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太平洋戦争時の様子について
学校では、政府の対応や他国の動きなどについては習いましたが、一般の人々の生活についてはあまりよくわかりませんでした。そこで、街の空襲の様子、戦時中の暮らし、学校生活、食糧や衣類の欠乏による苦労などについて教えてください。
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幾つか調べました。 ●戦時下、高田では (奈良高田市) http://www3.kcn.ne.jp/~eatyhiro/new_page_4.htm ●戦時下の塩竈 (宮城県塩釜市) http://www.city.shiogama.miyagi.jp/01/gaiyou/syasin/senji/sennsai.htm ●戦時下の松阪 (三重県松坂市) http://www.matsusaka.ne.jp/sakura/history/rekisi-33.html ●戦時下の生活道具・用品 http://www.city.minoh.osaka.jp/E-MACHI/kyoudo/senji.html ●『戦時記録』 上巻 (沖縄県読谷村) http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05a/index.htm ●20世紀 映像コレクション http://www.bunmeisha.co.jp/eizo/eizo_syosai04.html ○No.172 戦時下の日本、学校教育(1943) ○No.173 戦時下の日本、学徒勤労動員(1943.06.25) ○No.174 戦時下の日本、国民生活(1943) ○No.175 学徒出陣(1943.10.21~) ○No.186 日本の学童疎開(1944.07.17) ○No.202 東京大空襲(1945.03.10) ○No.203 名古屋空襲(1945.03.12) あたりではどうでしょうか? ご参考になれば幸いです。
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こないだ宮脇俊三「時刻表昭和史」(角川)を読んで戦時中の暮らしがリアルにかかれていて面白かったです。 タイトルだけ見ると鉄道の話みたいですが、中身は戦前の平和だった頃から戦火の中、そして戦後すぐまでの宮脇少年の目からみた東京の人の暮らし。 東京の無差別空爆は昭和20年3月から。それまでは米軍機は軍需工場しか襲わなかったので「お客さん」などと呼んでさほどに恐れていなかったとの事。空襲で身近な人の家があちこち焼けると自分の家だけ無事なのが気にかかる(むしろ早く焼けた方が安心)という戦時下の人ならではの独特な心理、目からウロコの話ばかりでしたが、なるほどなあと納得しながら読みました。
お礼
回答ありがとうございました。なかなか参考になりそうなので、今度図書館で探してみようと思います。
- seyber
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配給制度のみ回答します。 政府は日用品から食料まで政府が管理し、配給制度を行います。(米からマッチに至るまで) 配給制とは、お金を出して政府から購入するものです。 1人当たりの配給量は決まっているので慢性的な物不足に悩ませられる事になります。 そこで、配給以外の所で物を買う事になります。 そこで、闇でお金や物々交換で物を買う事になります。 終戦間際の8月の配給量です。(配給無しの日あり。) 8月初旬、ナス1本。(配給無しの日有り) 8月7日付近、ナス半分。(配給無しの日多し) 8月10日付近、ナス1/3。(配給3日に1回) ※全て今夏に採れたナスを必死に回転させてます。 庶民が捕まるのは覚悟の上で必死に闇米を買出しに電車に乗っていたのはこう言う理由です。 また、インフレで通貨があてにならなくなりました。 (1円で買えた米が100円必要になり、500円になりました。) 土地などの財産の無い会社員や工員などは、なけなしの服との物々交換などで必死に生き抜いたそうです。
お礼
とても詳しい回答ありがとうございました。当時の配給はこんなに大変だったんですね。とても参考になりました。
お礼
わざわざ調べていただき、ありがとうございました。全て見させていただきました。どれもとても参考になります。これからもっとじっくりと読ませていただきます。