• ベストアンサー

自分の守護神を持つと言う事は...

僕は丑年なので僕の守護神様は 虚空蔵菩薩様の様なのですが、 その守護神様はいつも自分の心中に居て、神様の中では一番自分を守護してくれていると言う考えで宜しいのでしょうか? そして失礼な言葉になってしまいますが、その守護神を決めた途端、他の神様が守護してくれないなどは、ありますか? 全くの無知で申し訳ございません。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • oska2
  • ベストアンサー率45% (2186/4841)
回答No.2

>僕は丑年なので僕の守護神様は、虚空蔵菩薩様の様なのですが、 神様でなく、仏様ですね。 >いつも自分の心中に居て、神様の中では一番自分を守護してくれていると言う考えで宜しいのでしょうか? 仏教では「生まれつき仏様とご縁が結ばれていますが、その一生を守ってくださるのが守護仏」と考えられています。 この仏さまは、干支によって異なります。 ただ、この仏様以外は守ってくれないの?という疑問が付きますよね。 ご心配なく。仏は、平等です。 干支毎に仏さまが代われば、四国88か所・西国33所などの巡礼は意味がありませんよね。 各寺院毎に、祀っている仏様は異なりますよね。 空海が生まれた真言宗善通寺派本山善通寺のご本尊は、薬師如来です。 真言宗豊山派長谷寺のご本尊は、十一面観音菩薩です。 守護仏と違いますが、参拝しても問題ありません。 神道で考えると、分かり易いかも。 地元の神社が氏神さま。でも、出雲大社・(伊勢)神宮・北野天満宮にもお参りする。 決して、氏神様だけが守っているのではありませんよね。 同じ事です。 例外的に・・・。 仏教の宗派によっては、干支毎の守護仏を認めていません。

mtgjthku
質問者

お礼

ありがとうございます 大変参考になります。 皆様もありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • marupero
  • ベストアンサー率27% (127/454)
回答No.3

①虚空蔵菩薩って? 2021年、丑年の守り本尊は智恵と福徳を司る虚空蔵菩薩さまです。 成績向上、記憶力増進、技芸上達などのご利益と、厄除け、開運などの願いを叶えるといわれています。 「虚空」は大空のように無限な様を、「蔵」は宝庫を示し、無限の知恵や功徳を宝庫に納めていて、人々の願いを叶えるために蔵から取り出して与えてくれるそうです。 ②虚空蔵菩薩の効果は何ですか? 当山、本尊の虚空蔵菩薩は「十三詣りと云えば村松虚空蔵、村松虚空蔵と云えば十三詣り」と言われるほど「知恵授けの十三詣りの名所」として全国に知られています。 現代的な簡単な言葉でいうと、頭脳明晰、記憶力増進、成績向上、技芸上達のご利益です。 ③虚空蔵菩薩の真言は? 真言は「オン バザラ アラタンノウ オンタラク ソワカ」(Oṃ vajraratna, Oṃ trāḥ svāhā)や、「ノウボウ アキャシャキャラバヤ オンアリキャ マリボリソワカ」(Namo Ākāśagarbhāya, Oṃ ali kalmali mauli svāhā) などが知られる。 ④菩薩とはどういう意味ですか? お坊様の事 悟りを求める人の意》仏語。 1 仏の位の次にあり、悟りを求め、衆生を救うために多くの修行を重ねる者。 文殊 (もんじゅ) ・観音・弥勒 (みろく) ・勢至 (せいし) ・普賢 (ふげん) など。

mtgjthku
質問者

お礼

ありがとうございます。 大変参考になります。

  • ple6
  • ベストアンサー率63% (1251/1960)
回答No.1

まず、虚空蔵菩薩は、御仏であり神ではありません。 なので「守護神」ではなく「守り本尊」もしくは「守護仏」ですね。 守り本尊様は基本的にその個人や家を守ってくださる御仏ですが、言い方を変えれば、すべての御仏がお守りくださっている中で主に守ってくださっている仏さまと思えばよろしいかと思います。 体の部位や時間、方角などでも常に違った仏さまが守ってくださっていますので、ご安心ください。 (という私の回答も検索した結果での受け売りのようなものですが・・・) https://www.hourakuji.net/manabi/mamorihonzon-check/

mtgjthku
質問者

お礼

ありがとうございます 大変参考になりました。

関連するQ&A

  • 梵字と梵字が表す神仏と十二神将の関係について

    梵字と梵字が表す神仏と十二神将の関係について 自分を例に書きます。1月生まれの丑年です。 丑年生まれの梵字はタラークでタラークの表す神仏は虚空蔵菩薩です。 十二神将も十二支にそれぞれ守護神があり、丑年は招杜羅(ショウトラ)大将とされているものや伐折羅(バサラ)大将となっているサイトが混在しております。 そして本地仏は招杜羅(ショウトラ)大将は大日如来で伐折羅(バサラ)大将は勢至菩薩のようです。 そこで質問です。 (質問1)生まれ年からの梵字が表す神仏と生まれ年の表す十二神将の本地仏が異なるのはなぜなのでしょうか? (質問2)丑年の守護神が招杜羅(ショウトラ)大将と伐折羅(バサラ)大将と混在するのはなぜなのでしょうか? (質問3)私の場合、どの神仏が守護神や守り本尊になるのでしょうか?

  • 守護神と呪いについて

    仏教、魔術、密教、キリスト関係などに詳しい方にお聞きします。 私には霊感は全くありませんが、真面目な質問です。 ずっと気になってる事があって・・・よろしくお願いします。 自分の守護は、先祖や霊以外でもあるんでしょうか? 例えば自然の中とか・・・ 守護神と言うのもそれに当てはまりますか? また、例えば自分の守護が強い場合、自分自身は強力に守られても、 自分が無事を祈った相手(家族)までは守ってもらえないんでしょうか? 守護が強い人が呪われた場合、その本人ではなく、その人の身内や親しい人などが犠牲になる事がありますか? 自分以外の大切な人を守りたい場合、何か方法はありますか?神社のお守りとか・・・?

  • 守護霊について。。。

    守護霊や、先祖霊について教えてください。 最近よくある、子供を長期間にわたって虐待して、死に至らしめてしまうような場合、 その子供には、守護霊のご加護や働きはないのでしょうか? 殺してしまうまで虐待を続ける親にも守護霊は働きかけないのでしょうか? あるいは、守護霊を持たない、いない場合もあるのでしょうか? それとも、守護霊や先祖霊が、その人に、『試練』と称して、不幸に不幸にすることがあるのでしょうか? あたかも、虐待を続けて子供を殺した親が、しつけだったと言い張るように。。。 私自身、ふだんは意識しないようにしていますが、 ふと顧みてみると、親から虐待を受け続けただけでなく、いつも、幸せでない方の道を歩まされてきたように思います。 自分が悪いこともありますが、根本的に全てにおいて、タイミングが悪い、運が悪い、 なぜか良い人との関係は物理的な事情ができて長続きしない。。。 という不思議な現象が重要な節目節目で起こりました。 もう人生をやり直せない年になり、振り返ってみると、私の守護霊や、先祖霊は、私のことを不幸にして、私が苦しむのを楽しんでいるように思えてきます。 こんな考えだからダメなのでしょうが。。。 どうぞ、守護霊というモノについて、お教え下さい。

  • 映画『守護神』セリフの意味!

    ケビン・コスナー主演の映画『守護神』の中で、もう一人の主役アシュトン・カッチャー(訓練生)達が、水中訓練を終えた際に、『ポップ・トール?+拍手3回+ウーラー!』『ポップ・アウト?+拍手3回+ウーラー!』と叫んでいましたが、詳しい意味が知りたいです。 ウーラー『hooah又はhurrah』は米国軍隊(海軍)等で仲間を鼓舞したり、共通の肯定回答(返事)?のような意味の言葉だと解りましたが、『ポップ・トール』と『ポップ・アウト』の意味がどうしても解りません。上記の拍手を含めた一連の動作(全体的な)意味を教えて下さい。 よろしくお願い致します!

  • 神って一人ですか?

    ふと思ったので質問します。あまり詳しく調べたりしてないので、間違っているところ等あったら指摘してください。 世の中には沢山宗教があってその中でも様々な宗派にわかれてますよね。イスラム教も過激派とそうでない人たちがいて、キリスト教も基本的なところは同じでも宗派が別れています。 このように最初は皆同じところ(キリスト教でいうとイエスキリスト)から始まったはずなのに最終的にはバラバラになりました。これは人によって物の捉え方が違ったり言葉の解釈の仕方の違ったり、あるいは自分の中の理想の中の神(自分の正義感)が人によって違うからだと思うんです。 そうなると、人間はみなそれぞれの人生の中で培った考え方感じ方等があるわけですから、神を信じる人数分だけ神が存在すると考えてもおかしくはないのではないでしょうか?人は同じ神を信仰しているように見せかけて自分のなかの理想の神を信仰しているようにしか私にはみえません。 頭に浮かんだものをそのまま言葉にしただけで下手な文になりましたがいろんな人の考えがききたいです。

  • 神とは何ですか?

    902さんの質問「神は死んだ。」のなかで神の定義が話題になっています。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=75125 「神を信じますか」という問いは、よくもちだされますが、問う人も 問われる人も、神という言葉の意味・定義・解釈・語感が、まったく まちまちであるという感想を昔から持っていました。 皆さん、神とは何だと思われますか。 学問的な答え、個人的な考え、もちろん宗教的な教えも、 なんでもいいです。いろいろ聞かせてください。

  • 神は存在しないのか?

    苫米地英人の「なぜ、脳は神を創ったのか?」という本を読みました。 その中に、パトリックグリムという人が「神は存在しない」と証明 したと書いてありました。その概要は、(ゲーデルの不完全性定理などから) 完全な系は存在しないので、神という完全な系は存在し得ない、ということらしいです。 しかし、考えてみたのですが、「完全な系は存在しない」というのは、あくまでも 人間の言語から構築する系についての限界のことであり、人間の思考を超えた 完全な系が存在することは否定できないのではないでしょうか? つまり、全知全能の神は存在しえないのではなく、仮に全知全能の神が存在したと しても、その神の思し召しは人間(言語)には理解できない、ということではないでしょうか? まあ、そうだとしても、今ある宗教は神の言葉ではなく、人間の言葉の積み重ねにすぎない ことになるので、宗教における神の否定にはなるとは思いますが。 人智を超えた全知全能の神を否定することはできるのでしょうか? 私は、この世界には自分たちの思惑を超えた何者かがいるようには思いますが。 肝心のグリムやらゲーデルやら全く無知なので、そういうとっかかりでも 教えていただけたら幸いです。よろしくお願いします。

  • これって、おじいちゃんが守護霊なのかな?

    おじいちゃんが亡くなる前日の夜12時過ぎ、自宅の1階でも2階でも顔が見えるような気がして、誰かしんだのかな?って感じました。その翌日、朝5時ごろに母方のおじいちゃんが亡くなりました。お通夜の夜、寝ているとふすまが開き、誰かが足元を通った夢を見ました。お葬式のあと、高速のパーキングエリアの車の中で寝ていると、金縛りに合い、誰かが手を引いたんです。「俺は行かない、俺は行かない」というと、胸が光って胸の中に入っていきました。 自分では、おじいちゃんが会いに来てくれて、守護霊になったんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょうか? それと、その後、死ぬ前に言ったらしい言葉を妹と父とバカにするように何度も繰り返し、笑ってしまったんです。あまりにも、心に残る何気ない一言だったので繰り返してしまったんです。 もし、守護霊になったとしたら、その行為の性で出て行ってしまっていないか心配になりました。 わかる方いらっしゃいましたら、意見として聞かせてください!

  • 神様が「人を殺せ!」と命令した時どうしますか?

    旧約聖書には神様が「カナンの土地はおまえたちにやるから住民を殺して奪え」という話が出てきます。連行してきた異民族について「男は子供も含めて皆殺しにして、女は処女だけ残して、あとは殺せ」という話もあります。神様が殺せという言うときどうしますか? (1)神様のお考えは人間の知恵をはるかに超えている。悪いことの気がするけど、神様のお考えからしたら良い事なのかもしれない。神様の視点では現世の人間の生き死により天国での暮らしのほうが重要と考えているのかもしれない。わからないけど、神様の言葉に従おう。 (2)神様がそんなことを言うはずがない。なにかの間違いだ。自分の良心でそんなことはしない。 (1)だとイスラム国みたいになってしまします。 (2)の考えだと自分の判断を神様の判断の上に置くことなります。それは神様に対して傲慢ということにならないのでしょうか?神様を信用しないということになりませんか?

  • 神のことばと、そうでないことばの違いは何か?

    聖書に詳しい方への質問です。 一般的に聖書に書かれている記述のみが神のことばと認識されていると思いますが、 自分はこれについて疑問に思っています。なぜならば、ヨハネの福音書の最初にもあるように、ことばは万物の始まりであり、これに基づけば私達が普段使っていることばも神に由来すると言え、ことばは全て神のことばになるとも考えられるからです。 また普通のことばが神のことばとなる転機は、ちょうどキリストを信じるように、信仰による神との聖約によって完成するのではないかと推測しています。ですから傍から見て神のことばと思えないものも、信じる者の信仰によって実質的には神のことばとなるのではないかと。すなわち神のことばと、そうでないことばの違いは信仰だと言えるのです。どうでしょうか? ちなみに自分は、聖書に書かれている御言葉は全て真実と信じる、いわゆる福音主義に立つクリスチャンです。また主の導きにより、現代でも特定の人物に対して神のことばを与える、いわゆる預言があるとも信じています。ですからここで書いていることばも、自分ではなく神の導きによる預言だと信じています。こういう訳で、自分の行っていることは、単に主の考えを反映している以上、第二ペテロの手紙1章20節で記されている、人による聖書預言への私的解釈には該当しないとも思っています。