- ベストアンサー
秀吉が利家の城を訪ねた話
賤ヶ岳の戦いの時、勝家、秀吉双方との争いを避けた前田利家が 兵を引いて城に退却し、そのあと秀吉がその利家のもとを訪ねる と言うエピソードが結構有名ですが これは後世の創作でしょうか?それとも実際に秀吉は利家を訪ねたのでしょうか? このエピソードは以降利家が秀吉の家臣となり 豊臣家のナンバー2となる過程の需要なターニングポイントですよね
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんばんは 美談すぎる話ですので少し創作も入っているかもしれないです。 http://www.city.nagoya.jp/kyoiku/page/0000013736.html 豊臣秀吉が生まれ育った名古屋市のページ 名古屋市の秀吉清正記念館 1626年(寛永3)に秀吉の伝記本、小瀬甫庵(おぜほあん)著『太閤記(たいこうき)』が出版され、広く読まれました。この中ではかなりの脚色がなされ、秀吉は史実とはかけ離れたヒーローとして描かれます。秀吉は史実にもとにしたものよりも、後世に読み物、芝居での創作された話によるものの方が、ずっと強いのが現実です。と書いてあります。秀吉の創作が多いのが現実ですので、利家の話しも前田家が歴史に残るように創作する可能性は高いです。新選組もですね。 https://pleasure-bit.com/3902.html おねえさんが言われているナンバー2のところも意見がわかれます。 http://www.pcpulab.mydns.jp/main/kanazawajyo.htm 国史跡・国重要文化財 金沢城の概要では、同年11月には勝家の命を受け、金森長近・不破勝光とともに山城国宝積寺城にあった秀吉を相手に一時的な和議の交渉を行っています。4月の賤ヶ岳の戦いでは、利家は兵5,000を率いて柴田軍として布陣しましたが、合戦のたけなわで突然撤退し、羽柴軍の勝利国府中城に籠るが、敗北して北ノ庄城へ逃れる途中の勝家が立ち寄ってこれまでの労をねぎらい、湯漬けを所望したという逸話が残っています。 https://www.hokkoku.co.jp/kagakikou/meoto/meoto_18.html 多くの部下を追撃で失いながら、湖に転げ落ちるようにして利家は軍を引かせた。間もなく、後を追う秀吉との対決が待っている。 https://yururito-sengoku.com/maedatosiie/maedatosiiesizugatake.html どの話しも創作されていると思います。正解がないですのでむずかしいですが、おねえさんの話しがあっているのかもしれないですし、創作をしたのかもしれないです。ただ創作をした方がインパクトが残って、人間の印象と記憶に残ります。ですので質問の内容の話しも創作が入っていると思います。同じ場面のところなのに、秀吉と利家の関係も上のリンクでもみんな違います。おねえさんの方がわたしより詳しいと思います。 お体に充分に気をつけられてください。
お礼
ありがとうございます