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アイアンマン(2008)の評価について

今更ながら、アイアンマン(2008)を観ました。エンターテイメントの映画として優れた作品だと思いました。 ただ、平和のためにという思想は意味としてはわかりつつも、悪用されることを思えば、そもそもパワードスーツは作ってはいけない代物だったんじゃないかと感じてしまい、やっぱり主人公は何も分かってないと引っかかってしまいました。 続編も是非観てみようと思うのですが、私のモヤモヤはズレているのか、いかにもアメリカらしい価値観なのか、どのような評価が世の中的になされていたのか、知りたいです。 率直に、気楽に、回答いただければ幸いです。よろしくお願いします。

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noname#255857
noname#255857
回答No.1

あれはテロ組織から限られた材料で 脱出するのに必要な発明だったのでしょう。 アイアンマンが出てくる今後の作品でスタークは これでもかと言うほど偏執的に防御策を取ります。 映画の初期に、無防備に拉致されたのが信じられないくらいに。 スーツは彼の命と、拉致のトラウマになった精神を守る 文字通りの鉄鎧なのです。 今後の作品にもそういう描写はあります。 世界平和のために作って、バージョンアップし続けてる わけじゃないんです。身の安全と趣味の為なんです。

shoukun3306
質問者

お礼

回答ありがとうございます!続編も観てみます

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