• ベストアンサー

ニーチェの何がすごいんですか?

ニーチェの何がすごいのかについて教えていただきたいです また”自分ではニーチェのような考え方はとても思い付かない”、”ニーチェの発想は天才しか思い付かない発想だわ”と思いますか? ニーチェに関する入門本を少しだけ読んだだけですが超人思想など自分が知る限り必ずしもそうは思えなかったからです

  • sfswr
  • お礼率25% (245/962)

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9728/12102)
回答No.6

再度、質問者からの補足を拝見しました。 >「他人の評価は気にせず、己の内部からの納得あるのみ」という哲学研究への価値観は哲学者としては特異なのでしょうか? 個人的には哲学者というのは本質を探究しているため往々にしてそういった名声や報酬に興味のないタイプの人が多いと勝手に思っていました。 ⇒確かに、哲学者には名声や報酬に興味のないタイプの人が多いと思います。その中にあっても、とりわけニーチェはその傾向が強かったと言えるかも知れません。 >私はただニーチェが死後120年経った現在でも日本でも(おそらく欧米の多くでも)別格の天才哲学者として評価されているその理由が知りたいと思っている次第です。 ⇒すみませんが、そればかりは個人個人で見方は異なりますし、超主観的にならざるを得ない哲学的解釈を独我論(Solipsism) 的な側面のある不自由な言語で説明するのは大変困難なことです。まして私ごときには、浅学・寡聞にして、とてもそのような説得力は持ちませんので、その儀はご容赦いただきたいと思います。ここは、どうぞご自分で探求なさってみていただけませんか。 ただ、私個人としては、前便でも申しましたとおり、フォィエルバッハの所説に賛同してそれを受け継ぎつつ「人間学を確立」した点にニーチェの偉大さを感じています。ギリシャに生まれた哲学は、はじめ自然学として認識されていたようですが、それが中世ヨーロッパでは神学の下位に位置づけられました。そして、教父の哲学(スコラ学)では、神学のしもべとしてもっぱらキリスト教の護教のために利用されていました。ニーチェはこういう状況、つまり、人間の創り出した概念である「神」*によって、当の人間自身が疎外されているという看過できないような現状を憂え、哲学を神学の支配から救い出し、哲学を「人間の学」として自立させた功労者である、と見ることができると考えています。 *フォィエルバッハは、「もし馬が神を創り出していたら、馬の顔に似せて神を創っただろう」などと言っています。

sfswr
質問者

お礼

遅くなってしまい申し訳ありません 承知しました ニーチェが日本でも欧米でも天才として評価されている点についてはおそらく哲学者等の間で何らかの共通認識があるためかなと思っていますがそれを知りたいと思い質問しました 何度もご返信くださり誠にありがとうございました

その他の回答 (5)

  • kurinal2
  • ベストアンサー率27% (23/84)
回答No.5

・・・多分、現状否定の圧力が、凄い

  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9728/12102)
回答No.4

質問者からの補足を拝見しました。 sfswrさんご指摘のいずれの項もそのとおりで、お説そのものに異論を唱えるつもりはありません。しかし、仰せの事柄を認めた上でも、なおかつ「ニーチェはすごい」と思います。以下、個々の項目に触れながら、理由の一部なりとお伝えできればと思います。 >「人類の問題を自己の問題と見なし、哲学を机上の空論とせず現実に活用したこと」ですが、哲学とはもともと人生をどう生きるのがよいかみたいなことを探究するという部分があると思うのでその点はニーチェに限らず既にそうした哲学者は数多くいたのではないでしょうか?これはニーチェに特異なことでしょうか ⇒「太陽のもと新しいものはない」(There is nothing new under the sun.)。これは旧約(伝道の書)にある言葉ですが、なるほどと合点できます。確かに、ニーチェと同じテーマに取り組んだ哲学者・先行研究は多いでしょう。けれども、「取り組みテーマ上、大勢のうちの一人である」ことだけをもって価値を云々することはできないと思います。彼らの取り組み姿勢の多くは観念論的ですが、ニーチェのそれはかなり実践論的です。ギリシャのディオゲネスがやったように、真の人間、人間の本質、あるべき人間の当為を求めてさすらい、苦闘した形跡と記録があります。ですから、彼の特異性は取り組みのテーマでなく、いわば「間テキスト性」という付加価値の探求にあると言えるでしょう。「未来を想うがゆえに、過去という倉庫を探る」(オルテガ)ために、人間の本質・当為を求めて、古代ギリシャをはじめ古今の時空をさまよい、訪ね、未来に雄飛しようともがき、格闘した姿が彷彿されます。 >「人類の不幸を救済したいと心底希求したと思われること」ですが、人類の救済を目的とするというのはキリスト教や仏教等の宗教的な考え方であると思われますが哲学にもそうした部分はもともとありましたよね(もともと哲学と宗教には密接な関係があります) この点もニーチェは哲学者としてごく当然のことを目的に置いただけではないのでしょうか ⇒世界の文化遺産を担い、継承してきた群像は、いわば「文化遺産のリレー選手」とも言える人たちだと思います。例えば、デカルト>カント>ハイデッガー>サルトル(人間精神の自立)、コペルニクス>ブルーノ>ガリレイ(天動説)、ウィクリフ>ルター(宗教改革)、フィヒテ>ヘーゲル>マルクス・エンゲルス(唯物史観)、リンネ>ラマルク>ダーウィン(進化論)、マイケルソン=モーリー>ローレンツ>アインシュタイン(相対論)などの名をあげることができます。そしてニーチェも、その一端を担ったと言えるでしょう。すなわち彼は、フォィエルバッハ>ショーペンハワー>ニーチェ(人間学)といった人間学系図の一員でした。彼らは、不幸にも「哲学は神学の婢(はしため)」と揶揄された哲学を神の裾野から分離して救い出し、人間の学として自立を促した人たちです。世界的文化遺産の継承の一翼を担い、それを今日の我々に伝えてくれたリレー選手だと思います。 >「死後の天国・煉獄・地獄などの妄想にとらわれず、現実の生を最大限に謳歌できるものにしようとしたこと」ですが天国や煉獄の考え方が妄想かどうかは争いがあるので置いておくとして現実の生を最大限に謳歌できるものにしようとすることについてもよりよい人生を送るという哲学の目的の1つを追求しただけであって哲学的にはごく普通の目的意識ではないでしょうか ⇒ニーチェは、上述のとおり、「なりふり構わず」自ら苦悩し、格闘しました。常に今の自分から脱皮し、高みを望み、より上級の審理を求めました。「大勢の賛同は得られても、全員の賛同は得られない」と言われますが、ニーチェはそのような他人の評価は気にせず、己の内部からの納得あるのみという意識だったようで、この点がやや特異な存在と言えるかもしれません。もっぱら「不滅の探求」に傾注したウナムーノと似たところはありますが、ニーチェのそれはもっと広く、いわば、Discendo liberior.「学ぶことによってより自由に」(=あらゆる迷信・妄念・偏見からの離脱と脱却)が眼目であったようにも見えます。ある意味、常人には理解しがたいような、極端に異様な発言が多いとも見られますが、その実、学者というよりは市井の人に近い感覚・嗅覚をもって理想の人間性を問い続けた、それがニーチェの真骨頂である、と言えるかも知れません。 ということで、以上述べたことを「トータルに」見れば、一層明瞭に「ニーチェはすごい」と言えるような気がしてきます。

sfswr
質問者

補足

ご返信に気づきませんでした。 遅れてしまい大変申し訳ありません。 拝読したところ(専門用語を含めよく理解できなかったところもありますが自分が理解できたと思われた範囲ですが)ニーチェのすごさはニーチェ哲学の内容よりはむしろアプローチ方法(観念論的よりはむしろ実践を意識していること、学者的な思考ではなくもむしろ巷の一般人の感覚から哲学を考えていた等)やニーチェの情熱のようなところにあるとおっしゃられているように感じました。 ちなみに「他人の評価は気にせず、己の内部からの納得あるのみ」という哲学研究への価値観は哲学者としては特異なのでしょうか? 個人的には哲学者というのは本質を探究しているため往々にしてそういった名声や報酬に興味のないタイプの人が多いと勝手に思っていました。 ただもともとの私の質問がよくなかったかもしれません。 私はただニーチェが死後120年経った現在でも日本でも(おそらく欧米の多くでも)別格の天才哲学者として評価されているその理由が知りたいと思っている次第です。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9728/12102)
回答No.3

以下のとおりお答えします。 >ニーチェの何がすごいんですか? ⇒人類の問題を自己の問題と見なし、哲学を机上の空論とせず現実に活用したこと、人類の不幸を救済したいと心底希求したと思われること、死後の天国・煉獄・地獄などの妄想にとらわれず、現実の生を最大限に謳歌できるものにしようとしたこと、などです。 以上が回答で、以下は蛇足です。(長文ですので、ご関心がなければ無視してください。) ニーチェの言うことは滅茶苦茶だと感じることがあるかも知れませんが、それは彼が哲人であると同時に詩人でもあるということが関わっているかもしれません。その辺の状況はニーチェの精神史を見ると納得できる。ヨーロッパ文化の危機を感じて苦悩し、様々に警告を発するが、その方法は時に哲学的であり、時に文学的であることが読み取れます。 #ニーチェの精神史:「あの世を賛美し、この世を否定するキリスト教は死の匂いがする」とニーチェは憤る。「それでは、この世のすべては徒労だということか」と。ここにニーチェの苦悩が始まる。「この世こそを賛美し、明るく積極的に生きるべきではないのか」。ここにニーチェの開き直り、拒絶や反抗の気分が頭をもたげる。「かくなる上は、地上の楽園を造るしかない」といった意識で、批判、警告、提言などの行動を起こす。 ということで、ニーチェは、まずキリスト教に落胆してペシミズムに陥ります。その結果彼はキリスト教の「神殺し」を決行し、結果としてニヒリズムや無神論につながっていきます。こういう心の軌跡に沿って模索した結果、次々と『悲劇の誕生』、『アンチクリスト』、『反時代的考察』、『人間的な、あまりに人間的な』、『善悪の彼岸』、『道徳系譜学』、『偶像のたそがれ』、『ツァラトゥストラかく語りき』、『この人を見よ』、『権力への意志』、『たのしい知識』などの著書を物していったと見ることができます。 そういう流れの中で、最も分かりにくい概念の1つに「永劫回帰」があります。彼の根本思想で、物の本でそれは、「あらゆる存在は意味も目標もなく永劫に繰り返されるが、あえて生きる決意をする者はこの円環運動をもって生の絶対的肯定に転じることになることであるという主張」と説明されます。『哲学事典』(平凡社)によると、「(永劫回帰は)一見、超人思想、権力意志説と矛盾するように見えるので、この解釈には諸説がある」といいます。また、秋山英夫著『思想するニーチェ』(人文書院)には、「ニーチェの非合理主義は、『永劫回帰』においてその頂点に達する」とあります。それはともかく平たく言えば、「回帰する」とは、字義上ではスパイラルを描いて元に戻るということですが、ニーチェの真意を想像すれば、「ただ元に戻るのではない、一段階上昇する形で戻るのだ。そして、それを繰り返すことによって、永遠なる理想郷に近づくのだ」となるように思います。 では、「生の絶対的肯定に転じることになる」ということはどういうことか。ただ息をするだけでも生きてはいるが、「生の肯定」にはならない、ということでしょう。「生の絶対的肯定」とは、例えば、①死後の世界、あの世があるなどと考えずに「この世」を積極的に生きる。②「現実」を肯定してこれを享受し、愛し、楽しむ。③自然や美に憧憬を抱き、「芸術する」(ちなみに、ニーチェは哲学者兼詩人です)などが考えられる。 さらに、なぜ「あえて生きる決意をする者」が前提になるのか。「物理的存在」から「精神的存在」になるためでしょう。①ただ存在するのでなく、「哲学する生」を生きる。②自己存在の意味を模索し、自分なりに生きる上での目標を設定する。③常に今の自分を脱皮し高みを望み、より上級の審理を求める。少なくとも、こういうことを意識化することが必要、ということだと思います。 ということで、「永劫回帰」の真意はこうも言えるでしょう。①ひと皮むけるごとに、あるいは、「正反合」を繰り返すごとに、自己の新しい生に回帰する。つまり、上昇する。②「来世がある、今度生まれてくるときはもっと幸せになれる…」などは、「生きていない」者の、泣き言にも近い慰めに過ぎないことと自覚する。③「個々の瞬間の君の行為がことごとく永劫に回帰するかのように行為せよ」(ジンメル)という倫理観を持つ。すなわち、「一瞬が永遠なのだ」(ピコ・デラ・ミランドール)とも類似した発想で「今に生きる」。 #結論:「永劫回帰」というとき、それがパラドックスであるにしろないにしろ、ニーチェは徹底的な現実肯定主義で、その中で人間として自分の生を生きよと言っている。そう解釈できる。享楽主義、またはキュレニスムやディレッタンティズムのように、諦念や惰性を抱くのでなく、その空しさを正面から受け止め、苦悩し、格闘するところが、「あえて生きる決意をする」意気込みの表われではないだろうか。「青年であってペシミストでないことは不可能であるといってよい。そもそも、充実した人生は深い悩みなしにはありえない」というのを聞いたことがあるが、ニーチェ自身も「どれほど深く悩み得るかということが、ほとんど人間の位階を決定する」(善悪の彼岸)、と言っている。人生を空と見て「無を悟る」のが仏教思想なら、人生に空を感じて、これを受け止めた上で、これに抗い、探求するのが永劫回帰の思想である、ということもできるだろう。 このような苦悩を乗り越えたところに、真の「現実を肯定してこれを享受し、愛し、楽しむ」境地が生まれるという意識ではないでしょうか。ニーチェの『たのしい知識』では、「《人生は認識の一手段だ》―この原則を心に持てば、ひとはたのしく生き、そして、たのしく笑うことができる」と言っている。「人間は、遊戯する場合にのみ完全に人間である」(シラー)し、「人間はホモ・ルーデンス(遊戯人)であるときにこそ、もっとも人間らしい」とも言われます。「永劫回帰」と「進歩」とは、一見矛盾しているように見えますが、実はそこには何らの齟齬もない。「形式的に永劫回帰」することで、「内実が進歩」するのである。つまり、スパイラルを描いて、元に戻った時には、既存の内実が「止揚」されて、「人としてバージョンアップ」する、というわけです。ニーチェ特有のニヒリズムを考える際、問題の重点は、「現代の頽落を上昇に転換する基本的原理を模索することである」とも言われる所以です。

sfswr
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 「人類の問題を自己の問題と見なし、哲学を机上の空論とせず現実に活用したこと」ですが、哲学とはもともと人生をどう生きるのがよいかみたいなことを探究するという部分があると思うのでその点はニーチェに限らず既にそうした哲学者は数多くいたのではないでしょうか?これはニーチェに特異なことでしょうか 「人類の不幸を救済したいと心底希求したと思われること」ですが、人類の救済を目的とするというのはキリスト教や仏教等の宗教的な考え方であると思われますが哲学にもそうした部分はもともとありましたよね(もともと哲学と宗教には密接な関係があります) この点もニーチェは哲学者としてごく当然のことを目的に置いただけではないのでしょうか 「死後の天国・煉獄・地獄などの妄想にとらわれず、現実の生を最大限に謳歌できるものにしようとしたこと」ですが天国や煉獄の考え方が妄想かどうかは争いがあるので置いておくとして現実の生を最大限に謳歌できるものにしようとすることについてもよりよい人生を送るという哲学の目的の1つを追求しただけであって哲学的にはごく普通の目的意識ではないでしょうか

noname#252654
noname#252654
回答No.2

永劫回帰を読みなさい

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1119/8893)
回答No.1

永遠回帰はどうでしょう。

関連するQ&A

  • ニーチェから現代の思想への流れ

    哲学素人です。 最近、ニーチェの入門書(初の哲学書)を読んで哲学に興味を持ちました。 ルサンチマン批判、禁欲主義の批判、善と悪の解体、超人思想、だと思っているのですが(違ったらすいません)。 私の母もキリスト教で幼いときから禁欲主義やユートピア思想を教え込まれました。そこで当然のように自己批判によってペシミスティックに陥り、信仰もしていないのでニヒリズムに陥っています・・・。 ニーチェは超人思想に生きようとして発狂していましたが、現代までに彼のいっているニヒリズムや禁欲主義からの自己批判を乗り越えた思想家はいるのでしょうか?? お分かりだと思いますが、自分自身への処方箋を探しています。 哲学に詳しくないので、間違っていたらすいません。

  • どうしてアメリカ人はニーチェを嫌うのか?

    ヒトラーは、大のニーチェ好きだった。超人思想に、どこか共通点を見出したからかもしれない。だったら現在アメリカでも、もっとニーチェは共感を得られるべきだと思うが、なかなか評価がいまだに定まっていない。 どうしてアメリカ人は、ニーチェを受け入れようとしないのか?善悪の向こう側でアメリカ人を眺めている私に、誰か教えてください。 https://www.youtube.com/watch?v=CfrHwfujce4

  • キルケゴールとニーチェについて

    もし、あればなのですが、キルケゴールとニーチェの解説書について教えて下さい。 現代思想を学ぶ上で、まず上の2人の著作を読んでおきたいと思っています。 ただ、私には哲学の知識が無いに等しいので、何か参考になる本を片手に 読み進めたいと思っています。 哲学に詳しい方、なにか良い入門書、参考書等ありましたら、 教えて頂けないでしょうか。

  • ニーチェの「超人思想」を教えてください

    ニーチェの「超人思想」というのを簡単に教えてください。 1.仏教などのように悟りを開くというような意味でしょうか? 2.ウルトラマンなどのような変身願望に近いのでしょうか? 3.超能力を身につけることと関係ありますか? 4.普通の人には縁がなく、特別な人だけのものですか? 5.「神が死んだ」という言葉がありますが、これと関係ありますか? 6.子供でも理解可能なものですか? 7.超人になった人がいますか?ニーチェはどうですか? ちなみに「ツラツストラ」は2度読もうとして途中で挫折しました。 難解すぎます。 よろしくお願いします。

  • ニーチェ入門の本

    先日実家に帰りまして、すっかり忘れていたのですが高校一年生のときの読書メモが出てきました(笑) メモには「怪物と闘う者は、その過程で自分自身も怪物になることがないよう、気をつけねばならない。深淵をのぞきこむとき、その深淵もこちらを見つめているのだ」という言葉と、ニーチェという名前、これは誰だろうという疑問が書かれてありました。 そこで皆様に教えていただきたいことは2点です。 1、この言葉がツァラトゥストラという本に書かれているということは調べたので、できれば購入して読みたいのですが、どの本がよいか分かりません。哲学の本を一冊も読んだことのない人間ですので、一番読みやすいものをご紹介下さい。 2、この機会にニーチェという人の思想について、いくらか知りたいと思います。ニーチェを知るにはとりあえずこの一冊、という手軽な入門書があれば教えてください。 活字を読むことに抵抗はありませんが、数十年前の訳本は外国語のように感じられてしまいます。物語のようにさらっと読めるものをお願いします。

  • ニーチェが流行りですが……

    ニーチェが流行りですが…… ニーチェ、ブームですよね。ブームであれ、過去の異人の思想にふれるのはよいと思っている、本屋さんです(事務方なので今日はお休みです)。 私は雑読なのと、基本的に古典を含むフィクションをよむほうですが、ニーチェを読んだ、という人間から、言いがかりをつけられました。 ・フィクションばかり読んでいて、現実逃避だ。好きな作家の名前を多々挙げているが、読んだ数だけ自慢しているのだろう。フォレスター、ヒギンズ、ハシェク、志賀直哉、と名前を列挙して悦に入るな。 ・そのなかに、阿川弘之、サン・テグジュペリのような軍人・貴族がいるが、支配者の理屈でものを考えている。 ・ゴールデン・エイジSFなんて、絵空事 まあ、おおむねこのようなことを、ニーチェの読者さんはいいます。 事実、哲学は興味がないジャンルだったので非難はハイハイと聞きますが、多用される「ルサンチマン」という言葉を、よく理解できません。 私は、はしょって「弱者の強者に対するねたみの鬱積」とおもっていました。昔、この言葉にはじめてあったときに広辞苑引きました。そこの記述がモトネタです。 が、そのニーチェさんは、 「あわてて『ルサンチマン』のことをウィキペディアで調べてきたんだろう。無為な読書の結果がこれだ」 と、意気軒昂です。 私のニーチェに対する理解、いや、それ以下の印象、は ・工業化、複雑化が進むこれからの世では、人間は自分に厳しくなければならない。いまや神に寄り添うより、自立し、人間の中の「超人」が頂点に立つべきである。ただ、その重すぎる使命をおった頂点に立つ超人をささえるのには、幅広いすそ野が必要であり、堕落していない凡人の存在は、良いことである。 書いていて、自分の背筋が寒くなるような文章ですね。 聞き流せばいいと思うし、皆さまも「バカ同士のののしりあい」とお思いでしょうが、無視以外に、うまくこのようなニーチェさんをあしらう一言は、ありうるのでしょうか。 ニーチェも人間の幸福を考えて、思想を重ねたのだとおもいますが、ニーチェさん、にちょっと困っています。ご助言ください。

  • ニーチェ

    ニーチェの思想について、教えてください。 またはニーチェのことにかかれている参考にできるHP等があればぜひ教えてください。 よろしくお願いします。

  • ニーチェにおける「超人」と「凡人」について

    ニーチェを読んでいる者です。 『ツァラトゥストラ』と『反クリスト』を読んで気になったことがあるので質問です。 『ツァラトゥストラ』においては、「超人が大地の意義であれ」とか「超人のために破滅する者を愛する」と、超人以外は滅びてしまえみたいな論調で書かれています。 ところが『反クリスト』を読むと、「超人たちは思いやりをもって凡人を扱え」「凡人をばかにするな」ということも書いてありました。 私は、ニーチェは「すべての人間が超人たりえ、超人以外は滅びる社会」を志向しているのかと思っていたのですが、「凡人」を肯定しているあたり、そうでもなさそうです。 ニーチェにとって「凡人」とは、「超人」でも「おしまいの人間」でもない「いてもいい存在」なのでしょうか? 彼は、「超人」がノーブレス・オブリージュで多数の凡人を統治する社会を目指していたのでしょうか?

  • ニーチェの思想について

    哲学についてド素人なのですが、ニーチェの思想について教えてください。ニーチェのニヒリズムとキリスト教の関連がよくわかりません。  いろいろ調べてみたのですが、よく理解できないです。 できるだけ簡単にニーチェの思想について教えてください。

  • ニーチェの没落について

    ニーチェは、没落という言葉にマイナスのイメージをもっていないことはわかりました。でも、詳しいことが全くわかりません。没落とはどこに没落するのですか? 橋を渡ったら超人になれるということですよね?