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柴田勝家
こんにちは。 ふと思ったのですが、豊臣秀吉ではなく、 柴田勝家の世だったなら、どうだったのか、などと。 また、柴田勝家と前田利家の昇進の仕方の違いは何でしょう。
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勝家の人物像はよく伝わってないから確言はできないね。 秀吉は天下を取ったからみんな興味を持つけど勝家はそうでもない。 読み物の主人公としてはインパクトに欠ける。 ただ、競争激しい織田家中で最後まで宿老として生き残っているのだから無能ではない。 無能なら対上杉戦線を任されることはない。 内政でも外交でも軍事でも、かなりの手腕を持っていたはず。 教養面がどうかわからず朝廷と渡り合えるかは分からないが、その場合は外交能力のある人間を部下にすればよい。 信長の政治をある程度継承できたのではないかと思う。 ただ、信長のような天才性はないようだし秀吉のような人たらしの能力もない。 どちらかと言えば家康に近い人間のようである。 秀吉のような商人型でないので元手を短期間に2倍にも3倍にも増やすことはできない。 余剰があったらそれを元手にコツコツと農地拡大してゆく人物である。 家康は豊臣政権という統一権力があったのでそれを利用するだけで済んだが、勝家の時代それはない。 天下掌握は数十年遅れるかどこかでとん挫した可能性もある。 出世速度の違いは単純に「権門に生まれたかそうでないか」。 いかに実力重視の信長といえ、すべてそうやっていたら家は成り立たない。 勝家のような知行持ちは、知行地を守ってくれるから主に力を貸すのである。 そうでなければ、真田氏が家康に行ったようにさっさと見限り、他の勢力に鞍替えする。 戦国までの武士の行動原理は忠誠心でなく利害である。 信長も、好き勝手にできたのは直属軍だけで、知行持ちの中までは立ち入れなかった。 勝家が持っているような大知行地を守ってもらうなら、勝家もそれ相応の戦力を提供しなければならない。 それはつまり織田家中における発言権が大きくなるということである。 具体的には身分である。 そこが、信長直属軍の中で成り上がっていった利家との違いである。
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