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ニーチェの思想は矛盾していると思いますが?

ニーチェは自らの本能を肯定することを善いことだと言っていますが、それと同時に向上心による自己超克を肯定しています。 自分の根源的な本能や欲求を肯定しながら自己超克することは矛盾している感じますがどうなのでしょうか?

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  • Nakay702
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回答No.1

以下のとおりお答えします。 >ニーチェは自らの本能を肯定することを善いことだと言っていますが、それと同時に向上心による自己超克を肯定しています。 自分の根源的な本能や欲求を肯定しながら自己超克することは矛盾している感じますがどうなのでしょうか? ⇒本能はおもに肉体的条件に帰属し、自己超克はおもに知的営為の働きに依存することですので、その間に対立があっても何ら不思議はなく、矛盾でも何でもないと思います。ニーチェに矛盾があると感じることがあるとすればそれは、彼が哲人であると同時に詩人でもある、ということが関わっているかもしれませんね。そのあたりの状況はニーチェの精神史を見ればいくらか納得できるかもしれません。ヨーロッパ文化の危機を感じて苦悩し、様々に警告を発するわけですが、その方法は時に哲学的であり、時に文学的であることが読み取れるからです。 ニーチェの精神史(概観) あの世を賛美し、この世を否定するキリスト教は死の匂いがする。ニーチェはこれに憤り、考える。「それでは、この世のすべては徒労だということか」と。ここにニーチェの苦悩がはじまる。悲壮感が心に巣くう。「この世こそを賛美し、明るく積極的に生きるべきではないのか」。プラトンのイデア論などくそくらえとばかり、これに毒舌を吐き、ギリシャの酒の神ディオニソス(バッカス)に共感を抱く。ここにニーチェの開き直り、拒絶や反抗の気分が頭をもたげる。「かくなる上は、地上の楽園を造るしかない、権力の権化、新しい神を求めるしかない。そういう神はいないのか。自分が神になるしかないのか。いや、そういう《真なる神》はいるはずだ。それを探そう!」といった意識で、批判、警告、提言などの行動を起こす。 このように考えたニーチェの行動の軌跡を見ると、まず、キリスト教に落胆してペシミズムに陥る。その結果キリスト教の「神殺し」を決行し、開き直ってニヒリズムや無神論につながる。これが、とりもなおさず「独自思想の神格化」であり、自前の「新しい神探し」へと赴くことになったのではないだろうか。こういう心の軌跡に沿って模索した結果、次々と『悲劇の誕生』、『アンチクリスト』、『反時代的考察』、『人間的な、あまりに人間的な』、『善悪の彼岸』、『道徳系譜学』、『偶像のたそがれ』、『ツァラトゥストラかく語りき』、『この人を見よ』、『権力への意志』、『たのしい知識』などの著書を物していった、と見ることができると思います。 ところで、ニーチェの思想で、最も分かりにくい概念の1つに「永劫回帰」があります。彼の根本思想で、物の本には「あらゆる存在は意味も目標もなく,永劫に繰り返されるが,この円環運動をあえて生きる決意をする者は生の絶対的肯定に転じることになる、と主張している」と説明される。この問題をつつき始めると話は延々続くことになりますが、ここではそんな余裕はありません(というか、ご質問の趣旨から離れる)ので、敢えて一言にまとめるとどうなるでしょうか。回帰するとはスパイラルを描いて元に戻るということですが、そこでニーチェの真意を想像すれば、「ただ元に戻るのではない、一段階上昇する形で戻るのだ。そして、それを繰り返すことによって、永遠なる理想郷に近づくのだ」ということではないかと思います。

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