magga の回答履歴

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  • 小乗仏教の足の形

     小乗仏教でしゃがんで拝む際、 ・おねえさん座り(足を左右どちらかにずらす) 又は ・正座の状態からつま先を立てる という座り方をしています(男性も)。 普通に正座するのは、邪道なのでしょうか?

  • なぜ当たり前のように墓に入るのか?

    タイトルのとおりなんですが、なぜ仏教を信仰してもいない家庭ですらお墓に入るのが普通なんでしょうか?

  • 善き人、悪い人

    自分にとっての善人と悪人を見分けるにはどうしたら良いのですか?

  • 正義は何者と戦うのか

    「誉」(ほまれ) 「真」(まこと) 「善」(よし) これを知性の三要素とします。 ほまれの対立語は「罪」 まことの対立語は「嘘」 よしの対立語が質問でして仮に「悪」とされています。 ところが知性の構成要素に還元して、その対立語(対立概念)は全て悪であり三悪の筈です。 そうすると善の対立した悪の正体がわからなくなりました。 三悪に分解して善はどのような悪と対立しているのでしょうか。 この三分解の由来は光の構成要素に由来していまして、 善の性質は「赤」です。 誉の性質は「青」です。 真の性質は「黄」です。 あくまでも光を目の当たりにして起草した思考でして非言語により由来しています。 ちなみに私は変な特技が満載でして、光なり色彩だけでなく、嗅覚に頼らないで匂いを思い出し、その匂いを紡いで思考したりも出来ます。ソレもまた非言語思考です。匂いで思考するのは要するに犬と同じです。 チンプンカンプンかもしれませんが、毎度お騒がせのオコリザルです。 よろしくお願いします。

  • 江原に困っています。

    こんにちは。私は工学を学んでいる大四です。 最近、、というか、結構前からなのですが、実家の母と姉が江原に はまっております。オーラのなんとかっていう番組を録画したり、 江原の文庫本を読んだりしています。 そして、「江原さんはなんでも見えるんだからぁー」とか、 「美和さんは…」とか「波動が…」とか言っていて五月蝿いです。 姉にいたっては、高等教育(といっても地方私大文系ですが・・・)を 受けたにも関わらず、江原の論に対して一切の疑問を持たずに、 波動だのオーラだのと言ってきます。それだけなら目を瞑っていられた のですが、最近「悟り」などの仏教用語を用いるようになりました。 これはさすがに許せません。彼女らは、一切の仏典を読んだこともなく、 仏教に対する信仰心の欠片も無いにもかかわらず、語感が気に入った のか、やたらと仏教用語を使います。それも、江原を擁護するために 仏教用語を持ち出しています。 私は、これはさすがに仏教に対して無礼だと思いました。 また、同様の理由で、波動や宇宙をオカルト理論で語っているのも、 とても聞いていられません。 これほどまでに母と姉は知的誠実さに欠けている人間だったのかと思い、 虚しさすら感じるようになりました。 思考停止した母と姉を、どうにか全うな道へ連れ戻すことは出来ないでしょうか? このまま脳を使わずにいると、アルツハイマーにでもなってしまうのでは ないかと、冗談半分ですが本気で心配しております。 アドバイスお願いします。

  • 感情的に考えるということ

    論理的でなく、感情的に考えるということ 記号がなくても感情的に考えることができるのですか?

  • 神は人間が幸せになってほしいと願っていますか?

    神は人間が幸せになってほしいと願っていますか? はじめから神は幸福のみを築き上げるように人間の精神を作らなかったのですか? なぜ、その逆の可能性の発端をも人間に組み入れてしまったのでしょう? 神は人間が幸せになってほしいと願っていますか? それとも。 神はいないのでしょうか?

  • 命より大切なものはあるか

    昔から「命あっての物種」といいます。また「人命は地球より重い」などといいます。  しかし特攻隊員は国のために、愛する者を守るために、海の藻屑と消えました。またわが国では年間3万人以上が自ら死を選びます。その一方で尊厳死も認められません。  何度か死のうと思ったことがありますが、死ぬ勇気さえありませんでした。しかし決死の救助活動を見ると胸が震えます。  何かに命懸けで取り組む人がいます。彼らは「ここで死ねたら本望」と口にします。私には命を懸けるものがありません。  果たして命より大切なものがあるのでしょうか?あるとしたら何なのでしょうか?

  • 命より大切なものはあるか

    昔から「命あっての物種」といいます。また「人命は地球より重い」などといいます。  しかし特攻隊員は国のために、愛する者を守るために、海の藻屑と消えました。またわが国では年間3万人以上が自ら死を選びます。その一方で尊厳死も認められません。  何度か死のうと思ったことがありますが、死ぬ勇気さえありませんでした。しかし決死の救助活動を見ると胸が震えます。  何かに命懸けで取り組む人がいます。彼らは「ここで死ねたら本望」と口にします。私には命を懸けるものがありません。  果たして命より大切なものがあるのでしょうか?あるとしたら何なのでしょうか?

  • 父の異常なまでの会話

    私の父は一日中、異常な位しゃべっています。 平日もですが、休日になると一日中ものすごく大きな声で 母に一方的に何時間も話しています。 (相槌・話をふるなどコミュニケーション能力がない) 明るい話題なら楽しく聞けるのですが ほとんどが自己否定的な話題 (俺の会社のランクは低い・学歴が低いなど。 いいことがあっても否定的に話す) もしくは他人の悪口・噂話 (誰々の家は○○大学に入った・誰々は留年した、化粧が濃いなど 、近所の井戸端会議などで主婦などに聞きまわっている) だらけで聞いてると本当に嫌な気持ちになります。 しかも何度も何度も同じ話ばかりします。 食事中など、NHKを見るよう強制されるのは構わないのですが、 結局話をしているのでテレビの音が全く聞こえず、 しかし音量を上げるとものすごく怒ります。 もう物心ついたころからこの状態です。 近頃は家にいると頭の中が言葉で埋め尽くされるような感じがあり、 パンパンに膨らむように感じることがあります。 母と父との会話中に私が口をはさんだり、意見をしても夢中で 顔すらこちらに向けてくれません。(母とは普通に会話できます) こんな状態が嫌になり、会社の寮に住んだりしていたのですが パニック障害という病気を発症し、体調の面で フルタイムで働けないため、現在はアルバイトしかしていません。 そのため一人暮らしができる収入がありません。 一人部屋がありますが、声が筒抜けで本当に静寂が欲しいです。 母も父も無趣味で転勤のため近くに友人もおらず、 二人ともほぼ一日家にいます。 こんなとき、どうしたらいいと思いますか? もう疲れてしまいました。

  • 命より大切なものはあるか

    昔から「命あっての物種」といいます。また「人命は地球より重い」などといいます。  しかし特攻隊員は国のために、愛する者を守るために、海の藻屑と消えました。またわが国では年間3万人以上が自ら死を選びます。その一方で尊厳死も認められません。  何度か死のうと思ったことがありますが、死ぬ勇気さえありませんでした。しかし決死の救助活動を見ると胸が震えます。  何かに命懸けで取り組む人がいます。彼らは「ここで死ねたら本望」と口にします。私には命を懸けるものがありません。  果たして命より大切なものがあるのでしょうか?あるとしたら何なのでしょうか?

  • ‘こころ’って、歳をとらない?

     最近、ふと思ったんです。‘こころ’は老化しないんだっ、て!  肉体は歳をとります(老化という意味で)。  でも‘こころ’は肉体と一緒に衰えていくようには思えないのです。  自分は若いという気分がいつまでたっても抜けません。    そこでこう思うことにしました。  「心は老化しない。成長はするけど歳はとらないんだ」  皆様の考え、感想を伺いたくて、‘質問’させていただきました。  どうぞご意見を聞かせてください。  ちなみに私は団塊の世代です。  

  • なぜ世界は存在するのでしょうか

    私は小さいころから世界が存在すること自体が不可解かつ恐ろしくて仕方ありません。「神が作った」といえばそれまでです。しかし、そうなるとその神の「存在」そのものがなぜ存在するかを説明できません。 仏教では無記と言って、問うことが妥当ではない疑問、回答不可能な問題としているようです。けれども、そう言われたからと言って、この疑問が私の頭から止むわけではありません。 なぜ世界は存在するのでしょうか。この問いが寝入り際など、心が隙を見せる時に突然蘇り、私を先の見えない不安へと駆り立てるのです。(どうもこのような心理状態を離人症というようです。) 世界の存在の理由について皆さんのお考えや、哲学者、宗教者の考えをお聞かせください。よろしくお願いします。

  • 伝統宗教の開祖って精神病患者?

    メンタルへルスのカテゴリーに投稿すべきか迷いましたが、あちらでは少し配慮に欠ける質問かなと思ったのでこちらに… 伝統宗教の開祖、あるいは中興の祖の方々は、自分は神の子だの預言者だのと言ってみたり、長く一人で閉じこもって「悟りを開」いたり…逸話が事実だとすると現代人の常識的に考えれば誇大妄想症などの精神疾患(あるいは人格障害)の症状だと思うのですが、これまでそういった議論はなされていないのでしょうか?タブーになっているのでしょうか。分かってるけどあえて触れないということなのでしょうか。 (もちろん新興宗教の開祖も似たようなものですが今回は置いておきます) 歴史的見地から、またできれば医学的見地からのご教授を希望します。 ※人格障害という概念が極めて曖昧で、ある意味いい加減なものであることは知っています。

  • 伝統宗教の開祖って精神病患者?

    メンタルへルスのカテゴリーに投稿すべきか迷いましたが、あちらでは少し配慮に欠ける質問かなと思ったのでこちらに… 伝統宗教の開祖、あるいは中興の祖の方々は、自分は神の子だの預言者だのと言ってみたり、長く一人で閉じこもって「悟りを開」いたり…逸話が事実だとすると現代人の常識的に考えれば誇大妄想症などの精神疾患(あるいは人格障害)の症状だと思うのですが、これまでそういった議論はなされていないのでしょうか?タブーになっているのでしょうか。分かってるけどあえて触れないということなのでしょうか。 (もちろん新興宗教の開祖も似たようなものですが今回は置いておきます) 歴史的見地から、またできれば医学的見地からのご教授を希望します。 ※人格障害という概念が極めて曖昧で、ある意味いい加減なものであることは知っています。

  • ‘こころ’って、歳をとらない?

     最近、ふと思ったんです。‘こころ’は老化しないんだっ、て!  肉体は歳をとります(老化という意味で)。  でも‘こころ’は肉体と一緒に衰えていくようには思えないのです。  自分は若いという気分がいつまでたっても抜けません。    そこでこう思うことにしました。  「心は老化しない。成長はするけど歳はとらないんだ」  皆様の考え、感想を伺いたくて、‘質問’させていただきました。  どうぞご意見を聞かせてください。  ちなみに私は団塊の世代です。  

  • So this is Christmas,戦争のない世界について

    クリスマスが近づくと、毎年、平和について考えてしまいます。 今年は例年になく厳しい状態が続くようですが。 ところで、戦争のない世界を多くの人は望んでいますが、その根拠としてはどのようなことがあるのか、私自身も、戦争のない世界を望んでいるのですが、ひょっとすると、戦争のない世界などは、過去に存在しなかったし、今後も存在しない、ということが証明可能かもしれません。 戦争のない世界を信仰として望むことを否定するのではなく、学、あるいは哲学として、存在しないし、今後も存在しないものについて考えることは、まったくの徒労になってしまいます。 そこで、戦争のない世界について、哲学的考察は可能なのでしょうか。 まずは、 1)戦争を現象学的に還元して、人間本性から起因しているもので、戦争はなくならない。という仮説について吟味してください。 2)1)の結果に関わらず、戦争のない世界について、哲学的な考察は有益なのでしょうか。 ひとつは、戦争のない世界はいかにして可能か。 もうひとつは、戦争がなくならないのならば、その悲惨をやわらげる方法を考えることは哲学か。 さらに、戦争がなくなるのかなくならないのかは解らない、それに関して何が語りえるのか。 3)これは、関心のある方だけご回答下さい。 ありもしないものについて考えることは、そもそも哲学なのでしょうか。 つまり、哲学の限界について、皆様のお考えをお聞かせ下さい。 質問を読んでいただき有難うございます。 こんな感謝の意思表示が許されるのかどうか分かりませんが、 お楽しみ下さい

  • 仏教でいう「三十七道品」について

    仏教で説かれる「三十七道品」は、「四聖諦」を理解するための修養のことだと思いますが、このうち「四念住・四神足・五根・五力」について今ひとつ得心がいきません。 どなたか、これらについて仏教徒でなくとも理解できるように教えていただけないでしょうか?

  • 愛は地球を救えるか

    某局の24時間テレビのタイトルどおり「愛は地球を救う」のでしょうか?  「地球が危ない」などと唱える人もいます。もしそれが本当なら一刻を争います。地球を救えるほどの愛はあるのでしょうか?愛はどこまで通じるのでしょうか?  皆様のお知恵を拝借します。よろしくお願いします。

  • 愛は地球を救えるか

    某局の24時間テレビのタイトルどおり「愛は地球を救う」のでしょうか?  「地球が危ない」などと唱える人もいます。もしそれが本当なら一刻を争います。地球を救えるほどの愛はあるのでしょうか?愛はどこまで通じるのでしょうか?  皆様のお知恵を拝借します。よろしくお願いします。