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織田信長について。

全盛期の織田軍って当時の世界だと、どれぐらいの強さだったんでしょうか? 陸軍戦力のみでお願い致します。

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  • eroero4649
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回答No.2

日本の馬はおよそ300キロくらいの小型馬ですが、ヨーロッパでは騎兵が強いことで有名だったフランスでは800キロ(!)くらいの馬が使われていました。 そんな大型馬に、我々が「騎士」と聞くとイメージするあの全金属製の鎧に身を包んだ騎兵が突撃してきますから、その突破力は並大抵ではありません。当時の日本の軍隊ではフランスの重騎兵の突撃を防ぐことは無理だったと思います。対抗するには歩兵は集団となり槍衾を作るしかありませんが、当時の日本の軍事組織は「イエ(家)」を単位とした多兵種の混合でしたからね。 そのヨーロッパの軍隊より強かったのが、オスマントルコのイェニチェリでした。当時の世界で最強の軍隊はイェニチェリだったと思われます。 中国の明王朝の軍隊がどのような組織だったのかは、日本語で読める資料がほとんどないので、私もどのような組織だったのかよく分かりません。

その他の回答 (1)

  • gunsin
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回答No.1

平原での戦なら、モンゴル大帝国のモンゴル軍が強いでしょう。 日本では、第4次川中島の戦いの様な、力が激突する事は、多くないのです、関ヶ原合戦も最後は諜略で決しまた。 寝返らせて味方にするのが最良の策で、その役目をするのが、 軍師の重要な役割なのです。 殿様が出陣する時は、態勢が決しており、屈する事を良しとしない、 敵側が城に立てこもり、最後は自刃するパターンが多いです。 織田軍では、羽柴秀吉が諜略、兵糧攻め、水攻め、などで、味方の 損害を最少にする戦をしてました、策略と諜略は竹中半兵衛と黒田官兵衛が情報集めには、元山賊?の蜂須賀小六が担いました。 秀吉軍は死ぬ心配が少ないので、配下の者は良く働きました。 この事は敵方にも知れ渡りますので、黒田官兵衛の口先の妙も 有って、諜略し易かったのではと思っています。 織田信長は天下布武の大望が有ったので、羽柴秀吉を重用しました。 徳川家康は三方ヶ原の戦いで、力で武田軍に向かい完膚なきまでに 負けました、その後、本多正信を重く用いて、自身は手紙マニア? になり、力での戦は避け、江戸幕府を開きました。

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