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吉田松陰について

gesui3の回答

  • gesui3
  • ベストアンサー率50% (93/185)
回答No.3

「死の直前に書いた論文」は、何という論文ですか? たとえ最後に、平和的対外論に転向したとしても、それまでさんざん 『幽囚録』などで、以下のように対外進出をあおっていたのですから、言われても仕方がないですね。 「今急武備を修め、艦略具はり礟略足らば、則ち宜しく蝦夷を開拓して諸侯を封建し、間に乗じて加摸察加(カムチャッカ)・隩都加(オホーツク)を奪ひ、琉球に諭し、朝覲会同すること内諸侯と比しからめ朝鮮を責めて質を納れ貢を奉じ、古の盛時の如くにし、北は満州の地を割き、南は台湾、呂宋(ルソン)諸島を収め、進取の勢を漸示すべし」 回答1さんがおっしゃる通り、伊藤さんがその影響で朝鮮征伐(勝海舟が嫌みを込めてそう呼んでいます)に狂奔したのは周知の史実ですが、木戸孝允も朝鮮侵略論を唱え、長州の藩論を侵略型にしてしまったのです。 それまでの徳川幕府は、近隣外交は親アジアで一貫していたのは、神君家康が秀吉に反対してそうしたからで、明治政府になってから対外膨張路線をとったのは天下を取った長州閥が吉田松陰先生の教えを守ろうとしたからでしょう。 最後に撤回するなら、腹を切って「間違ったことを教えた!」と詫びるぐらいでないと、教え子たちの洗脳は解けませんよ。 日本の針路を誤らせた張本人、罪深い人物です。

moxu
質問者

お礼

私が読んだのは対策一道という論文です。 ありがとうございます。

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