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龍馬暗殺の一報を受けてのコメント
龍馬は、幕府や雄藩の多くの重役・実力者と面識がありましたが、彼ら重役・実力者が、龍馬暗殺の報せを受けて、どのような感想をもったのでしょうか。 誰かの日記や手紙に記録されていませんか。 当時、龍馬がどのように評価されていたのか、知りたいです。 よろしくお願いいたします。
- kouki-koureisya
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https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1917633 坂本竜馬関係文書. 第二 385ページに岩倉卿の言葉が、389ページに三岡八郎の様子があります。あとは薩長は感傷に浸った言葉を残すというより、どう開戦にもっていくかという雰囲気のようですね。
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- Ultra-Hetare
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たしか、ほとんど忘れ去られていたのでは無いでしょうか。 ただ、明治後に陸奥宗光の嫁だかだれだかの夢枕に立って、 「そいつは一体誰だ?」と探して、坂本龍馬が再認識された と聞いたような覚えがあります。 暗殺された時の彼は一介の私人でしかなかったからとも 考えられます。 さらに言えば、今日のように彼の功績が大きく評価されているのは、 「司馬遼太郎」のおかげに他なりません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 『竜馬がゆく』で坂本龍馬は、一段と評価を上げましたが、作家がそのようなストーリーに仕立てたのは、それ相当の理由があったのでしょう。 一方で、ただのメッセンジャーだったのでは、という人もいます。 実像はどうだったのだろうと思いました。 暗殺された頃の龍馬は、私人なので、ほとんど忘れ去られていた存在だったのですね。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 岩倉卿は黙然と涙し「我が片腕を奪い去る」と長嘆息。 この1行で竜馬を失った無念さが伝わってきます。 そして、竜馬の存在感も。 葬式はどうしたのだろうと思っていましたが、この資料(六葬儀=條岩西郷の哀涙) でよく分かりました。 本願寺で二人の「亡魂を神道で以て祭候」ですから、神仏習合だったことも分かりました。 土佐、薩摩、長州他の藩士も参列しています。 偶々、京に居た木戸準一郎が、二人の墓標を”土佐藩士”として書いていますね。 丁重に葬られていることから、重要な人材だったのだろうと推測できます。 「條岩西郷の哀涙」のタイトルですから期待しましたが、これは残念ながら詳しくは記述なしでした。 大宰府に居た三條実美も慟哭とあり、御詠歌を詠んでいますね。 後日、機会があれば図書館で日記を調べてみます。 面白い資料を、しかも該当するページまで教えてくださって誠にありがとうございました。