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【鋳掛屋】江戸時代の鋳掛屋はどうやって穴の空いた鉄
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七輪を持ち歩き、声がかかると七輪に火をおこして鋳鉄(またはハンダ等)を溶かし、それを流し込むことで穴を塞いでいました。 昔の鉄鍋等で主に使用されていた鋳鉄は融点が低い合金であったため、七輪の火でも十分溶解でき、それを使用して穴を塞いでいました。 以上、ご参考まで。
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- oska2
- ベストアンサー率45% (2187/4843)
>江戸時代の鋳掛屋はどうやって穴の空いた鉄鍋の穴を塞いだのですか? お値段次第です。 「お安く」の場合は、穴の周辺を「トンカチで叩いて、鍋板を延ばして穴を塞ぐ」のです。 もちろん、七輪の熱で熱くしながらですがね。 「ちょっと高価で」の場合は、穴を塞いだ跡に「修理用の鍋板辺をはんだ付けの要領で追加接着」します。 昭和のバブル期までは、地方に行けば未だ鋳掛屋さんがいました。^^;
- FattyBear
- ベストアンサー率32% (1225/3734)
穴の部分をゲンノウ(両端平らな鉄の槌)等で叩いて穴の周囲から 中心部に向かい穴の周囲の金属を伸ばして穴を縮めていく。
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