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柴田勝家

こんにちは。 ふと思ったのですが、豊臣秀吉ではなく、 柴田勝家の世だったなら、どうだったのか、などと。 また、柴田勝家と前田利家の昇進の仕方の違いは何でしょう。

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  • head1192
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回答No.1

勝家の人物像はよく伝わってないから確言はできないね。 秀吉は天下を取ったからみんな興味を持つけど勝家はそうでもない。 読み物の主人公としてはインパクトに欠ける。 ただ、競争激しい織田家中で最後まで宿老として生き残っているのだから無能ではない。 無能なら対上杉戦線を任されることはない。 内政でも外交でも軍事でも、かなりの手腕を持っていたはず。 教養面がどうかわからず朝廷と渡り合えるかは分からないが、その場合は外交能力のある人間を部下にすればよい。 信長の政治をある程度継承できたのではないかと思う。 ただ、信長のような天才性はないようだし秀吉のような人たらしの能力もない。 どちらかと言えば家康に近い人間のようである。 秀吉のような商人型でないので元手を短期間に2倍にも3倍にも増やすことはできない。 余剰があったらそれを元手にコツコツと農地拡大してゆく人物である。 家康は豊臣政権という統一権力があったのでそれを利用するだけで済んだが、勝家の時代それはない。 天下掌握は数十年遅れるかどこかでとん挫した可能性もある。 出世速度の違いは単純に「権門に生まれたかそうでないか」。 いかに実力重視の信長といえ、すべてそうやっていたら家は成り立たない。 勝家のような知行持ちは、知行地を守ってくれるから主に力を貸すのである。 そうでなければ、真田氏が家康に行ったようにさっさと見限り、他の勢力に鞍替えする。 戦国までの武士の行動原理は忠誠心でなく利害である。 信長も、好き勝手にできたのは直属軍だけで、知行持ちの中までは立ち入れなかった。 勝家が持っているような大知行地を守ってもらうなら、勝家もそれ相応の戦力を提供しなければならない。 それはつまり織田家中における発言権が大きくなるということである。 具体的には身分である。 そこが、信長直属軍の中で成り上がっていった利家との違いである。

sora_iro1881
質問者

お礼

ありがとうございます。 歴史にお詳しいのですね。 確かに、よくいえば勝家は、ずる賢くない人物なのだと思います。 歴史に名を残す人は、人を出し抜く才に丈けた人なのだと思うのです。 前田利家は、槍の又左として働いていた頃から、百万石の大名に登り詰めた人物ですね。信長から秀吉に主君を代えて… 百万石て、他にいませんよね、凄い働きぶりです。デキル男なんですね。 勝家に付いていながら、実は秀吉に付いていたと言われていますね。 短期で、変わり者と言われています。 織田信長とタイプが近そうです。 わたしは、秀吉よりも柴田権六に興味を感じます。 お市の方は、秀吉よりも親子ほど年の離れた勝家に魅力を感じたのだし。 品の無い男は嫌い、て感じです。 信長によりますと、秀吉を『ネズミ』と言った記述があります。信長、ヒドイ笑) 猿より、顔はネズミに似ていたのだと思われます。 勝家が勝利していたならお市の方も、茶々殿も幸せに暮らした一生だったのでしょうね。 回答をありがとうございました。

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