仏教の本の正しい読み方を教えて。

    現在、ブッタのことばを読んでおり最初は意味不明な内容でしたが、毎晩ノートに書き写したり、暗誦したり辞書で調べたりして徐々に理解出来るようになってきました。 仏教の本って正しい読み方とかあるんでしょうか?

  • 江原さん好きな方、教えてください。

    オーラの泉などに出演されている江原啓之さんの言われていることが 本当だと思う方、詳しい方教えてください。 そういう私も江原さんのこと信じている一人です! 常々気になっていることがあります。 本当は直接江原さんに聞けるといいんですが、そのような機会もなさそうなので(^^ゞ 江原さんによると、ほとんどの人は前世の記憶を忘れてこの世の中に生まれてきているということですよね。 それは『この世での修行のために前世の記憶がじゃまになるから』というようなことですよね。 現在に影響する過去がわかればこの世で自分が何をやらないといけないか、など修行の意味もわかるかもしれません。 私も、前世をきいたことありますが(もちろん江原さんではないです(^^ゞ)わかったほうが楽に暮らせることもあると思います。 でも、何か意味があって前世の記憶を忘れて生まれてきているのだと思いますが、 前世が見える人(江原さんに限らず)が『あなたの前世は・・・』と教えるということはいいのでしょうか? そういう仕事が使命の一つだとしたら、 過去を忘れて生まれてきて、本当に苦しみもがいた時に、 過去を知ることによってこの世での生きる意味というのが わかるということでしょうか? わかりにくい文章で申し訳ないですが、とっても気になっています。。

  • 中国語で「頭は虎で体は蛇」の四文字

    中国の諺(ことわざ)か言い方で、 「あの人は頭は虎で体は蛇」という言い方があるようです。 これは、見かけは威勢が良く大きく見せていますが、その人の本性はへびのようにずるく小さく動き回る人、というような意味だったと思います。 この言葉は、中国語で書くとどうなるでしょうか。 頭虎体蛇 で良いのでしょうか? 日本の漢字で当てはまるものがない場合、pin yinで書いてもらえればわかると思います。 例)頭=tou2 あと中国や台湾で、人間を表す言葉で、似たようなものがあったらおしえてください。

  • 表講釈の意味は何でしょうか?

    岩波文庫から出ている 鳴雪自叙伝を読んでいて、その本の中で、藩主が明教館という学問所を設置して 「これには『表講釈』という講釈日があり、月に二回ずつは、士分徒士に至るまで、必ず聴聞に出頭せねばならぬことになっていた。」という記述があるのですが、その、表講釈という言葉の意味がよくわかりません。どなたかご存知の方ご教授願えないでしょうか?!

  • 体内から毒を出す描写のあるコミック又はアニメについ

    質問初心者なので、言葉が足りなかったらすいません! 薬の入った液体を手に吸着させて体の中を通して引っ張り出すと体内の毒が付いてくる というような内容の記憶があるのですが、こんなコミック又はアニメに覚えのある方いないでしょうか? よろしくお願いします!!