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徳川御三家と甲府主宰の関係性
ネットで調べてもいまいちだったのでここで質問させてもらいますが、甲府主宰と徳川ご三家ってどういう関係性なんでしょうか?
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「甲府主宰」ってなんでしょう? 徳川御三家と比較していて、且つ「甲府」・・・ 、ひょっとして「甲府宰相」のことでしょうか?それとも甲府の歴代藩主(の地位)のことでしょうか? どちらか分からないのでザックリ書きますと、 甲府宰相なら、徳川綱重ですよね。歴代藩主が宰相になれたわけではありません。 徳川綱重は4代将軍「家綱」の弟(家光の次男)です。一応甲府藩藩主になっていますが、甲府には行かず将軍の家族として江戸城に住んでいたようです。 が、三男の「綱吉」よりも先に亡くなっていたはずですよね、だから5代目が綱吉に回ってきました。 御三家は、将軍家に人がいない場合は将軍を出すという立場でしたので、将軍家綱の跡継ぎをめぐる「ライバル関係」だとは言えます。 しかし、家綱のほかに、家光には二人の息子がいたので、御三家に出番はなかっただろうと思います。 甲府藩となると、宰相綱重以降、柳沢吉保が領したくらいで、御三家との関係を云々できるほど目立った土地ではないと思います。まあ、重要な土地でしたので、柳沢が大和郡山へ移されてから、幕府直轄領となり、甲府勤番がおかれました。 勤番支配はかなり重職とみられて高禄がもらえたそうですが、一般の勤番勤めは楽しみも余録もない「島流し」と認識され、甲府はしくじった武士の左遷の地となったそうです。御三家と比べるのも愚かな土地となりました。
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