taco8ch の回答履歴

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  • ネット上での批判について

    ネット上で他人を批判することは今も昔もよくあることだと思います。 特に最近ではいじめの問題や違法行為をした人に対するバッシングをよく目にします。 非人道的な事件や国民が恥をかくような事件は確かに憤りを感じますし、それに対する意見をネット上で言いたいと思う人も多いはずです。 しかし、これが度を過ぎている・本来の意図と違っているのではないかと最近感じます。 いじめの問題では、過熱したネットの人々が犯人捜しを進め、様々な憶測が飛び交いました。 個人情報を載せたり顔写真を無断で公開したりもしていました。 しかし中には誤った情報や誤解が発展したものもあり、実際に無実の人がバッシングを喰らって傷つくということまで起きました。これは最近もあったので覚えている方も多いと思います。 違法行為をして取り上げられた人物に関しても、バッシング・批判が集中するのはよくあることです。 罪を犯すことはもちろんその社会の中に所属している限り許されることではありませんし、 周りの風当たりが強くなるのは仕方ない事だと思います。 しかし、過度のバッシングや批判に耐えきれず、自ら命を絶ったという事件が何度かあったと記憶しています。 ここで疑問なのですが、社会的に良くないことをした人たちとはいえ、一般市民がネット上でその人の個人情報をさらすという行為は、問題ないといえるのでしょうか。 犯罪者や悪い事をした人だからと言って、私たちが個人・集団のレベルでこのような制裁行為を行う権利はあるのでしょうか。 個人の基準と社会の基準と違いはありますが、構造上はいじめと大差ないような気がします。 (そういう人に限って「いじめはよくない」なんて言うものですが・・・) 法律に関しては素人なのですが、社会的に悪だから制裁していい、いじめてもいい・・・というのはどうも個人の価値観が混入している気がしてなりません。 また、最近ではSNSやまとめサイトなどで、批判を加速させるような投稿が多く見受けられます。 中にはコラージュを作って馬鹿にしたり、事件と関係ない個人の「ディスり」などもあります。 どこか事件の人物をネタにして盛り上がりたいという動機が強いように見えて、このような風潮に危機感を覚えます。 批判をしている人たちの多くが真面目に問題について話し合うのであれば問題ないと思うのですが、そうではない人たちのほうが多いのではないかと感じています。 心理学的に、事件に対して抱く不安に対する一種の防衛反応が、ネットの匿名という性質(厳密には違いますが)や集団心理などと絡んでこのようになっているのではないかと考えているのですが、一つの社会問題になりつつあるのではないかと思います。 ネット上の批判・叩きなどの行為について、皆さんの意見をお聞かせください。 感情的な意見や冷やかしは求めていません。 真面目に話し合いたい方の意見をお聞きしたいです。 法律や社会学・心理学、またはこういった内容に通じている方の意見ならぜひ参考にさせてください。 長文失礼いたしました。 どうぞよろしくお願い致します。

  • モーゼの十戒の意味

    最近、読み始めた宗教の本に、モーゼの十戒のなかに、神の名をみだりに唱えてはならない、というのがあるというのを知りました。どのような理由からでしょうか?

  • 旧約聖書、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエル、

    旧約聖書を、以下の3つの部分に、分けたとして、 A:歴史:創世記~エステル記 B:詩歌:ヨブ記~雅歌 C:預言:イザヤ書~マラキ書 大預言者、4人、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエル、は、 Cの、預言書に、登場するのは、当然ですが、 この4人の中で、 ア、AにもCにも、登場する人は、誰ですか? イ、Cのみ、登場する人は、誰ですか?

  • 聖書の、契約の箱の、奪われた時期、戻ってきた時期

    旧約聖書の、契約の箱って、 一度、奪われて、再び、戻って来た、そうですが、 それぞれ、いつ、誰の時代に、奪われたか、いつ、誰の時代に、戻って来たか、 それぞれ、聖書の、どの、章と節か、 よろしければ、教えてくださいませんか?

  • マタイの福音書 6:7について教えて下さい。

    神学や聖書学に精通した牧師や伝道師に尋ねるのが正しいのかもしれませんが、 なかなかそんな機会やタイミングというのはありませんし、 こういうweb上なら、 先入観なしに答えて下さる方がおられる場合がありますので、 どうぞよろしくお願いいたします。 ”あなたは祈るとき、異邦人のようにくどくど祈ってはならない” とありますが、 クリスチャンの方(私もクリスチャンですが)は結構長めに祈っておられますが、 また、祈祷会などもおこなって祈り合っておられますが、 それをくどくどとも考えられますが、 それをしなくても、そのあとに続くみ言葉の、 全能の神さまは祈り願う前から全てご存知なのでは? と考えてしまうことがあります。 これはひとつの私の長年の疑問であります。 マタイの福音書はユダヤ人向けに書かれたという背景は習っております。 異邦人というのもユダヤ人以外の、 例えばギリシャ人や異教徒を指すという解釈も習いました。 では、 1.”くどくど”という言葉を日本語に訳すのが難しかったのでしょうか? 2.それとも”くどくど”が適切な訳だとして、異邦人は祈りに1時間も2時間もかけていたから、それについてイエスさまはこう仰せになられたのでしょうか? もちろん、私は毎朝、そして就寝時、勤務前、勤務中、勤務後、 嬉しいとき、悲しいとき、そして礼拝のとき、また、他者のための執り成しを祈っています。 祈りというのは神さまへの霊的な話しかけであり、 神さまと聖霊さまとの親しき交わりだと思っています。 祈らなくて良いなどとは決して思っていません。 しかし、このマタイの福音書 6:7をそのまま解釈すると、 そのあとの主の祈りだけで良いのではと思われます。 繰り返しますが、 祈りが主の祈りだけで充分とは思っておりません。 主の祈りは基本であると思っています。 私は自分の人生で祈らずにはいられないほどになっています。 また、最近、 福音を宣べ伝える伝道者の補佐役として神さまに仕える立場になったので、 こんな愚かで弱い私を用いてくださったので、 その私自身が、 疑問を持って人様に伝道してはいけないと思うので質問させてもらっています。 福音書を初めて読まれて、 私と同じような疑問を持たれた方のためにも、 答えられなければならないと思うので質問させてもらっています。 ※しかし聖書は、  一生涯かけても解らない部分・疑問点があるのも理解しております。  核心部分を理解することが大切だというのも、  最近、伝道師の先生に教わりました。 長くなりましたが、 マタイの福音書 6:7について、 また、上記の1と2についての私の質問の回答もしくは意見を、 どうかよろしくお願いいたします。

  • 家猫について

    私の家では猫を飼っていて、家猫(外に一切出さない)として一緒に暮らしています。 ずっと思っていたのですが、この「家猫」という飼い方は、果たして猫にとって幸せなのでしょうか? ラプンツェルというディズニーの映画を観たのですが、ずっと母親の元で外の世界から隔離され育てられてる様を見て、「うちの猫みたいだな」と思いました。 他の猫と知り合えない、恋も出来ない、自然とも触れ合えない、ただ同じ空間の中を過ごすだけ。 外に出さない理由は、やはり病気や事故の心配があるからです。 ですが、心配だからといって人間のエゴで外に出さないのはどうなのでしょうか? 私は両親がとても心配性で、自由にさせて欲しいと思ったことが何度もあります。ですがその心配を抑え、子供を見守るということも親の務めだと思います。 そうなると、うちの猫も心配なのを抑え自由に外に出すべきなのでしょうか? 動物のカテゴリーで聞くべきことなのかも知れませんが、ここのカテゴリーの方の意見を聞きたかったのでこちらで質問致しました。

  • 「いつやるか?」本当はいつですか?

    ケンタッキーのカーネルサンダースは老人になってからあのチキンの味付けを考案し、何度かの失敗を乗り越えて成功を手にしました その後のインタビューで 「私は年を取ってから、やり始めたのでとても大変だった、皆さんは若い今のうちから始めて下さい」 と、メッセージを送っていました 今流行っている「今でしょ」も、自己啓発本も、人生の成功者の皆さんも、自分自身でさえも、「やり始めるのは早ければ早い方が良い」と分かっているにも関わらず、何故やらない人が大多数になってしまうのだと思いますか? カーネルサンダースはあんなにも成功した人物で、ヤル気の素質というものがあるなら間違いなく持っていた人物だと思います。それでも、ああ言うメッセージを送ったと言うことは 若い頃は大多数の人間と同じく「やった方が良いのは分かってるんだけどね・・・」 と、思いつつもグズついていたりした時もあったのだと思います(勝手な推測ですが・・・) では、繰り返しになりますが、人間が本当に動き出すときというのは、一体いつなのでしょうか? 合理的で正解なのは「今でしょ」なのは分かりますが、本当に行動にうつす時、うつせる時です 私は「これはいけるぞ!」と確信めいたものに出会えた時、簡単に言えば「ご褒美までの道筋が見えたとき」にやっとやり始めるのかなと思いました そこまで行けば後は道のりが大変だろうとも、やればいいだけですから 実際のところは、一体どうなのでしょうか? 皆様の意見お聞かせ下さい

  • キリスト教(プロテスタント)と進化論

    キリスト教、特にプロテスタントでは、進化論はどのように捉えられているのでしょうか。もちろん、プロテスタントでも様々な教派があり、進化論に対する考え方も異なると思います。そこで、例えば改革派教会の進化論に対する考え方を知りたいのです。 率直な回答を希望します。

  • なぜ天皇は人気があるのか?

    天皇に対して批判がらみの質問をすると、だいたい 8、9割以上の人からバッシングを受ける。 なぜ、ここまでみんな天皇が好きなのか? これは、北朝鮮での将軍様を愛する気持ちと同じなのか? 実際、戦前の日本は北朝鮮と同じであった。 国際社会の嫌われ者で、はみだし者であった。 日本がそうであったように、北朝鮮も一度戦争をし、負けて 目覚めねばならない。 日本は戦争に負けて多大な犠牲を払ったが、そのため マッカーサーが日本を良い方に改革してくれた。 もし、日本が勝っていたら、いまだにこの国は民主主義では ないかもしれない。小作人もいまだにいるかもしれない。 しかしついでに天皇制も終わらせてくれればよかったのに、 やはり、天皇の人気がそれをさせなかった。 他国からは天皇の戦争犯罪の追及がされるなか、天皇の人気を 無視しては占領統治ができないと、マッカーサーは判断した。 しかし、なぜ 今も昔も天皇はこれほど国民に人気があるのですか?

  • 聖書に出てくる「口づけ」の意味を教えてください

    聖書に出てくる「口づけ」「接吻」が何の意味で使われているのか分かりません 単に愛情、好意を持ってやっているのですか? 誰か詳しく教えてください

  • キリスト教の教え

    『働かざる者、食うべからず』という言葉がありますが、キリスト教ではこの事はどの様に教えているでしょうか? また、聖書の記述に関しては、私の乏しい知識で言えば、旧約聖書の創世記に、男は額に汗して働かねばならず、女は産みの苦しみを苦しまねばならない、と書かれているのは承知していますが、これ以外に、新約聖書や旧約聖書に『働かざる者、食うべからず』という趣旨のことが、もし、書かれているなら、その箇所も含めてお教えいただければありがたいです。 どうぞ、よろしくご教授お願い致します。

  • キリスト教の教え

    『働かざる者、食うべからず』という言葉がありますが、キリスト教ではこの事はどの様に教えているでしょうか? また、聖書の記述に関しては、私の乏しい知識で言えば、旧約聖書の創世記に、男は額に汗して働かねばならず、女は産みの苦しみを苦しまねばならない、と書かれているのは承知していますが、これ以外に、新約聖書や旧約聖書に『働かざる者、食うべからず』という趣旨のことが、もし、書かれているなら、その箇所も含めてお教えいただければありがたいです。 どうぞ、よろしくご教授お願い致します。

  • 偉人の名言

    こんばんわ 皆さんの好きな名言を教えてください♪ ついでに俺が好きな名言ゎアルバート・アインシュタインの人生にはたった二つの生き方があるだけだ。一つは奇跡などないかのような生き方、もう一つは、まるで全てが奇跡であるかのような生き方だ。と イワン・ツルゲーネフの愛は死よりも強く,死の恐怖よりも強い。などです。 出来ればポジティブな名言がいいです!

  • 有島武雄の小説で聖書かキリスト教に関する作品は?

    「惜しみなく愛は奪う」と「カインの末裔」以外でお願いします。ちょっとでも関係があればよいです。 その関係しているところも教えて下さい。

  • 有島武雄の小説で聖書かキリスト教に関する作品は?

    「惜しみなく愛は奪う」と「カインの末裔」以外でお願いします。ちょっとでも関係があればよいです。 その関係しているところも教えて下さい。

  • 人間はなぜ外国語を勉強するでしょうか

     人間はなぜ外国語を勉強するでしょうか。教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

  • あなたは物乞いに金を渡しますか?

    私の質問に興味をお持ち頂きありがとうございます。 私は先日インド旅行に行って参りまして、多くの物乞いがいる事に驚きました。 そこでふと疑問に思ったのが、「お金を渡そうかなあ。どうしようかな」という事です。 皆さんならどうしますか?答えと、答えの理由を知りたいです。

  • なんで多くの人は行動起こさないの?

    こういうとこで一生懸命回答したり、失礼ながら理屈ならべたがるのも、自分の存在価値の高さを感じたいからです。 なら、もっと現実世界で、人一倍の行動を起こせばいいのにと感じるのですがなぜ行動起こさないのでしょうか? 未知への不安に負けて、自分の人生を傍観者のように他人に委ねながら生き続けてる人が多いように感じます。 で、その自分の現状を否定することを避ける為、そういう欲求が無いし幸せには直結しないという屁理屈こくで誤魔化す人が多いように感じます。 で、誤魔化す自分がその状況に慣れていくみたいな。 そのくせ、アグレッシブな人の失敗を批判ばっかしてる人が多い。 もっと自分の存在価値を感じられるように、アグレッシブにわがままに行動すりゃいいのに。死ぬわけじゃないし。 なんでそんなにまで行動起こさないんでしょうか?

  • 神が何をしてくれたのか?

    神を信じていない人たちの理由としては、 神が一体我々に何をしてくれたのか? と、いうことがあると思う。 神は人間のどんな危機にも干渉しない。 誰がどんな目にあおうとも、正義が悪に負けようとも、 神を信じているものが、どんなに祈りを捧げても、 神はあらわれない。奇跡はおこらない。 神が人間をつくったのか、どうかはしらない。 偉大な力を持っているのならそれでもいいだろう。 が、しかし何もしてくれない神を崇拝するのはなぜか? 罪もない人が理不尽に事故や災害で死んでいく現実を 考えると、仮に神は存在したとしても、神は慈悲の心は 持ち合わせていないのではないか、と僕は時々おもう。 クリスチャンのかたに神が我々に何をしてくれたのか 教えていただきたい。 何卒よろしくお願い致します。

  • 神っていうのはそういう種族なのですか?

     神を信仰している宗教がありますが  これって神に見返りを求めていますよね?  初詣なども、「今年は○○でありますように」など色々願います  という事は願いを叶えてくれる人(生き物・生命体?)の事を神と呼んでいるって事ですか?  店のリーダーを店長と呼ぶような感じで  もし、神という種族がいるとしてもいるだけでは駄目なんですよね?  信仰する以上は、あの世でもこの世でもいいので  何かしらの見返りが求められている訳です  あの世では極楽に行ける。とか  神はいるけど、何もしません。何も叶いません。ただ崇めてください  これだと意味ないし宗教も消滅します  結局、神っていうのは  そういう種族なのですか?    それとも、そういう願いとか叶えてくれるとされている人(生命体)の事を  神という言うならニックネームみたいな感じで呼んでるのですか?