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唐の律令政治は成功したのか?

日本は古代に、隋や唐などの律令制度を学んで取り入れたものの、日本の実情に合わなくて、施行まもなく崩壊していったことは周知のとおりです。特に租庸調の税制が過酷であったとか。 では、本家本元の中国では、現実と適合していたのでしょうか? 適正な税であれば問題はないはずであり、大帝国を築いたのは問題なかったからかもしれず、その辺が知りたいです。 安禄山の乱は建国100年後ぐらいのことなので、それまでは大過なく進んだのかな、というのが素人目の推測です。 どうなのでしょうか?

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  • f272
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回答No.1

本家本元の中国でもだんだんと現実と乖離したものになっていき,そのたびに律令を上書きするような法令が出され,律令がカバーする領域が少なくなっていきました。唐の後期にはほぼ消滅していますが,それでも明代まで律令が,清代まで律のみが作られていました。

gesui3
質問者

お礼

そうだったんですか。 しかし、日本よりは長持ちしましたね。 やはり国情の違いでしょうか。 二十四節季は中国の揚子江辺りを基準にしているために、日本とは少し感覚がズレるとか言いますが、律令の場合は何が?

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