magga の回答履歴

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  • 輪廻転生説は 愚の骨頂

     ではないでしょうか? 次の理由により 哲学が取り上げるには 値しない主題ではないでしょうか?  理由その一: わたしは 過去世のこれこれという人間から 生まれ変わった者であると言うのは 自由である。その自由というのは 証明もできなければ 反証のしようもないという意味である。  理由その二: 生まれ変わりというこの考え方には つうじょう 因果応報説も ついている。けれども このように 宇宙の始まり以来 いわゆる善因善果(ないし楽果)および悪因悪果(ないし苦果)のもとに 生まれ変わるとすれば ひとつの行為は つねに 例外なく 自業自得という意味である。仮りに人を殺しても 殺すほうも殺されるほうも まったく寸分たがわず それぞれが 自業自得だとなる。それ以外に考えられない。  理由その三: ひとつだけの生涯ではなく やり直しが効くように 転生の思想があるのだと反論を聞いた。けれども それだと この今の人生については もはや 努力をしないと宣言したようなものである。たとえ 来世があるとしても それを頼まずに 今世にて やれるだけのことをやっておくのが 筋というものである。つまり 生まれ変わることを 念頭に置くのは 意味がない。  理由その四: 民主主義ないし 思惟や行動をふくむ表現行為の自由ということ この自由が まだ 制約されていたときには 《たとえこの今の生において 達成し得なかったとしても 次に生まれて来たときには 必ず 成し遂げるぞ》という気概を表わしていたかも知れない。けれども 現代においては かえって 安易な考え方になってしまう。言いかえると 安易な考え方を持つなら 持った途端に 努力とそのための能力が 萎える。それゆえに 精神をめぐる病いが現われるのではないか。すべて ここに原因があるのではないか。  真実をおしえてください。

  • 創価学会員です。

    学会員と日蓮正宗の両方に質問したいです。自分は現役の地区副リーダーです。学会活動、というよりも教義そのものに疑問を感じて活動から遠ざかっています。 学会が正しいのであれば、なにも疑問はありません。しかし、そうは思えないことを日常から感じています。御書を拝する限り、仏法正当性は日蓮正宗にあることがわかります(唯授一人の血脈など)。けれど学会では日蓮正宗を毛嫌いし、悪口ばかりをいっています。この血脈相承のことを尋ねても、学会では「日顕に相承なんてない」の一点ばりで話になりません。 そういう学会では、宗門の悪口をいいながら、自分たちは大聖人の言葉よりも池田先生を絶対視していて、とても日蓮門下とは思えない人ばかりが目立ちます。池田先生は、日蓮門下のひとりでしょう? 大聖人の言葉よりも、重く拝さなければならない理由があるのでしょうか。庶民が平等なのなら、池田先生も僕らと同じ日蓮門下の一信徒であるはずです。 なにが正しいのかわかりません。 ある幹部に聞いたところ、「日蓮正宗はぶっつぶす」といっているし、壮年大幹部も、「まぁ日蓮正宗は消えてなくなるだろうねぇ」なんて笑っていっていました。 日蓮正宗は、日蓮門下の総本山なのでは・・・・・・・日興上人が開山された大石寺をぶっつぶすんですよ? もうおかしいとしか思えません。 日蓮正宗に考えがなびくことも多くありました。けれど、日蓮正宗でも同じように、今度は創価学会の悪口を繰り返すのでしょうか。 学会には学会なりの、宗門に対する不信感(たとえば腐敗堕落したなどの)があり、宗門には宗門なりの、学会に対する不信感(過剰な政治参入や急激で内容のない折伏活動など)があると思うのです。 昔は仲がよかったのに、ここまで急激で極端な抗争に発展するのはおかしいはず。 なぜお互いが忌み嫌うのでしょうか? どちらかが正義なのでしょうか。 あるいはどちらも正しいのですか。

  • 輪廻転生説は 愚の骨頂

     ではないでしょうか? 次の理由により 哲学が取り上げるには 値しない主題ではないでしょうか?  理由その一: わたしは 過去世のこれこれという人間から 生まれ変わった者であると言うのは 自由である。その自由というのは 証明もできなければ 反証のしようもないという意味である。  理由その二: 生まれ変わりというこの考え方には つうじょう 因果応報説も ついている。けれども このように 宇宙の始まり以来 いわゆる善因善果(ないし楽果)および悪因悪果(ないし苦果)のもとに 生まれ変わるとすれば ひとつの行為は つねに 例外なく 自業自得という意味である。仮りに人を殺しても 殺すほうも殺されるほうも まったく寸分たがわず それぞれが 自業自得だとなる。それ以外に考えられない。  理由その三: ひとつだけの生涯ではなく やり直しが効くように 転生の思想があるのだと反論を聞いた。けれども それだと この今の人生については もはや 努力をしないと宣言したようなものである。たとえ 来世があるとしても それを頼まずに 今世にて やれるだけのことをやっておくのが 筋というものである。つまり 生まれ変わることを 念頭に置くのは 意味がない。  理由その四: 民主主義ないし 思惟や行動をふくむ表現行為の自由ということ この自由が まだ 制約されていたときには 《たとえこの今の生において 達成し得なかったとしても 次に生まれて来たときには 必ず 成し遂げるぞ》という気概を表わしていたかも知れない。けれども 現代においては かえって 安易な考え方になってしまう。言いかえると 安易な考え方を持つなら 持った途端に 努力とそのための能力が 萎える。それゆえに 精神をめぐる病いが現われるのではないか。すべて ここに原因があるのではないか。  真実をおしえてください。

  • 輪廻転生説は 愚の骨頂

     ではないでしょうか? 次の理由により 哲学が取り上げるには 値しない主題ではないでしょうか?  理由その一: わたしは 過去世のこれこれという人間から 生まれ変わった者であると言うのは 自由である。その自由というのは 証明もできなければ 反証のしようもないという意味である。  理由その二: 生まれ変わりというこの考え方には つうじょう 因果応報説も ついている。けれども このように 宇宙の始まり以来 いわゆる善因善果(ないし楽果)および悪因悪果(ないし苦果)のもとに 生まれ変わるとすれば ひとつの行為は つねに 例外なく 自業自得という意味である。仮りに人を殺しても 殺すほうも殺されるほうも まったく寸分たがわず それぞれが 自業自得だとなる。それ以外に考えられない。  理由その三: ひとつだけの生涯ではなく やり直しが効くように 転生の思想があるのだと反論を聞いた。けれども それだと この今の人生については もはや 努力をしないと宣言したようなものである。たとえ 来世があるとしても それを頼まずに 今世にて やれるだけのことをやっておくのが 筋というものである。つまり 生まれ変わることを 念頭に置くのは 意味がない。  理由その四: 民主主義ないし 思惟や行動をふくむ表現行為の自由ということ この自由が まだ 制約されていたときには 《たとえこの今の生において 達成し得なかったとしても 次に生まれて来たときには 必ず 成し遂げるぞ》という気概を表わしていたかも知れない。けれども 現代においては かえって 安易な考え方になってしまう。言いかえると 安易な考え方を持つなら 持った途端に 努力とそのための能力が 萎える。それゆえに 精神をめぐる病いが現われるのではないか。すべて ここに原因があるのではないか。  真実をおしえてください。

  • So this is Christmas,戦争のない世界について

    クリスマスが近づくと、毎年、平和について考えてしまいます。 今年は例年になく厳しい状態が続くようですが。 ところで、戦争のない世界を多くの人は望んでいますが、その根拠としてはどのようなことがあるのか、私自身も、戦争のない世界を望んでいるのですが、ひょっとすると、戦争のない世界などは、過去に存在しなかったし、今後も存在しない、ということが証明可能かもしれません。 戦争のない世界を信仰として望むことを否定するのではなく、学、あるいは哲学として、存在しないし、今後も存在しないものについて考えることは、まったくの徒労になってしまいます。 そこで、戦争のない世界について、哲学的考察は可能なのでしょうか。 まずは、 1)戦争を現象学的に還元して、人間本性から起因しているもので、戦争はなくならない。という仮説について吟味してください。 2)1)の結果に関わらず、戦争のない世界について、哲学的な考察は有益なのでしょうか。 ひとつは、戦争のない世界はいかにして可能か。 もうひとつは、戦争がなくならないのならば、その悲惨をやわらげる方法を考えることは哲学か。 さらに、戦争がなくなるのかなくならないのかは解らない、それに関して何が語りえるのか。 3)これは、関心のある方だけご回答下さい。 ありもしないものについて考えることは、そもそも哲学なのでしょうか。 つまり、哲学の限界について、皆様のお考えをお聞かせ下さい。 質問を読んでいただき有難うございます。 こんな感謝の意思表示が許されるのかどうか分かりませんが、 お楽しみ下さい

  • 輪廻転生説は 愚の骨頂

     ではないでしょうか? 次の理由により 哲学が取り上げるには 値しない主題ではないでしょうか?  理由その一: わたしは 過去世のこれこれという人間から 生まれ変わった者であると言うのは 自由である。その自由というのは 証明もできなければ 反証のしようもないという意味である。  理由その二: 生まれ変わりというこの考え方には つうじょう 因果応報説も ついている。けれども このように 宇宙の始まり以来 いわゆる善因善果(ないし楽果)および悪因悪果(ないし苦果)のもとに 生まれ変わるとすれば ひとつの行為は つねに 例外なく 自業自得という意味である。仮りに人を殺しても 殺すほうも殺されるほうも まったく寸分たがわず それぞれが 自業自得だとなる。それ以外に考えられない。  理由その三: ひとつだけの生涯ではなく やり直しが効くように 転生の思想があるのだと反論を聞いた。けれども それだと この今の人生については もはや 努力をしないと宣言したようなものである。たとえ 来世があるとしても それを頼まずに 今世にて やれるだけのことをやっておくのが 筋というものである。つまり 生まれ変わることを 念頭に置くのは 意味がない。  理由その四: 民主主義ないし 思惟や行動をふくむ表現行為の自由ということ この自由が まだ 制約されていたときには 《たとえこの今の生において 達成し得なかったとしても 次に生まれて来たときには 必ず 成し遂げるぞ》という気概を表わしていたかも知れない。けれども 現代においては かえって 安易な考え方になってしまう。言いかえると 安易な考え方を持つなら 持った途端に 努力とそのための能力が 萎える。それゆえに 精神をめぐる病いが現われるのではないか。すべて ここに原因があるのではないか。  真実をおしえてください。

  • 教えて下さい。

    私は出家、得度をしたいと考えています。 本来なら師匠について勉強するところですが、東京国際仏教塾という所はそれを省略しています。 東京国際仏教塾を卒業すると、世間一般のお寺で修行したのと同じ、出家・得度とみなされるのでしょうか。 また、その後の進路はどうなるのでしょうか。 ご存知の方がいらしたら、是非教えて下さい。 よろしくお願い致します。

  • So this is Christmas,戦争のない世界について

    クリスマスが近づくと、毎年、平和について考えてしまいます。 今年は例年になく厳しい状態が続くようですが。 ところで、戦争のない世界を多くの人は望んでいますが、その根拠としてはどのようなことがあるのか、私自身も、戦争のない世界を望んでいるのですが、ひょっとすると、戦争のない世界などは、過去に存在しなかったし、今後も存在しない、ということが証明可能かもしれません。 戦争のない世界を信仰として望むことを否定するのではなく、学、あるいは哲学として、存在しないし、今後も存在しないものについて考えることは、まったくの徒労になってしまいます。 そこで、戦争のない世界について、哲学的考察は可能なのでしょうか。 まずは、 1)戦争を現象学的に還元して、人間本性から起因しているもので、戦争はなくならない。という仮説について吟味してください。 2)1)の結果に関わらず、戦争のない世界について、哲学的な考察は有益なのでしょうか。 ひとつは、戦争のない世界はいかにして可能か。 もうひとつは、戦争がなくならないのならば、その悲惨をやわらげる方法を考えることは哲学か。 さらに、戦争がなくなるのかなくならないのかは解らない、それに関して何が語りえるのか。 3)これは、関心のある方だけご回答下さい。 ありもしないものについて考えることは、そもそも哲学なのでしょうか。 つまり、哲学の限界について、皆様のお考えをお聞かせ下さい。 質問を読んでいただき有難うございます。 こんな感謝の意思表示が許されるのかどうか分かりませんが、 お楽しみ下さい

  • 釈迦と日蓮大聖人

    仏教は皆同じと思っていたのですが、 少し知り、宗派によってこうも違うのかと思いました。 あまりわかっておらず申し訳ないのですが、 日蓮大聖人は南無妙法蓮華経を唱えるという事の様なのですが、 釈迦は何を唱えているのですか? 解る方がいましたら教えてください。 よろしくお願いします。

  • 「出家するぞ」の意味はなんでしょう?

    主人が子供の学資保険で車を買うと急に言い出たので、 家のローンもあるし、これから子供にお金がかかるので、 今の普通車2台で我慢してほしいというと、 怒り出して、「出家するぞ」と捨てセリフを吐きました。 いつものことですが、私は怒られたことにショックを受け、落ちこみそうだったので、実家の母と義理の母に相談したところ、反対するどころか、 賛成しました。 定年後や定年近くになれば、何をしようと自由ということです。 中学生の子供も「いつ出家するの?」と私に聞いてきました。 よく考えたら、お坊さんになり、世のため人のための仕事をすることは、 主人の天職かもしれないので、メールで、 「出家はみんな賛成です」と送ったところ、 怒ったようなメールが来ました。 「出家」という意味がいまいちわかりません。 いい、悪いはどちらでもいいので、どういうイメージがあるのか 教えてください。

  • 『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』

    質問タイトルはポール・ゴーギャンの絵画に同じです。  ゴーギャン展の開催にあたって、予てより私の胸の片隅で引っ掛かりのあった、意味深なこの言葉について皆さんのご考察を伺います。 【Q-1】 われわれはどこから来たのか? 【Q-2】 われわれは何者か? 【Q-3】 われわれはどこへ行くのか? 【Q-4】 この絵画のご感想をお聞かせ願います 【Q-5】 ゴーギャンがこの絵画にこのタイトルをつけた背景をお教え願います  なお【Q-4】、【Q-5】に関しましては任意にご回答願います。  以上、よろしくお願い致します。

  • エゴは情報よりも大事なのか?

    「花より団子」のように、「情報よりエゴ」なんだという姿勢が、かなりの割合の人間にあるようです。典型的なのはネットで、本来有益な情報交換の場のはずの掲示板も、己のエゴの張り合いで地に落ちる内容になっていることが多いです。このサイトにしても、そういう、謙虚な情報交換の場ということをはなれて、主義主張や、エゴの張り合い、過度の自己防衛やかたくなさといった「心のあり方」の問題が先に来てしまっているような気がします。 こういうことは、人間である限り克服できないのでしょうか。間違っても「エゴより情報」とはならないものなのでしょうか?

  • 『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』

    質問タイトルはポール・ゴーギャンの絵画に同じです。  ゴーギャン展の開催にあたって、予てより私の胸の片隅で引っ掛かりのあった、意味深なこの言葉について皆さんのご考察を伺います。 【Q-1】 われわれはどこから来たのか? 【Q-2】 われわれは何者か? 【Q-3】 われわれはどこへ行くのか? 【Q-4】 この絵画のご感想をお聞かせ願います 【Q-5】 ゴーギャンがこの絵画にこのタイトルをつけた背景をお教え願います  なお【Q-4】、【Q-5】に関しましては任意にご回答願います。  以上、よろしくお願い致します。

  • 【呪術に詳しい方お願い致します】これが呪いに関係することなのか教えて下さい

    (呪術にお詳しい方、霊感が強い方にお尋ねしたいのですが) 私は幼い頃から霊感が強く、母や父には全くわからない色々な 物の怪(?)とでも総称したらいいのか、元々人間だった存在などが 寄ってきます。 昔はひたすら恐ろしかったのですが、家族や知り合いに同じような 人が一人もいなかったため、自分なりに解釈と対応を模索してきて、 今は特に、これといった問題も起きていません。 しかし、今から3ヶ月ほど前にあったある出来事が非常に印象的で また、前例が無かったため、ずっと気になっています。 それは何か、僧侶のような、山伏のようないでたちの50代くらいの 男性で、手には錫杖のようなものを持っていました。 (人間ではありません。人のような形をした別物です) 寝ている私の横上に立つと、私に向けて黄色い水晶のような ものの先端を向けて、何か唱えだしました。 私は仏教ですとか、神道などは全く知りませんので、何を言って いるのかわからなかったのですが、「お経」のようなものだったこと は、はっきり覚えています。 そのお経のようなものを唱えだした瞬間から、体に激痛が走り、 ハラワタをえぐり出されるような痛みで息が出来なくなりました。 明らかに今までやってきた霊や、物の怪の類とは違うと わかり、不気味な怖さを感じて必死で抵抗しようとしました。 男は、私に対して冷徹に仕事をするかのように 殺すとか、苦しめるといった何かをしようとしているのは確実でした。 その時でした。 私の中から、その僧が持っている水晶のようなものと同形の、 白く光った何かが出てきました。 しかも、私ではない誰かがそれを手に持っていました。 そして、その先端を山伏のような男に向けて、やはり私のわからない お経のような何かを唱えだしました。 (その声は男性だったことしかわかりません。 白い水晶のようなものを持っている存在は、自分と重なっているので 姿もわかりませんでした) すると、その山伏のような男は明らかに狼狽し、なおも何か唱え続けて いたのですが、私の中から出てきた誰か(?)の方が格が上だったのか、 力が段違いに強かったようで、すごい勢いでポーンと遠くへ吹き飛ばされ、 その場から消え去りました。 その後、その山伏は1度も現れませんし、また、私の中から誰かが 出てくるようなこともありません。至って平和なのです。 悪い霊か何かに、たまたま目をつけられたのかと思っていたのですが、 最近「呪い」という言葉を目にしてから何となく気になり、色々検索してみると、 世の中には人を「呪う」ということを本当にやる人がいるらしく、更に 呪いに失敗すると、「呪い返し」が存在するとのこと。 (びっくりしました・・・呪いなんてお岩さんくらい遠いものだったので) ええ~、と思ったのですが、あの山伏がどうにも、私を呪おうとして いたように思えてならず、ならばあの時、私は呪いをはじき返した ということなんだろうか? 私を護ってくれる存在が、はじいてくれたのだろうか?などと、 謎は深まるばかりで、このように質問させて頂くに至りました。 もし同じようなケースをご存知の方がいらっしゃいましたら、 どうかその詳細を教えていただけませんでしょうか? 宜しくお願い致します。

  • 先祖供養について

    仏教では先祖供養を説いていますか? もしそうなら、どの仏典に載っていますか?

  • 先祖供養について

    仏教では先祖供養を説いていますか? もしそうなら、どの仏典に載っていますか?

  • 感謝の理由

    こんにちは。 以前読んだ本(たぶん仏教関連の本)に、 「他人に深く傷つけられても、その人に感謝する。その感謝によって怒りや恨みを掻き消す」 みたいなことが書かれていました。 自分のことを考えてみると、 傷つきも浅く、相手も親密な人であれば、そのような感謝はいくらでも思いつきます。 しかし、傷つきが深く、相手も疎遠な他者となると、なかなか思いつきません。 どんな人でも何かしら感謝に値する存在だとは思うのですが、 怒りや恨みを掻き消すほどの感謝となると、なかなか思いつきません。 自分を深く傷つけた疎遠な他者に対する怒りや恨みを掻き消す程の感謝とは、 具体的に、どのようなものなのでしょうか? それは、自分を傷つける人の何に対する、どのような感謝なのでしょうか? 宜しくお願い致します。

  • 神道と仏教と儒学とキリスト教の違い

    4者の違いはどのようなところにあるのでしょうか? 時代によって廃れたり、隆盛したりしていると思いますが、 現代の勢力図はどのような割合になっているのでしょうか? 女性の権利の拡大とこれらの宗教の教えは矛盾しないでしょうか?

  • 考える力

    理系です。 わからなくても10分は考えろと言われ、どの問題でも10分は考えるようにしてますが、結局わからなくて答えを見るということを何回も繰り返すうち、考える力とか数学に必要なひらめきがつかないんじゃないかと本当に心配です。 ひどいときは大問の (1)からつまづく始末。 でもわからないから答えを 見る. 最悪です。

  • 日本人なへんな考え方

    日本人のおかしいところですけど、霊とか天国とか周りが騒ぎだすと信じる人間な人はどのくらいいるんだろう。日本の昔からの考え方で天国と地獄というのは、日本人しか考えないんです。インド人は輪廻転生をしんじていて、まあ仏教の国ですから、天国とか言ったら馬鹿にされるらしいというか笑われる。日本って変なことばかり受け入れますよね?