江戸時代の色々

このQ&Aのポイント
  • 江戸時代の刀の所持について
  • 江戸時代の人々の対話の特徴
  • 江戸時代の地図作成と懐刀の使い方
回答を見る
  • ベストアンサー

江戸時代の色々

江戸時代で刀を携帯するのは普通で町人も旅行の際、脇差を持っていたり懐刀を持っていたりするというのは聞いたことがあるのですが、17歳くらいの少年が打刀を一本持っているというのは目立つことなんでしょうか? 脇差でないと犯罪になりますか? 町の人は刀を持っている子供への扱いは武士で無ければ普通のタメ口なのでしょうか? 女性は男性に対して低い姿勢で話しかけるのが普通ですか?(普通の私生活で) 江戸時代の手書き地図はどんな感じだったのでしょうか? 地図はどんな紙に書いたのでしょうか? また、懐刀というものは襦袢と着物の間に入れるのですか?それって動いている間に落ちたりしませんか? また、袖に入れる描写も見ますがあれって落ちないんですか? 袖のどこに入れてるのですか? 長々と質問ばかりで申し訳ないのですが、教えて頂きたいです!!

  • 歴史
  • 回答数1
  • ありがとう数1

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.1

> 17歳くらいの少年が打刀を一本持っているというのは目立つこと?  主語は「町人の少年」? ならば目立つし、捕まりますね。 > 脇差でないと犯罪になりますか?  主語その他がはっきりしないので回答が面倒ですが、主語が「町人の少年」ならば、脇差でも犯罪で、捕まりますね。 > 町の人は刀を持っている子供への扱いは  主語が「町人の子供」ならば捕まりますね。犯罪なので武士で無くても、タメ口どころか、しっかりと上から目線で「叱りつける」でしょう。 > 女性は男性に対して低い姿勢で話しかけるのが普通ですか?  武家の奥方ならば、主に向かって低い姿勢で話しかけたでしょうが、庶民は…特に江戸は女性の割合が非常に少なかったので、女性は引く手数多でした。  つまり、夫婦ゲンカして困るのは夫のほうなので、女性が威張っていたようです。「だんつく」「とうへんぼく」「やどろく」など、女性が夫を貶める言葉は多いです。 > (普通の私生活で)  武家の女性は公の場には出てきません(来客時のお茶出しなどの接待にも女性は出て来ない)し、庶民も公事(訴訟)など以外「公」には関係ありません。特に女性は自分で犯罪でも犯さないかぎり公仕事はありません。  「普通の私生活」以外には何を想定してのご質問でしょうか? > 江戸時代の手書き地図はどんな感じだったのでしょうか?  「武鑑(ぶかん)」とか、江戸古地図などで検索してください。出て来ると思います。 > 懐刀というものは襦袢と着物の間に入れるのですか? > それって動いている間に落ちたりしませんか?  鞘入りの刀だけではなく、ざらざらした布製の袋に入っていますので、摩擦で落ちないと思います。それに、フトコロからちょっと頭が出るように入れますので、落ちれば分かると思います。 > 袖に入れる描写も見ますがあれって落ちないんですか? > 袖のどこに入れてるのですか?  それは見た事がないので、わかりませんが、袖に入れると腕が曲がらなくなるので、たぶん袖に入れるのは無理(ドラマの設定)だと思います。  未婚女性の振り袖なら入れるのは可能で、しかも落ちないだろうと思いますが、それでは懐刀としての意味を為さないと思います。

tokumeikibou11
質問者

お礼

文章が下手くそで申し訳ないです! 勉強になりました! ありがとうございます!

関連するQ&A

  • 江戸時代の武士がもつ日本刀について。

    うちには先祖が武士家系ということで 日本刀が何本か残されているのですが 時代劇に使われているような見事なものではなく とても質素なものです。 鞘にしろ鍔にしろ 簡素なもので 刀身も63,8センチ の無名刀です。 小柄とよばれる小刀もついていません。 そこでいくつか質問があります。 (1)やはり昔も 上級武士(位の高い)はそれなりにいいものを身に着けていて 持っている刀がその武士の 品格を表すようなものだったのでしょうか? (2)また映画などではチンピラ風の町人も脇差しのようなものがありますが そういうチンピラ風のものでも高級な刀をもてたのでしょうか?とくに 「先生」と呼ばれた腕のたつ殺し屋みたいなのもでてきますが長いいい刀を持っているように見受けられます。。 (3)また武士に生まれた家系は 子供のときから刀を差していますが 体の成長により刀を自分の体格にあったものに常に変えていたのでしょうか?  (4)時代劇のように あんなしょっちゅう刀を抜く機会って 武士でもチンピラでもあったんでしょうか?いまでいうピストルを相手に向けるようなものですよね お互いが刀を抜いた時点で 死を覚悟するようなものだと思いますが。 ドラマや時代劇では みね打ちとかいって どしどしやっつけていますけどあれでも実際やったら相当なダメージではないですか?   以上わかることだけでも結構です。 お詳しい方どうかよろしくお願いいたします。

  • 江戸時代、脇差と短刀はどのように使い分けられていたのでしょうか。

    江戸時代、二本差と呼ばれていた武士は、脇差と短刀をどのように使い分けていたのでしょうか。 相撲で、行司が短刀を一振り帯びているのは、差し違えた際に自害するためであったということを聞きました。 このように武家においても、短刀はもっぱら自害やその他儀礼などに単独で用いたのでしょうか。 幕府による大小拵の規定(『幕儀参考』)によりますと、 大刀 2尺2寸~2尺3寸(定寸) 脇差 1尺6寸~1尺7寸前後 (刀ハ長サ貮尺二三寸を定寸トシ、脇差ハ壹尺六七寸前後ナリ) とあります。 〔参照〕 http://www.kyoto.zaq.ne.jp/yamasiroya/banzasi.html 刃渡り1尺以上2尺未満のものを脇差、1尺未満のものを短刀と理解しておりますが、「二本差」としての大刀の差し添えはあくまで脇差で、大刀と短刀を2本差すということはなかったのでしょうか。 大刀の定寸を2尺3寸とするならば、1尺7寸前後の脇差というのはかなり大振りだと感じるのですが、いかがでしょう。 ちなみに、時代劇(特に70年代以前の古い作品)でも、明らかに1尺7寸には満たない脇差(短刀?)を大刀に添えて差している武士の描写が、ある程度見かけられます。 ただ、脇差といっても1尺3寸程度の小脇差もありますので、これは短刀ではないのかもしれません。 少々話がそれますが、現在普及している模造刀は、 大刀 2尺3寸5分 脇差 1尺5寸 程度のものが多く製作されているようです(2尺8寸などの長尺物を除いて)。 上の『幕儀参考』というのは、1828年に生まれて1890年に没した松平慶永(春嶽)が著したものですが、江戸時代265年の間には、脇差(または短刀)の定寸ともいうべき長さは、その時々によって異なっていたのでしょうか。 例えば、幕末期の新撰組副長・土方歳三については、局長近藤勇の書簡に 「土方氏モ無事罷在候、殊ニ刀ハ和泉守兼定二尺八寸、脇差一尺九寸五分堀川国広云々……」 とありますから、彼は2尺8寸の刀に1尺9寸5分の脇差しを帯びていたのでしょうが、かなり目立ったのではないでしょうか。 また、町人の「道中差」については、ある辞書には「武士の大刀と小刀の中間の長さ」とありますが、侠客が用いた「長脇差」とは異なるものであるはずですので、この記述は非常に曖昧ではないかと思います。 実際、道中差は「武士の」「小刀」(長さの基準はわかりませんが)よりも長かったのでしょうか。 以上、話題が二転三転いたしましたが、長さも含め、脇差と短刀の使い分け、差料としての「短刀」の位置づけについて質問いたします。 よろしくお願いいたします。

  • 江戸時代の服装

    高校の文化祭の劇で忠臣蔵のパロディをすることになりました。 そこで江戸時代の武士や女町人の服装を知りたいのです。 できれば簡単でもかまわないので衣装の作り方なんかも教えて頂きたいです。 よろしくお願いします。

  • 江戸時代の大阪の北平野について

    江戸時代の大阪北平野とはどういう場所だったのでしょうか?(ちょっと調べましたが、江戸時代に入ってから、町人達は何処かに行ったみたいな記事が出てきたりしてよくわからなくなりました) またこの場所に住む人は、どのような身分(武士とか商人とか農民とか)の方が多かったのでしょうか?

  • 江戸時代の服装について

    江戸時代の商人、町人、武士、農民、役者、遊女などの格好について調べています。 旅装束や、夏服、冬服の違いや、まげの種類など、ありとあらゆる江戸時代の人々の格好が載った参考文献(できれば図解的なもの)を探しています。 何か良い資料がございましたら、ぜひ教えて下さい。 全てを網羅していなくてもよいのでお願いします。

  • 江戸時代の刀の値段について教えてください。

    江戸時代の刀、つば、よろいの平均的なお値段について教えてださい。あと、それは武士たちがどのような形で支払ったか、お米であるとか金貨であるとか。というのも知りたいです。武士のお給料はその当時どれくらいでお金で支払われたのでしょうか?長い質問ですが教えていただけますか?宜しくお願いします。

  • 江戸時代、人気のあった名前・名乗りは?

    江戸時代、武士・町人・農民・女性で、それぞれ多かった(人気のあった)名前・名乗りは何だったのでしょうか? 武士だと「○○左(右)衛門」という名乗り?が多い気がしますが人気だったのでしょうか? 今だと皇室や有名人の名前にあやかって名付けをする事もありますが、江戸時代は歴代の由緒があるか、偏諱を許された者でなければ将軍の名にあやかる事は出来なかったんじゃないかと思いますが、どういった名前が人気だったのでしょうか。

  • 武士の出てる落語は、江戸時代に演じられいたのでしょ

    落語に武士が出場する演目があります。 井戸の茶碗のように、武士を好意的に描き、武士の心意気を賛美している(演出方法により、これとは異なるのもありますが)演目もあります。 しかし、落語という笑いを求める・与える演芸の性格のため、人間の愚かさを描くことが多いです。そのため、武士の愚かさを描いたり、愚弄しているものもあります。例えば、たがや・巌流島・三軒長屋・棒鱈などが、これに該当します。 武士の出てる落語は、江戸時代に演じられていたのでしょうか? 町内内にあるこじんまりとした寄席のなかで、町人同志が、武士に隠れて彼らの愚かな行いを楽しむことがあったのでしょうか? あるいは、明治時代になり、武士が消滅して初めて、遠慮することなく大ぴらに、武士の出てる落語を演じることができる、ようになってきたのでしょうか?

  • 江戸時代、刀の柄糸や下げ緒の色について

    江戸時代、刀の柄糸や下げ緒の色には、何か幕府の規定などはあったのでしょうか。 時代劇を見ていると――これらがすべて忠実な時代考証のもとに制作されているとは思いませんが――例えば、将軍は紫であったり、大名・大身旗本は白、幕閣のお歴々や諸藩の家老などの上士は茶や鉄紺にうぐいす、町同心や新撰組隊士、その他一般の下士の差料や町人拵は黒、といった感じがします。 上級武士が黒い柄糸の拵を帯びているのは見かけますが、反対に下級武士が黒以外のものを帯刀しているケースはあまり見かけません(飽くまでテレビ時代劇を見る限りでのことです)。 ちなみに我が家には柄巻がうぐいす色の大小があります。 祖先は代官所手代と聞いておりますが、下士の分際では、白柄やうぐいす色の柄の刀を帯びることは許されなかったのでしょうか。 それとも、役儀を勤めるときとは別に、非番のときの“遊び差”として他の刀を用意していたのでしょうか。 登城の際の殿中拵(番差・裃差)にはさまざまな規定があったと聞きますが、諸藩や奉行所および代官所などに出仕する下級武士の間にも差料の決まりはあったのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

  • 江戸時代末期のサムライの数は?

    日本人は、何かと自分たちをサムライだとか思うような傾向があるように思います。 しかし、サムライってよく分からないのですが、サムライって武士の事ですよね。 明治時代以前の社会で、武士階級に所属していたものを指してサムライというわけですよね。 だったら、日本人はサムライの国だとか、俺たちはサムライだとかいうアンデンティティって間違ってませんか? その人の先祖は百姓かも知れないし、町人かも知れない。 そもそも、武士階級に所属していた人間はいったいどれくらいの数いたのでしょうか? 江戸時代の終わり頃の人口比率を大まかでよいので知りたいです。おねがします。