taco8ch の回答履歴
- ハイタッチ
ハイタッチ ハイタッチ(hjgh-five)は宗教的行為と言えるでしょうか? 所謂「験担ぎ」行為です。 ただしここで云う宗教は宗派宗教より広く解釈してください。
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- PotentialE
- 哲学・倫理・宗教学
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- 民主主義は不平等な制度か?
映画「タイタニック」で船が沈没するとき、まず子供と女性を 先に助けていました。 それは別に問題ではないのですが、では女性の次は誰を先に優先し 助けるのでしょうか。 老人か体の悪い人か、あるいはお金持ちとか社会的地位の高い人とか になるのでしょうか。 そして最後の最後に、年齢とか職業とか社会的地位とか、ほとんど 同じ、しかし容姿が一人は超イケメンで一人はブ男であれば、 どちらが先に助けてもらえるでしょうか。 おそらく民主主義的に多数決で決めれば、女性の票がイケメンに すべて入るためブ男には勝ち目はないはず。 しかし、これは公平ではないような気がする。 と、いうことは民主主義は不平等な制度なのでしょうか?
- 墓や先祖って世界共通のもの?
「墓や先祖を大事にすることは、世界的に見ても、文化、宗教を問わず、共通することである」 という意見がありました。 これは本当でしょうか。 つまり言い換えると、「墓や先祖を大事にすること」をしない文化や宗教は存在するでしょうか。 よろしくお願いいたします。
- 墓や先祖って世界共通のもの?
「墓や先祖を大事にすることは、世界的に見ても、文化、宗教を問わず、共通することである」 という意見がありました。 これは本当でしょうか。 つまり言い換えると、「墓や先祖を大事にすること」をしない文化や宗教は存在するでしょうか。 よろしくお願いいたします。
- 信仰の組織教義化は 犯罪ではないのか
(α) 個人における良心・信教の自由と宗教としての結社の自由とは 両立しないのではないでしょうか? (β) 信仰にもとづく生活態度としての倫理思想を――それがたとえ聖典のことばであろうと―― 宗教組織において教義規範とするのは 信仰の自殺行為ではないでしょうか? (γ) 組織の権限関係にもとづき――ということは 権限ある地位についた人間がその判断にもとづき―― 他人の信仰の是非や度合いを規定するかのごとく言い渡すのは 人間の自由を侵す犯罪ではないでしょうか? (δ=α) 宗教組織としての結社は 良心および信教の自由を必然的に侵す行為であるゆえ その自由は認められないのではないでしょうか? (ε=β) 信仰の宗教化は その瞬間に 自殺行為が完成するのでは? *(ζ) 聖典と呼ばれる文章等の研究組織のみが残るのではないでしょうか? *(η) いわゆる宗教家は 個人としての表現の自由にもとづき個人として活動するのみとすべきでは?
- 天国は信じたほうが良いのか?
皆さんこんにちは。 書き込んでいたら、自分でもわけがわからなくなって頭が痛く なったので、間違えているところを教えてください。 天国があるかないかは誰にもわからないと思います。 したがって、天国の存在を信じてない人の中には、場合により 神も恐れぬ悪事をする人もいるかもしれません。 神の存在など信じていないからです。 では、天国がないと信じる人の「死の状態」というのはどういう 状態の事を指すのか。 恐らく、苦痛も楽しい事もない、後悔する暇もなく思考が停止 するだけの状態の事ではないかと考えます。 つまりまったくの無の状態になるという事です。 確かに天国がないとすれば、死んでも無の状態になるだけです。 しかし、仮に天国があるとすれば、地獄もあるということなので 現世のおこない次第では、地獄に落ちる可能性はあります。 天国があると信じて死んだ人は、思うとおり天国があれば 天国に行く事も可能かもしれません。 神を信じているので、現世で信仰も善行もしていると考える からです。 つまり天国を信じている人は、最良なら天国行きで、最悪でも 無の状態ですみます。 反対に天国がないと信じている人は、最良の場合でも無の 状態になるだけであり、最悪であれば無限地獄に落ちます。 無論、天国を信じていない人でも善行を積み重ねている人も いるとは思います。 しかし、これは心の奥底で天国を信じているのではないかと 思っています。 理由は、逆に考えて、天国を信じているのに、とんでもない 悪事をするはいないと思っているからです。 その人は、心の奥底で神を否定しているはずです。 と、言うことは天国を信じたほうが良いのですか?
- なぜ人間には心があると思うのでしょうか?
人間を解剖しても「心」という臓器はないのに なぜ人間には心があると仮定するのでしょうか? ・親やまわりの人にそう教えられたから、 ・それが常識だから でしょうか? よろしくお願い致します。
- ヨブ記について
私はプロテスタントのクリスチャンですが、旧約聖書のヨブ記を読んでいて、いくつかの疑問が浮かび、そのために今私たちが読んでいるヨブ記は全文ではなく、抜け落ちている箇所があるのではないかと思えるのですが、間違いでしょうか。 ご意見いただければ幸いです。 ・疑問1エリフの不自然な登場のしかた。 32章2節に、この物語のキーマンになるかもしれぬエリフが何の説明もなく唐突に登場するのは、あまりにも不自然である。 ・疑問2神様の登場しかた。 ヨブ記38章1節に主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。 とありますが、それまで、一言も嵐のことなど記されていない。 ・疑問3突然いなくなってしまうエリフ エリフとヨブのやり取りのあとヨブ記38章1節に神様が登場してから後、エリフはまるで初めからいなかったかのように文章中から消えてしまっている。神様はヨブの3人の友人に対してはコメントしているのに、エリフについては、全く言及していないのも不自然。 以上のことから、私はヨブ記には何らかの理由により、抜けているエピソードが存在していたのではないかと考えるのですが、この考え方は浅はかでしょうか。
- 創造主の神は存在するのか?
人間のつくる美しい芸術作品には、当たり前ですが作者がいます。その作品は偶然にできたのではなく、作者が意思をもってつくりあげたものです。ですが自然の美しさは偶然にできたものなのでしょうか? 人間が猿から進化したことは事実だと思います。だがその進化は偶然と言えるでしょうか?人間がつくったパソコンも進化しましたが偶然に進化したのではなく、人間という作者がいるからパソコンも進化してきているのです。 そう考えると自然の美しさや人間へと進化したのは偶然ではなく、神の意思が働いているからではないでしょうか?
- どうも偶然にしては出来過ぎだ(日食やら)
太陽と月の視直径が同じ。しかも400倍の距離と400倍の大きさときている。日食は人類に観測させるためにあるらしい。 偶然じゃないですよね?
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- garcon2001
- 哲学・倫理・宗教学
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- 「蜘蛛の糸」
芥川龍之介は、ポール・ケーラスの『カルマ(因果の小車)』所収の「蜘蛛の糸」(1894年)を独特の世界に仕立て直しました。 芥川龍之介はなぜ、結び部分の教訓を省き、極楽の描写で終わらせたのだと思いますか? 、、、というところから一歩進めて、哲学カテゴリで聞いてみますので、作家・表現・宗教などにからめてご自由にお考えを頂戴できればと思います。 青空文庫から「蜘蛛の糸」 http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/92_14545.html ポール・ケーラスの作品から芥川が削除した教訓 『・・・カンダタの心には個我のイリュージョンがまだあった。彼は向上し正義の尊い道に入ろうとするまじめな願いの奇蹟的な力を知らなかった。それは蜘蛛の糸のように細いけれども、数百万の人々をはこぶことができる。そしてその糸をよじのぼる人々が多ければ多いほど、その人々の努力は楽になる。しかしいったん人間の心に「これは私のものだ。正しさの幸福をひとりじめにして、誰にだってわけてやるまい」という考えがおこるや否や、糸は切れて、人はもとの個々別々の状態におちてしまう。利己主義selfhoodとは呪いdamnationであり、真理truthは祝福である。地獄とは何だろう。それはエゴチズム(利己心)に外ならず、ニルバーナ(涅槃)は公正な生活a life of righteousnessのことなのだ。・・・』
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- noname#96295
- 哲学・倫理・宗教学
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- なぜ姦淫してはならないのですか?
イエス様は「姦淫してはならない」と言ったそうですが、僕はSEXがしたくてたまりません。 他の戒めは良心と突き合わせても「まぁそうか」と思えますが、SEX禁止だけは「まぁそうか」と思えません。 何でSEXしちゃいけないんですか? なんで素晴らしい女性の肌を楽しんではいけないのですか? なんでオナニーしちゃいけないんですか? もう我慢できません。SEXさせて下さい。
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- noname#92298
- 哲学・倫理・宗教学
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