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「生き残る」ということ

某書のカバーに、「私たちは、海から追い出された生物の子孫である」、「なぜ、弱くても生き残れたのか?」と。本の内容は理解していませんし、日本史の知識もないのに、ふと、今川氏真のことが思い浮かんでしまいました。もしかしたら、彼は、信長とか、秀吉とか、あるいはほかのつまらない意地だけで死んでいった戦国武将と比較しても、「最も賢い生き残り戦略を採った」のではないかと。幕末の徳川慶喜なんかも、かなり同類項みたいな気もするのですが。 1 私の思い浮かびは間違っていますか??? 2 日本史の中には、「負けるが勝ち」という表現が適切ではないかもしれませんが、「こういう人もいるよ」というのがあれば教えてください。

  • 歴史
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みんなの回答

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.2

1 私の思い浮かびは間違っていますか???  もちろん、人の連想に正しいとか間違っているとか評価するのがおかしいと思いますが、まあ、「今川氏真は日本の歴史書から弾かれた人」と言えなくもないので、本のカバーに書かれた言葉から今川氏真を連想するのは、「不自然ではない」と思います。 2 日本史の中には、「負けるが勝ち」  典型例は、天皇家でしょう。皇室、というべきでしょうか。もっと言えば、それに連なる貴族たち。  力のある武将たちの駒、大義名分になることで、こん日まで「神の子孫」「一系」と言われるほど血脈と権威を維持できたわけですから。

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質問者

お礼

ありがとうございました。 「不自然ではない」と思います。……ふと思ったのですが、どんな生き方であろうと、400年後に、こうやって名前が出てくるというのは、私のように、今生きている現代にさえ名前を残せない「虫けらのような人間」からすれば、やはりたいしたものだと。 典型例は、天皇家でしょう。皇室、というべきでしょうか。もっと言えば、それに連なる貴族たち。……まったく、想像さえもしませんでした。なるほど、なるほど。しかし、「皇室の権威って何だろう???」と考えてしまいますよね。「不穏な時代、不安定な時代には、権威を発揮する」けど、「平和な時代、安定した時代には、その権威が薄れてくる、その存在意義が問われてくる」……明治から、敗戦までの天皇とか皇室というのは知りませんが、昭和・平成天皇というのは、戦後処理を引きずっている中で、それなりに尊敬もされていたと感じるのですが、平和が70年以上も続くと、天皇って何だろう、皇室って何だろう……最近、ふと、そんな考えが思い浮かぶようになりました。最近の某家のありようも影を落としているのかもしれませんが。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10487/32987)
回答No.1

1 今川氏真が生き残ったのは、あくまで結果論というか運だったと思います。 駿河今川が滅亡に至ったとき、氏真は妻の実家である北条家を頼りましたが、このときに北条家に見限られていたらそこで切腹に追い込まれた可能性がありました。実際、舅である北条氏康が存命中は北条家が庇護してくれましたが、氏康が没すると一時的に駿河に戻るもその後に京都に向かいます。妻の実家を頼れない事情があったのでしょう。このときに武田家ないし徳川家によって謀殺されても不思議はありませんでした。 その後によりにもよって父親の仇であるはずの織田信長の庇護を受けたので後世に嘲笑を受けることにもなりましたが、このときにいつ信長の気まぐれで謀殺されても不思議ではない環境にいました。ひらたくいうと、見逃してもらっていたのです。これは「生き抜いた」というより非常に運が良かったのほうじゃないかなと思います。 なんとなく、私は今川氏真という人は金正男氏みたいな人じゃなかったかなという気がします。金正男氏もただの無害なおじさんでした。誰にとっても利用価値がなく無害な存在だったので、まあいいかと放っておかれたのでしょう。でも金正男氏は暗殺されてしまいました。北朝鮮による犯行とみられていますが、実は北朝鮮に見せかけたCIAによるものだという説もあります。真実は金一族しか知らないでしょう。無害なおじさんでも殺されてしまうこともあります。 2 日本史は海外に比べると残酷ではないので、今川氏真や徳川慶喜のように「負けたけど天寿は全うした」というような人はしばしば存在します。 「戦国最弱の武将」ともいわれる小田氏治も、なんだかんだでしぶとく生き残り天寿を全うしています。関ヶ原で西軍について敗北し、八丈島に島流しになった宇喜多秀家もまさかまさかの「関ヶ原に参加した武将の中で一番の長生き」になりました。立花宗茂は一時期は浪人(無職)となって京都(大阪だったかな?)の長屋住まいにまでなりながら、最後の最後に旧領で復帰するというドラマのような人生でした。 幕末も、千葉請西藩の若き藩主林忠崇は戊辰戦争で藩主自らが脱藩してまで徳川家への忠義を貫き薩長と戦うことを選びましたが、紆余曲折の末なんとなんと昭和になるまで生き残りました。亡くなるときに「辞世の句は?」と聞かれたら「昔(戊辰戦争で戦ったときに)やったから、もうない」と答えたというのがしびれるほどカッコいい。 薩長にとっては不俱戴天の仇のように思える新撰組隊士も、斎藤一は西南戦争で政府軍の抜刀隊の一員となって戦い、日清戦争のときだったかな、「ワシも戦う」とか言い出して丁寧に断られていたような。 同じく新撰組隊士の永倉新八も生き延びて北海道で天寿を全うしました。 これが日本以外の国、欧州はもちろん中東でも中国でも敵方の人間は根絶やしにしておかないといつまた寝首をかかれるか分かりません。なにしろ中国には「臥薪嘗胆」という言葉があるほどですからね。だから海外の場合はもうほとんどみんな殺されてしまいますね。 ヨーロッパでは珍しく島流しにされたナポレオンも、残された毛髪から砒素が検出されたので、食事に砒素が盛られていて慢性砒素中毒で亡くなったのではないかといわれていますね。

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質問者

お礼

ありがとうございました。 今川氏真が生き残ったのは、あくまで結果論というか運だったと思います。……そうですか。私はNHKの「大河」は見ない……主義ではなくて、気力と体力が失せています。( ノД`)シクシク……のですが、たまたま1年を通して見た「女城主直虎」に出てきた今川氏真の印象が強く残っていたのかもしれません。あるいは、尾上松也から受ける印象が刷りこまれてしまったのかも。笑 いつも、私にとって新鮮な知識を与えていただき、感謝とともにeroero4649さんの抽斗の多さにびっくりさせられます。 今川氏真という人は金正男氏みたいな人じゃなかったかなという気がします。……共通点はありますね。ただ私の知識が乏しくて、ダブってきません。 無害なおじさんでも殺されてしまうこともあります。……本当に「誰にとっても利用価値がなく無害な存在だった」だったのか???……本人は「無害」のつもり、あるいは極力「無害の振り」を通そうとしたけど……というのがあったんじゃないかと。 実は北朝鮮に見せかけたCIAによるものだという説もあります。……そうですか???私には、理由が全く思い浮かびません。 日本史は海外に比べると残酷ではないので、今川氏真や徳川慶喜のように「負けたけど天寿は全うした」というような人はしばしば存在します。……そうでしたね。某教授の「トップは殺されない」という説、ついつい忘れてしまいます。 「戦国最弱の武将」ともいわれる小田氏治も、なんだかんだでしぶとく生き残り天寿を全うしています。……こういう人が上司ってのも、部下にとっては、「なんとかしてやらなければ」というのもあったのかも知れませんね。 しびれるほどカッコいい。……私は、持ち合わせていませんが、私の世代には、「カッコいい生き方」というのは、微かに欠片として残っていたような気がします。これを失ったのが、戦後日本の発展だったのかも。 ヨーロッパでは珍しく島流しにされたナポレオンも、残された毛髪から砒素が検出されたので、食事に砒素が盛られていて慢性砒素中毒で亡くなったのではないかといわれていますね。……西洋には、「日本人の感覚」では、理解できないものがあるような気がします。

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