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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:レーニンの役割)

レーニンの役割

このQ&Aのポイント
  • 帝政ロシアを打ち滅ぼし、ロシア国民と諸民族を抑圧から解放したレーニンと他の革命家たちは偉大であった。
  • 帝政ロシアの抑圧的な体制と社会主義政権下のスターリンの暴虐を認める必要はなく、時代背景からレーニンの役割を適切に評価するべきである。
  • レーニンの銅像を引き倒す必要はなく、彼は帝政ロシアの皇帝とは異なり、解放と平等を目指した立役者であった。

質問者が選んだベストアンサー

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  • SPS700
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回答No.2

1。当方は少なくともレーニンとか最初に社会主義政権を打ち立てた人たちはやはり偉かったんだと思います。  同感です。 2。というのはそれまでの帝政ロシアを打ち滅ぼしたからです。跡形もなく。いま他ならぬロシア人の間でさえソビエト以前の「ロシア帝国」について感傷的なあるいは好意的な評価がでてるようですがそれは誤った歴史認識でしょう。  僕は仕事でソ連時代に二度ほど行っていますが、昔の首都レニングラードの冬の宮殿(当時エルミタージという美術館)や郊外の夏の宮殿(ペトロドボレッツ)を見れば、こりゃあ誰だって叩き壊したくなるよ、と思いました。 3。帝政ロシアがロシアの一般国民にとってきわめて抑圧的な体制だったことは明らかです。  おっしゃる通りです。 4。帝政ロシアの体制は極度に専制的であり、完全な生命と人権の無視、つまり大部分の人を人として認めない専制国家だったのです。当時他のヨーロッパ諸国にはいなかった農奴が大部分の国です。  おっしゃる通りだと思います。 5。社会主義政権下のスターリンの暴虐を当方は認めるわけにはいきません。当然です。しかしだったら帝政ロシアの抑圧的な体制も当然認めてはいけません。  いやね『平家物語』にあるように「奢る者は久しからず」で露帝もスターリンも同じです。 6。そのような抑圧的体制からロシア国民と諸民族を解放したのですからやはりレーニンや他の革命家たちは偉大だったと評価すべきです。  それはスターリンまでの話です。 7。つまり、たとえばレーニンの銅像を引き倒す必要なんてなかったと当方は思うんですがどうでしょうか。  まあ交替の時ってのはああいう目に見えるのが宣伝に効きますからね。 8。それともレーニンは帝政ロシアの皇帝と同類だ、専制的に体制を再構築した悪党だ、とでも言いたいのでしょうか。  いえ交代には、前にケチをつけて倒す、のがお決まりです。易姓革命、文化大革命、独立宣言、アングロ・サクソンのケルト殺戮、それを踏み殺すノルマン人の征服、などがそうだと思います。 9。それはやはり誤った歴史認識だと当方は思うんですが。  歴史なんてどうでも書き換えられますからね。ソ連時代のモスクワで三階建ての立派なレストランに入ったのですが今、品切れだから二階に、三階では一階にと言われてお腹が空きました。みんな国家公務員になるのもどうでしょうかね。 10。下記は、レーニンの葬儀に使われた列車を保存するための博物館でしたが今は手前の自動車を入れて「交通」博物館になっています。

katakana1956
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。ロシアの歴史というのはいまさらながらですがわが日本とはだいぶ違ってます。なんか想像を絶するようなところがあります。激しいというか波が大き過ぎるというか。こういう国だからプーチンさんみたいな見た目だけでも人間ばなれした政治指導者が現れるんだと思います。なおSPS700さんのご回答の中で興味深かった「僕は仕事でソ連時代に二度ほど行っていますが、昔の首都レニングラードの冬の宮殿(当時エルミタージという美術館)や郊外の夏の宮殿(ペトロドボレッツ)を見れば、こりゃあ誰だって叩き壊したくなるよ、と思いました。」の部分でした。テレビとかではわかりませんがよほど威圧的な印象をもった建物だったんてしょうね。

その他の回答 (3)

  • SPS700
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回答No.4

 #?です。補足です。 >>ご回答ありがとうございました。ロシアの歴史というのはいまさらながらですがわが日本とはだいぶ違ってます。  明治維新なども一種の革命ですが、全貌を見せないから財閥が残ったわけで、金の力と官僚の怠慢で、一般から隠しているあたりが違いますね。 >>なんか想像を絶するようなところがあります。激しいというか波が大き過ぎるというか。こういう国だからプーチンさんみたいな見た目だけでも人間ばなれした政治指導者が現れるんだと思います。  プーティンさんはソ連時代から秘密警察のボスですよ。 >>なおSPS700さんのご回答の中で興味深かった「僕は仕事でソ連時代に二度ほど行っていますが、昔の首都レニングラードの冬の宮殿(当時エルミタージという美術館)や郊外の夏の宮殿(ペトロドボレッツ)を見れば、こりゃあ誰だって叩き壊したくなるよ、と思いました。」の部分でした。  農奴と、何百という部屋がある冬の宮殿、バルト海まで噴水の階段が見下ろせる夏の宮殿、当時は観光名所でした。 >>テレビとかではわかりませんがよほど威圧的な印象をもった建物だったんてしょうね。  今は町の名がザンクトペテロブルグになっていますから、まだあれば観光名所になっているんじゃないですか。馬鹿でかい建物ですよ。

katakana1956
質問者

お礼

改めて日本に生まれて日本で育った日本人でよかった、とつくづく思いました。ご回答ありがとうごさいました。

  • eroero4649
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回答No.3

>そのような抑圧的体制からロシア国民と諸民族を解放したのですからやはりレーニンや他の革命家たちは偉大だったと評価すべきです。 いやあ、レーニンもなかなかのもんだと思いますよ。「チェカ」という秘密警察を作って邪魔者はどんどん粛清したのですから。このチェカが後のKGBになります。 偉大なる指導者にして進歩的全人類希望の星同志スターリンはそのレーニンのやり方を間近で見て学んで我が物にした感じですからね。 ロシアというのは面白い国で、歴代の「名君」は誰もが「暴君」なんですね・笑。 まずロシア王朝最初の名君にして元祖暴君であるイワン雷帝。妊娠中の息子の嫁にブチ切れてぶん殴って、止めに入った息子までボコボコにして我に返ったら殺しちゃったんだから頭オカシイ。息子と孫を同時に殺すなんてフツーじゃありません。 そして2メートルの大男だったピョートル大帝。生まれつき握力が強かった上にモノづくりが大好きで船だろうがなんだろが自ら斧やハンマーを振るって作っていたから、銀の皿をくるくる巻いて遊んだという信じがたいエピソードが伝わっています。この人もうっかり歯向かうとその怪力で八つ裂きにされる・笑。 そしてご存知、偉大なる指導者にして進歩的全人類希望の星同志スターリンを経て我らがウラジミール・プーチン閣下。閣下には「たとえ便所に隠れていても息の根を止めてやる」という頼もしいご発言がございますが、その言葉は決してブラフではなく、チェチェンのテロリストがモスクワの劇場で観客を人質にして立て籠もったら毒ガスをぶち込んで人質もろとも全滅。次にテロリストが小学校で子供たちを人質にして立て籠もったら躊躇せず小学校に装甲車を突入させました。それで支持率急上昇というのが怖いっすな。 プーチン閣下のテロリストへの対応に対する国民の反応を見てもわかるように、ロシア国民は「強い指導者」が大好きなんですね。というか、ロシアでは「弱い指導者」は務まらない。ロシアで名君になりたいなら暴君になるしかないのです。 ま、俗にロシア人というのは「99人のアホと1人の大天才で構成される」なんていいますからね。世界中の若者がTwitterなどでバカなことをやって怒られていますが、日本のバカはお店で刺身を食うとかで、アメリカのバカはコロナウイルスチャレンジとかいってトイレのドアノブを舐めて新型コロナウイルスに感染しています。でもロシアのバカな若者は、鉄塔の上からぶら下がって手を滑らして落ちてますからね。バカのスケールが違います。 最近少し改善しましたが、一時期は男性の平均寿命が60歳でしたからね。みんなアルコールで死ぬんだそうです。そういえば旅客機の機長が酔っ払い運転で飛行機を墜落させた事故があったんですが、飲んでたアルコールの量がウォッカひと瓶(!)だったそうですからね。私、そんなに飲んだら確実に死にます。おそロシアとは上手いことをいう人もいるものですよ。 ロシアって実は世界でもトップクラスの地下資源が豊富な国ですからね。石油や天然ガスはいうに及ばず、他の地下資源も非常に豊富です。 ウクライナあたりだと石炭も鉄鉱石も出てきておまけにあの辺りは世界でもトップクラスの豊かな穀倉地帯です。掘ればなんでも出てきちゃう場所なんですね。だから人間も土から生えてくるって感覚があるのかもしれませんね。 とはいえ、国土の割にやたらと人口が多い我が日本も「人間は土から生えてくる」感覚はあって、過労死するまで働かせることに無頓着ですけどね。「人間の代わりはいるが、戦闘機の代わりはない」ってやつです。

katakana1956
質問者

お礼

『ロシアでは「弱い指導者」は務まらない。ロシアで名君になりたいなら暴君になるしかないのです。』ごもっともです。レーニンだってその例外ではない、と当方も思います。とはいえレーニンはロシア社会を少しは近代社会に近づけた、とも思います。ロシアの民衆が今でもレーニンを評価しているとしたらそれはまず第一に彼が強い指導者だからだと思いますが、その指導力は多少ともロシア社会に近代社会の光を導き入れることに発揮されたと思います。回答ありがとうごさいました。

katakana1956
質問者

補足

レーニンはこれまでの専制を打ち破るためにはより強力な専制が必要と考えたのでしょうね。ただしそれは一時的なものでいずれはより自由と権利が約束された新しい社会が生まれると考えた。だからこそ大胆に専制を行った、ということでしょう。だがレーニンの予想は残念ながら外れた。ロシア社会の現実はレーニンが思ってたよりずっと厳しかったのです。

回答No.1

大学生時代の第二外国語でロシア語を選択していました。 ロシア語の教授から当時のソ連(1980年代前半だったので)の状況を聴きましたが、教授曰く「スターリンやブレジネフは嫌われているがレーニンを嫌う人はいない」状況だったそうです。 個人的にはレーニンの死後に「ボルシェビキ」「メンシェビキ」対立から結果的にスターリンの独裁政治が暴走を始めたことが社会主義国家としてのソビエト連邦の悲劇だったように思います。 >レーニンの銅像を引き倒す必要なんてなかった そうかも知れませんが、レーニンの銅像自体が「社会主義の象徴」と判断されたんでしょうね。

katakana1956
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。革命に犠牲はつきものとはいえレーニン亡き後のソビエトの歴史は悲惨な面も大きいです。それでもレーニンの評価がなかなか落ちないのはレーニン自身の人となりと、やはりヨーロッパ最悪の専制国家ロシア帝国をひっくり返した、その功績にあるのだと思います。もちろんロシア帝国が倒れたのは当時既に戦争のため相当弱体化していたことも大きいですがその復活を許さない強大なソビエト政権を作り上げたのは確かにレーニンとその仲間たちの功績だと思います。

katakana1956
質問者

補足

ソビエトの社会主義はいろんな面で結局資本主義国に追いつけなかった、追い越せなかった。自由や人権が最後まで制限され続けた。ゴルバチョフは何か勘違いしてやり方次第で資本主義国と対等になれると思ったが、結局民衆は自らの自由を将来ではなく今日にでも手に入れたかった。レーニンの銅像をいくら崇めても、過去の功績を讃えてもパンや靴は空から降ってこないんだ、と遠慮なく語り始めたということです。それでも当方はレーニンは偉大だと信じて疑いませんが。

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