atの働きについて考察

このQ&Aのポイント
  • atは点を表す、あるいは狭い場所を表すと学習参考書に書いてあります。例えばat noonは正午という時点で、at the officeは狭い場所を表すのだそうです。
  • at nightは夜という時点を表すのか疑問が生じます。それについてはいくつかの説明がありますが、その中でもあっという間に過ぎ去るので点と同じだという珍説もあります。
  • atの働きについて考察した結果、atび後続する目的語が数えられる名詞で冠詞やその他の限定詞が付加される場合は最小限度の伸び広がりしか表現できない、つまり点に近いものになります。また、atび後続する目的語が数えられる・数えられないと関係なく冠詞やその他の限定詞が続かない場合は概念または概念に近い働きを行うと考えられます。さらに、動名詞が続く場合は動詞の持つ概念が具体化されるということだと思います。
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前置詞atの働きについて

 atは点を表す、あるいは狭い場所を表すと、学習参考書に書いてありました。例えばat noonは正午という時点で、at the officeは狭い場所を表すのだそうです。  ところが、ではat nightは夜という時点を表すのかという疑問が生じます。それについていろいろ説明がなされています。例えば、夜の間は眠っている時間だからあっという間に過ぎ去るので点と同じだとか。珍説としか思えません。仮に、それが本当の理由だとしても、そのような説明を生徒達にする気にはなりません。説明というものはある程度、理のかなったものであってほしいと思うのです。そこで、私なりにatの働きについて考察して見ました。ご一読の上、間違いや怪しそうなところがあればご指摘下さい。 では分析を始めます。 (1) atび後続する目的語が数えられる名詞で、冠詞やその他の限定詞が付加される場合は時 間や空間において最小限度の伸び広がりしか表現できない、つまり点に近いものになります。  I waited at the station. やThe train arrived at Tokyo. において、実際に問題にされる場所は、それぞれstation内のある場所であったり、Tokyoのどこかの駅のホームだったりします。 I got up at 7 (o'clock). はI got up at the hour of 7. と同じです。瞬間を表します。 My grandfather passed away at 90. はMy grandfather passed away at the age of 90. と同じで す。もちろん、90才の年のある日のある瞬間を表します。 Look at the blackboard. においては、黒板の方に視線を向けよと言ってるわけで、視線の向 かう方向を狭い範囲におさめようという意図があるはずです。  aim at ---も同様です。目標を狭い範囲におさめようとするものだと思われます。 He drove the car at the rate / speed of 60 kilometers per hour. においては、速度を(振れ幅 の小さな)一定のものであることが示されているように見えます。  at some distance / angle ---なども同様。 (2) atび後続する目的語が数えられる・数えられないと関係なく、冠詞やその他の限定詞が続か ない場合は概念または概念に近い働きを行うと考えられます。  この場合は時間や空間の伸び広がりを表現できません。ただし、点に近いものだと言えません。そもそも、概念や概念に酷似した働きを行うものは時間・空間形式において制約を与えられないので、実体として扱われません。実体として見なされないものが文中、あるいは談話中で実際に使われるためには何らかの限定詞が必要だとする観点に立てば、見えない限定詞つまりゼロ冠詞が使われていると考えるしかないと思います(<冠詞がなくても、概念はそのまま文中でフリーパスで使用できる>としても構わないと思いますが、ゼロ冠詞という考え方の方が、概念と冠詞の関係を統一的に説明できるので有益だと思います)。 ---この点に関しても、ご意見を頂ければありがたいです。 at work, at table, at flight --- at workにおいてworkは概念です。ということは、workの持つ働きが表現されているように思えます。また、概念だということは一つ、または一回の出来事と意識されない、つまり状態の表現であるとも考えられます。どちらの解釈でも「仕事中」の意味が出ます。at flight やat tableも同様だと思われます。 at noon やat dawnやat midnightは文法書などではある時点の表現だとされていますが、そうではないと思います。noon やdawnやmidnightは概念なので、時間・空間形式によって具体化される(具体的な時間を持つに至る)ものではないと思います。 noonは点(瞬間)を表すものではなく、太陽の南中を表すものだと思われます。ところが、南中時には時計の時間が12時を指すこともあって、at noon =at '12 o'clockという図式が流布した結果、noonが時刻を表すものと錯覚されるに至ったのではないかと思います(私の仮説です)。  dawnやmidnightはそれぞれ夜明けと真夜中です。時刻を表すことはありません。これらの表現は時間幅を想定しないものなので、点(時間幅が最小)の表現だと誤解されたのではないかと思います。  このように考えると、at nightを点を表すものと考えることが筋違いのものであるように思われます。そもそも問題設定を間違えているという気がします。nightは黒々とした闇の深さを表しているに過ぎないと思います。at nightは「夜の暗い時に」の意味だと思います。 at homeも同様に考えられると思います。非常に狭い場所なのではなく、家庭という親密さを備えた場所を意味するのではないかと思います。 その他、at sea, at liberty, at random ---なども同じように説明可能だと思われます。 (3) 動名詞が続く場合 He's very good at swimming. ここでのswimは原形ですから概念を表します。 原形動詞を活用させることは、その動詞の持つ概念が時間的な制限を与えられて具体化され る(時制を表現する)ということだと思います。  ---ingは名詞につく限定詞のようなものだと思います。---ということは、(1)のヴァリエーションだ と言うことになります。 ここでのswimmingは外延ではあるものの、一般論的な文脈に組み込まれてたために内包に 近い働きをしているように見えます。 swimmingは<泳ぐこと>を一般的に表していると思います。 <総括> 以上の3つのパターンを分析しましたが、その共通点を探ってみました。 冠詞やその他の限定詞(---ingを含む)が続く場合は最小限度の伸び広がりしか表現できない、つまり点に近いものになります。冠詞やその他の限定詞が続かない場合は概念の働きを行うので、そもそも時間や空間の伸び広がりを表現できません。  つまり、双方共に、時間・空間という形式において一定の十分な伸び広がりを表現できないということが共通点かと思います。でも、そもそも位相の異なるものだと思います。 以上ですがいかがでしょうか。

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  • Nakay702
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回答No.3

「補足」を拝見しました。 @固有名詞全般について、「伸び広がり」については何も関知していないという言い方でよいのでしょうか? ⇒はい、そう言えると思います。 @at のまとめですが、限定詞+概念が後続する時は、時間や空間の伸び広がりがあるが、比較的狭い伸び広がりを表す。それ以外のものが後続する場合は、時間や空間については関知しない。  これでよろしいでしょうか。 ⇒はい、それでいいと思います。 以上、そっけなくてすみませんが、ご返信まで。

feeders
質問者

お礼

ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • Nakay702
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回答No.2

「補足」を拝見しました。以下のとおりお答えします。 @「(朝や昼でなく)夜に」という区分けですが、「(朝や昼でなく)晩に」となるのではありませんか。つまり、{morning afternoon, evening} という枠組みです。「夜」の場合は「昼間(明るい時)ではなく夜間(暗い時)に」という区分けが行われると思います。枠組みは{day, night}だと思います。 ⇒あ、うっかりしました。おっしゃるとおりだと思いますので、そのように訂正させていただきます。ありがとうございました。 @at a nightとat the nightが2項対立をなすということがよくわかりません。対立関係が成立するためには、ある上位概念を持つ下位概念が比較的少数の成員によって構成されていることが必須条件になると思います。この場合、上位概念は「at+ゼロ冠詞を含む限定詞+概念」だと思います。下位概念は{at a night, at φnight, at the night}ということになりますね。 ⇒「外堀」から入りますが、意味場の構造図では、表面的には3つの要素があるように見えるのに、それらが同一のレベルに並んでいない(鼎立していない)場合があります。例えば、単数両数複数、男性女性中性、近称中称遠称など。最初の例では、単数と非単数とがまず対立して、その非単数の中で両数と複数が対立する、つまり、{単数:非単数〔両数:複数〕}、{singular:non-singular〔dual:plural〕}という格好です。その後の例についても同じように、{無性(=中性):有性〔男性:女性〕}、{近称:非近称〔中称:遠称〕}といった構図が考えられます。最後の例は、日本語では{これ:〔それ:あれ〕}となり、一部の印欧語でもこれと似た(3分法の)形をしていますが、英語では{this:〔that〕}、つまり、中称と遠称の区別がない(2分法の)形になっていますね。一般的に、近称に対して、中称と遠称とが互いにより近い関係である(対立力が弱い)ことをうかがわせますね。前書きが長くなりましたが、本件の{at a night, at φnight, at the night}という枠組みの構図も、このようないびつな入れ子構造(鼎立でなく2項対立の連続)になっていると解釈できます。すなわちそれは、{at φnight:〔at a night:at the night〕}、{「内包」(=非限定):限定〔弱限定(=任意選択):特定〕}と表すことができるだろう、とこのような構図をイメージしたからでした。 @at nightを他の何かとの対立の図式の中で見るのは難しいように思います。いかかがでしょうか。 結論として、<at nightには時間幅の小さな時を表す働きはなく、単に「夜の暗い時に」を表す>という言い方でどうでしょうか。 また、at noonが正午という時点(瞬間)を表すものではなく、太陽の南中という現象を表すものだという私の説はいかがなものでしょうか。 ⇒意味場の構造図で、1つの結節点にぶら下がる{day, night}という組みは、その結節点から見れば、day・nigh間の「類別」を表しますが、実際の発話に現われたat night・at noonなどの語句は、その個々の要素相互間の対比が背景にあるとはいうものの、おっしゃるように「対立の図式の中で見るのは難しい」ですね。そこでは、それぞれの「質」が非限定的に漠然と示されていると見るのが妥当なところでしょう。発話されたat night・at noonの意味するところは、発話者の実際的経験に基づいているので、当然若干の差異はありますが、大きく見れば共通項(最大公約数的な意味)があるはずですね。 例えば、こうです。at nightは「夜の暗い時に」でもいいと思いますが、細かいことを言えば、「暗い」は常識が挿入させる事柄で、この発話が関知することではないでしょうから、「日が暮れてから朝日が昇るまで」とでもする方が幾分か原義に近いかも知れませんね。また、「at noonが正午という時点(瞬間)を表すものではなく」はいいのですが、「太陽の南中という現象を表す」の「現象」は天体運行の説明みたいでしっくりしないような気がします。ま、大差ありませんが、せいぜい「太陽が南中するころに」とでもしましょうか。 @I'm good at writing essays. この場合のwritingはいわゆる動名詞ですから、writingはwriteという概念(内包)に対応する外延だと思います。でも、ここでは内包に近い働きを行っています。<essaysを書くこと>という無時間的な意味(一般的な意味)を持つものと思われます。この考えでどうでしょうか。 ⇒はい、仰せのとおりだと思います。これぞまさしく「質の表現」の類ですね。 @I'm very surprised at the news. the newsは驚きという感情の原因を表していると思います。atはいろいろな原因の中から主要な原因を絞り込む働きを持っているのではないかと思います。<絞り込む>とは空間的なメタファーを介した言い方だと思いますが、空間的な伸び広がりが小さいことを表しているはずです。 @一般に概念を文中に具体化するためには、時間または空間による認知形式によって制限が加えられなければならないはずですが、時間または空間の形式がそのままの形では適用できない場合は、(例えば、上述のnewsのように)時間的または空間的なメタファーを介して認知されると考えるしかないと思います。そもそも、人間は想像力を柔軟に働かせることによって、様々な非空間的な存在物を空間的なものとして把握することが可能になったのだと思うのです。この考えで正しいでしょうか。 ⇒はい、実に深い洞察と捕捉、見事なたとえ方だと感服しました。 @the newsの絞り込みのやり方ですが、たとえば、時間的な相においては、次々に発せられて取り入れられてゆくニュースのうち、<私の驚き>の原因となった部分だけを(狭い時間幅において)切り取ることだと思います。また、空間的な相においては、一瞬ごとに量が増えてゆくニュースのうち、<私の驚き>の原因となった部分だけを(狭い空間において)切り取るこだと思います。どちらのやり方でも、たくさんのニュースから少量のニュースを選び出すことになります。 ⇒「私の驚きの原因となった部分」は最初に、つまり、驚いたときに切り取られて、その部分がthe newsという形で表されたのではありませんか? つまり、上で縷々述べられた「絞り込み」は、この発話をした時点ですでに発話者によってなされていることがat the newsの示していることでしょう。ということは、the newsのtheは、ただ「それを、そのように限定するために」冠せられたに過ぎないのだと思います。 @概念ではなく実体(固有名詞)が続く場合 The train arrived at Tokyo. Tokyoは概念を持たないので限定詞がつきません。また、実体なので空間的な制約を受けることになります。atに限定詞+概念が続く時と同様に、一定の空間的な伸び広がりを持つわけですが、最小限度の伸び広がりしか表現できません。この言い方でいいのでしょうか。 ⇒この場合のat Tokyoも、「伸び広がり」については何も関知していないと思います。発話者が経験上抱いているTokyoを主観的かつ「質的に」表しただけ、というように考えられます。発話者の気持ちは別として、この文の文意としては、Tokyoのどの位置か、どの駅かなどについては頓着していないわけで、それを云々するのはいわば読み手の取り越し苦労、別名「勇み足」かも知れないと考えます。 @take a walkという表現があります。散歩(walk)はそれに要する時間の経過を伴うものなので、時間的な制約(はじめから終わりまでのまとまり)があると考えられます。でも、同時に、散歩(walk)は平面上での(散歩経路上の)移動を伴うものなので空間的な制約があるとも考えられます。a ten minute walk --- 時間的まとまり / a ten mile walk ----空間的まとまり この考えでいいのでしょうか。 ⇒「時間および空間」と言うと、「その両方を同時に」という意味を了解してしまいますので、「時間や空間」でいいと思います。a ten minute walk やa ten mile walkは、確かに、一定の時間・空間の尺度で測って「切り取った部分のひとまとまり」を指示しているのでしょうね。 @ところが、例えばa bookは(…)、いかがでしょうか。 ⇒すみませんが、このあたりの数行については何とも申しあげられません。構文と文脈によってはあり得ないとは限りませんが、多くの場合、たとえそのような語句・文言が発せられても、おっしゃるような意味を表すことはなさそう、と言いますか、そもそも通常の表現でこの種の事柄については関知することも言及することもないように思われます。つまり、失礼ながら、これはうがち過ぎ、ないし上述の「勇み足」の部類に近いのではないかと考えます。とはいえ、言語は一面心理的存在です。ですから、解釈問題がいろいろなところまで飛躍することはいくらでもあり得ますので、そのこと自体を批判する意識は毛頭ありません。その点はどうぞご賢察くださいますように。

feeders
質問者

お礼

ありがとうございました。

feeders
質問者

補足

回答ありがとうございました。 <⇒この場合のat Tokyoも、「伸び広がり」については何も関知していないと思います。> --よく考えたら当たり前のことでした。「伸び広がり」とは時間や空間に関知しないものに時間的/空間的限定を加えることですから、その働きを行うのは限定詞だけです。固有名詞には(拡張用法的に普通名詞の働きをする時を除けば)限定詞がつくことがないので、そうした限定が行われないわけですね。 では、固有名詞全般について、「伸び広がり」については何も関知していないという言い方でよいのでしょうか? ---a bookの認知形式において、時間的に継続の意味を持つという言い方はやはり不自然なわけですね。たぶんラネカーの著作を読んでいてそうした記述を発見したような記憶があります。それを読んだ時、認知は必ず時間と空間の両方の形式においてなされると彼が考えているのかなと思ったわけです。それまで、認知は時間か空間のどちらかの形式でなされればよいはずだと思っていたので、非常に違和感があったのです。やはり、時間と空間の両方の形式においてなされる必然性はないわけですね。もちろん、(a ten minute walk やa ten mile walkなどのように)時間と空間のどちらで行っても自然な解釈が可能な場合もありますが。 よく考えたら、for a time /while のように空間形式で認知するのが困難(よほどのこじつけを行わない限り)なものがありますね。 -結局、at のまとめですが、限定詞+概念が後続する時は、時間や空間の伸び広がりがあるが、比較的狭い伸び広がりを表す。それ以外のものが後続する場合は、時間や空間については関知しない。  これでよろしいでしょうか。これなら何とか生徒に説明できそうな気がします。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9724/12096)
回答No.1

むずかしいテーマなので遅れましたが、以下のとおりお答えします。 @説明というものはある程度、理のかなったものであってほしいと思うのです。そこで、私なりにatの働きについて考察して見ました。 ⇒お気持ちは非常によく分かります。既存の説明を鵜呑みにするよりはるかに素晴らしい考え方だと思います。このような疑問の生じやすい問題についてそれを意識し、対応する解釈を「自分語」にしておくことが重要で、特に質問があった場合などに「理屈抜きで丸暗記しろ」などと繰り返す御仁よりはよほどありがたい存在となるに違いありません。 @(1) atに後続する目的語が数えられる名詞で、冠詞やその他の限定詞が付加される場合は時間や空間において最小限度の伸び広がりしか表現できない、つまり点に近いものになります。(…)aim at ---も同様です。目標を狭い範囲におさめようとするものだと思われます。 ⇒確かに、この場合のatは、おっしゃるような意味で用いられていると思います。そして、生徒さんに分かりやすく説明する場面では具合のいい解釈かも知れません。少しこねくり回すことが許されるなら、意味場を想定してこの語とその上位概念との結節点(node) から見ると、そこにはおそらく、少なくともatやinがぶら下がっていて、その結節点には位格(locative) という名がついていることでしょうね。そして、atは比較的狭い範囲の「場」を示し、in は相対的に広い範囲の「場」を示しているでしょう。さらに細かいことにこだわれば、前置詞atが意味することはそれ(比較的狭い範囲の「場」)だけで、それ以上の細かい場や位置の条件ないし規定は、実は、後続する名詞とか、それにかぶせられる冠詞その他の限定詞が担っている意味規定作用である、と言えるように思います。 @(2) atに後続する目的語が数えられる・数えられないと関係なく、冠詞やその他の限定詞が続かない場合は概念または概念に近い働きを行うと考えられます。(…)このように考えると、at nightを点を表すものと考えることが筋違いのものであるように思われます。そもそも問題設定を間違えているという気がします。nightは黒々とした闇の深さを表しているに過ぎないと思います。at nightは「夜の暗い時に」の意味だと思います。 ⇒at nightの「概念または概念に近い働き」という意味機能は、言い換えれば「質」、すなわち、「内包」(→内包そのものではないが、それに限りなく近いのでカギカッコに入れる)を表すことである、と言うのとほとんど同じことでしょうね。ということは、at nightが持つ弁別特徴(distinctive feature) をさらに別の語で言い換えれば、「(朝や昼でなく)夜に」ということになるでしょう。簡単な枝分かれ図を描くと、このat night は、at a night「ある夜に」やat the night「その夜に」と鼎立関係にあるのでなく、まずat a nightとat the nightが2項対立をなし、次にこの2つの組とat nightとが対立する(2項対立の連続)、そしてさらにその上の結節点ではat noonなどの系列と対立している、といった構図を想定することができるかも知れません。 @(3) He's very good at swimming.(…) ---ingは名詞につく限定詞のようなものだと思います。---ということは、(1)のヴァリエーションだと言うことになります。ここでのswimmingは外延ではあるものの、一般論的な文脈に組み込まれたために内包に近い働きをしているように見えます。swimmingは<泳ぐこと>を一般的に表していると思います。 ⇒swimming なる語は動名詞‐ingから派生したことは確かですが、buildingなどと同じように、れっきとした名詞です。時に、How do you think about his swimming? というような形で用いられることでも分かります。ゆえに、それは外延ではあっても「内包」に限りなく近い働きをしていると思います。ということで、これは「(1)のヴァリエーション」でなく、(2)の部類に入ると言えるのではないかと思われますが、いかがでしょう。 @以上3つのパターンを分析しましたがその共通点を探ってみました。冠詞やその他の限定詞(---ingを含む)が続く場合は最小限度の伸び広がりしか表現できない、つまり点に近いものになります。冠詞やその他の限定詞が続かない場合は概念の働きを行うので、そもそも時間や空間の伸び広がりを表現できません。つまり双方共に、時間・空間という形式において一定の十分な伸び広がりを表現できないということが共通点かと思います。 ⇒「冠詞やその他の限定詞が続く場合は最小限度の伸び広がりしか表現できない」はいいのですが、上で見たとおり、ここに‐ingは含まれませんね。また、「冠詞やその他の限定詞が続かない場合は概念の働きを行う」はいいのですが、この場合、「時間や空間の伸び広がりを表現できない」のではなく、「それについては関知せず、したがって言及もしない」だけであろうと考えます。それ(時間や空間の伸び広がり)については特に限定せず、抽象的に「質」のみを表す、あるいは、上位概念の場における他の概念要素との対比・類別を示すに過ぎない、ということであろうと思います。at nightは、繰り返しになりますが、時間の伸び広がりなどとは関係なく、単に「(朝や昼でなく)夜に」ということを示しているに過ぎない、というわけです。 以上、いささか違った視点から見て「いちゃもん」をつけさせていただきましたが、feedersさんはatの意味をsyntacticな場面において意味機能を現象・結果として捉えて考察し、その説明・解釈を提示されたと思います。一方、私はatをparadigmaticな場面において、その意味論(における網の目体系)の観点から申しました。feedersさんが動態研究をなさったとすれば、私は静態研究のスタンスをもって眺めただけだったかも知れません。このような立場の違いによる「いちゃもん」であってみれば、もし同じ立場に立ってみたら、案外似た結論になっているかも知れません。少なくとも教育現場にあっては、feedersさんの分析や解釈のほうが、私のそれより有効な手立てになるに違いありません。 以上、不十分ながら、ご回答まで。

feeders
質問者

お礼

ありがとうございました。  

feeders
質問者

補足

回答ありがとうございました。  <ということは、at nightが持つ弁別特徴(distinctive feature) をさらに別の語で言い換えれば、「(朝や昼でなく)夜に」ということになるでしょう。簡単な枝分かれ図を描くと、このat night は、at a night「ある夜に」やat the night「その夜に」と鼎立関係にあるのでなく、まずat a nightとat the nightが2項対立をなし、次にこの2つの組とat nightとが対立する(2項対立の連続)、そしてさらにその上の結節点ではat noonなどの系列と対立している、といった構図を想定することができるかも知れません。> ---「(朝や昼でなく)夜に」という区分けですが、「(朝や昼でなく)晩に」となるのではありませんか。つまり、{morning afternoon, evening} という枠組みです。「夜」の場合は「昼間(明るい時)ではなく夜間(暗い時)に」という区分けが行われると思います。枠組みは{day, night}だと思います。 at a nightとat the nightが2項対立をなすということがよくわかりません。対立関係が成立するためには、ある上位概念を持つ下位概念が比較的少数の成員によって構成されていることが必須条件になると思います。この場合、上位概念は「at+ゼロ冠詞を含む限定詞+概念」だと思います。下位概念は{at a night, at φnight, at the night}ということになりますね。  では、at a night とat the nightは同じレベルの概念で、しかも同種のものであるとする判断はどこから生まれるのでしょうか。表現形態において同種であるということなのでしょうか。  この問題をもう少し追究してみたいと思います。 {day, night}という枠組みであれば2項対立をなすので、当然theがつきます。{day, night}という枠組みにおいて、dayとnightはどちらも言語使用者とは直接のつながりを持たない要素です。だからこそ、言語使用者からみて客体的なものととらえられ、かつ両者が対立するものとらえることが可能なのではありませんか。 nightが{day, night}という枠組みの外に出ると、今度は言語使用者との直接的なつながりが生じると思います。(だから闇の黒々とした感じを言語使用者が持つのではないかと思います)。 対立関係は概念同士が言語使用者と直接的なつながりを持たないときに生じるのではないかと思います。よって、at nightを他の何かとの対立の図式の中で見るのは難しいように思います。いかかがでしょうか。 結論として、<at nightには時間幅の小さな時を表す働きはなく、単に「夜の暗い時に」を表す>という言い方でどうでしょうか。 また、at noonが正午という時点(瞬間)を表すものではなく、太陽の南中という現象を表すものだという私の説はいかがなものでしょうか。  <⇒swimming なる語は動名詞‐ingから派生したことは確かですが、buildingなどと同じように、れっきとした名詞です。> -たしかにそうですね。私の凡ミスでした。ではこういうのはどうでしょうか。  I'm good at writing essays. この場合のwritingはいわゆる動名詞ですから、writingはwriteという概念(内包)に対応する外延だと思います。でも、ここでは内包に近い働きを行っています。<essaysを書くこと>という無時間的な意味(一般的な意味)を持つものと思われます。この考えでどうでしょうか。 <「冠詞やその他の限定詞が続かない場合は概念の働きを行う」はいいのですが、この場合、「時間や空間の伸び広がりを表現できない」のではなく、「それについては関知せず、したがって言及もしない」だけであろうと考えます。それ(時間や空間の伸び広がり)については特に限定せず、抽象的に「質」のみを表す、あるいは、上位概念の場における他の概念要素との対比・類別を示すに過ぎない、ということであろうと思います。> -その言い方の方がいいですね。納得です。 --2つほど、つけ加えるのを忘れていました。ご意見を伺えるとありがたいです。 I'm very surprised at the news. the newsは驚きという感情の原因を表していると思います。atはいろいろな原因の中から主要な原因を絞り込む働きを持っているのではないかと思います。<絞り込む>とは空間的なメタファーを介した言い方だと思いますが、空間的な伸び広がりが小さいことを表しているはずです。  一般に概念を文中に具体化するためには、時間または空間による認知形式によって制限が加えられなければならないはずですが、時間または空間の形式がそのままの形では適用できない場合は、(例えば、上述のnewsのように)時間的または空間的なメタファーを介して認知されると考えるしかないと思います。そもそも、人間は想像力を柔軟に働かせることによって、様々な非空間的な存在物を空間的なものとして把握することが可能になったのだと思うのです。この考えで正しいでしょうか。 the newsの絞り込みのやり方ですが、たとえば、時間的な相においては、次々に発せられて取り入れられてゆくニュースのうち、<私の驚き>の原因となった部分だけを(狭い時間幅において)切り取ることだと思います。また、空間的な相においては、一瞬ごとに量が増えてゆくニュースのうち、<私の驚き>の原因となった部分だけを(狭い空間において)切り取るこだと思います。どちらのやり方でも、たくさんのニュースから少量のニュースを選び出すことになります。この考えでいいのでしょうか。 もう一つあります。つけ加えるのを忘れていました。 (4) 概念ではなく実体(固有名詞)が続く場合 The train arrived at Tokyo. Tokyoは概念を持たないので限定詞がつきません。また、実体なので空間的な制約を受けることになります。atに限定詞+概念が続く時と同様に、一定の空間的な伸び広がりを持つわけですが、最小限度の伸び広がりしか表現できません。 この言い方でいいのでしょうか。 ところで、以前から気になっていたことがあります。実体(固有名詞と限定詞つきの概念)は時間相または空間相において制約を受ける(一定の限界を持つ)わけですが、これまでの私の説明では時間又は空間のいずれかの相において制約を受けるという考えに基づいたものでした。  しかし、よく考えたら、<時間又は空間>ではなく<時間および空間>であるはずだと思うのです。例えば、take a walkという表現があります。散歩(walk)はそれに要する時間の経過を伴うものなので、時間的な制約(はじめから終わりまでのまとまり)があると考えられます。でも、同時に、散歩(walk)は平面上での(散歩経路上の)移動を伴うものなので空間的な制約があるとも考えられます。a ten minute walk --- 時間的まとまり / a ten mile walk ----空間的まとまり この考えでいいのでしょうか。 ところが、例えばa bookは空間的な制約を持ちますが、時間的制約はと言うと、本が作られてから廃棄されるまでの時間の経過または持続というしかありません。ですから、わざわざ言及することに意味があるとは思えません。  Tokyoもそうです。空間的伸び広がりだけでなく時間的な伸び広がりを考える時、東京が作られてから消滅するまでの時間の経過または持続というしかないと思います。でも、atに後続する形で使われたとなると、空間的には東京の中の一点に近い場所を表し、時間的には東京の日々の営み(時間の経過)の中の一点(電車が到着した時点)を表すのではないかと思いますが、いかがでしょうか。 以上です。よろしくお願いします。

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    前置詞in atの違いについて よくin atを置く違いは話者の感覚的な問題や捉える空間によって変わると聞きますしそれはそれで納得できます。しかし、そのような違い以外にも、「イギリス英語」「アメリカ英語」という理由でinがつくかatがつくか変わってきますよね?なぜこう思うかといいますと、辞書などをみると頻繁にそのような状況をみかけるからです。例えば、 I did well in《米》[《英》at] school. She is still at [《米》in] school. などのような文です。 しかしこれを元に考えてみると、イギリス英語の場合、後に場所をを表す語句が来る場合すべて「at」. アメリカ英語の場合は「in」になる、と考える事が出来るような気がするのですが…。それかそれぞれの後にschoolという単語が続く時のみ、この例文の様な違いが出てくるのでしょうか?一人で考えていても答えが一向に出てこないので前置詞に得意な方回答お待ちしております。

  • 無冠詞とゼロ冠詞について

    はじめにゼロ冠詞について私独自の見解を述べます。おかしいところやわかりにくいところがあればご指摘をお願いします。特に、説明のための論理的な整合性が保たれているかどうかをチェックしてください(歴史的な事実であるかどうかは当方は気にかけていません)。 例えばここに、無色・無臭の透明な液体(水)があったとして、それを概念化してwaterと名づけたとします。概念のwaterは心の中に存在するものなのに、どういうわけか文中(談話中)で使われます。ということは、名づけられた時点で概念は文中で語彙として使われる資格を与えられたのだとしか考えようがありません。  ところが、その後、数えられるものと数えられないものとの区別が行われるようになり、数えられるものを文中で言い表す際には、それが一個の個物である時は不定冠詞がつけられるようになりました。例えばa lionです。複数の個体である時は- s - がつけられるようになりました。これらがいわゆる限定詞です。あるものを数えられるものとして表すためには時間または空間的に限定(一定のまとまり)が必要ですが、その限定を与えるのが限定詞です。 ところで、概念のwaterはWater is a clear pure liquid. という文においては、カテゴリーを表すものであって実体ではありません。でも、カテゴリーではなく実際に水を飲む時は、コップ1杯、あるいは手のひら一杯の水を飲むので時空の制約を受けます。 数えられるものには時空の制約を受けることを示すために限定詞(- a - と - s - )がつけられましたが、数えられないものに限定詞がつかないのでは一貫性がないと言えます。一貫性を保つために数えられないものに限定詞のsomeをつけることになりました。他に量を表すものなら何でも構いません。量を表すということは時空の制約を与えることですから。I drank some / a lot of / a pint of water there. というふうに言い表されるわけです。 この段階では、概念は文中でカテゴリーを表す場合に限って、(限定詞なしで)そのまま語彙として使われる資格を与えられていると考えるしかありません。 抽象概念(観念)も、例えばFear is the feeling that you have when you are frightened. という時のfearはカテゴリーを表しますが、現実にひしひしと感じるfearの場合はI feal some fear. という言い方が可能になります。ということは、some fearは実体として扱われていることになります。物質名詞と抽象名詞を合わせてmass nounと呼ばれているようです。 文法書や冠詞の解説書などでは抽象観念は心の中にあるものなので実体ではないと書かれています。ここで言う実体とはどうやらtangibleなもの、すなわち見たり、手で触ったり、要するに五感でとらえられるものを指しているようです。ネイティブにもそのような考えの人がいます。でも、<実体>というものをもっと別の考え方でとらえた方が有意義だと思います。つまり、時間・空間という制約を持つものととらえるべきだと思うのです。そうしたとらえ方が可能であれば、数えられるものはもちろんのこと、数えられなくても五感でとらえられるもの(物質名詞)だけでなく、気分や情感としてとらえられるもの(抽象名詞)も実体として扱うことが可能になります。 そもそも、何かを認知することは五感で(知覚器官によって)とらえられるだけでなく気分や情感によってとらえることでもあると思うのです。というわけで、I feal some fear. においてはfearは実体を表すということで論を進めます。 ここまでの話をまとめます。数えられるものも数えられないものも文中で言い表わされる場合は原則として限定詞が必要とされますが、数えられないものがカテゴリーを表す場合のみ例外的に限定詞が必要とされません。きちんと紹介しませんでしたが、可算名詞でも無冠詞で概念的な表現を行う場合には限定詞が必要とされません。(go to school / work as interpreter ---)  この考え方だと、ある原則があってそれに対する例外が存在することになります。例外規定を設けずに統一的に見ることを可能にしようと思えば、カテゴリーを表すwaterに実は可視化されない限定詞がついているのだと言いくるめることも可能です。それをゼロ冠詞と呼んでいる人がいます。英語のzero articleが日本語訳された時に無冠詞という呼び名になったものと思われます。この場合の<無冠詞>は語彙化を可能にするという働きを持っていることになります。 私には、ゼロ冠詞は実体ではないのに実体と同じ扱いを受けるための免罪符あるいはおまじないのようなものに思えますが、それはそれであっても構わないと思います。 私が問題にするのは、zero articleまたは<無冠詞>という考え方を導入して、冠詞を統一的に指導すべきなのか、それとも、カテゴリーを表す場合の不可算名詞は限定詞なしでフリーパスで文中で使うことができるとすべきなのか、どちらの考え方がよいのかということです。自分はこういうふうに説明することにしていると決めておられる方がいらしゃればご意見を聞かせて頂ければありがたいです。 もう一つ問題点があります。固有名詞(の本来の用法)の取り扱いについてです。(a Mr. Smithというふうな普通名詞的用法は今回の議論から省きます)。固有名詞は実体そのものなので、問題なく文中で使えます。限定詞を必要としません。もちろんゼロ冠詞も必要としません。だから冠詞なしで使うわけですが、カテゴリーを表すwaterに冠詞がつかないのとはわけが違います。ですから、固有名詞を無冠詞で使うという言い方は誤解を招く可能性があります。冠詞がつかないという事態を2種類に分けて考える(説明する)必要があります。  ここで冠詞および限定詞というものの働きを統一的にとらえて、いかなるもの(名詞)にも限定詞がつくのだと主張したいのであれば、固有名詞につく冠詞---眼に見えない冠詞でゼロ冠詞にかわるもの---を呼び名として作らなければならないことになります。調べてみると、null冠詞というものを提唱している人がいることがわかりました。たしかにこうしたものまで導入すれば冠詞の統一的な説明は可能ですが、不可視な冠詞が2つもあることになるし、冠詞が全部で4種類も存在することになってかえって煩瑣なような気がします。といって、冠詞がつかないという事態を2種類に分けて考えるのもうっとおしいような気がします。ゼロ冠詞という呼び名だけでも使ってみようかと考えたりもします。  私としては大学入試レベルの英作文で冠詞の選択(a名詞 / the名詞 / 冠詞がつかない名詞)が生徒によって確実に行われるかどうかが問題なので、ゼロ冠詞とかnull冠詞とかを導入する必要はないのですが、そのこととは別に自分なりのスタンスを持っていたいと思うのです。ご意見を伺いたいと思います。 ---ところで、There is frost in the garden. におけるfrostは<霜>というカテゴリー全体のうちの部分を表しています。つまり、someがなくても実体を表しているわけですが、話がややこしくなるといけないので、この件は今回の質問では扱いません。I feel fear now. についても同様です。いずれ、この問題に関しても質問する予定です。

  • Heなどの代名詞に形容詞がつかないのはどうしてなのでしょうか?

    こんにちは、昨日に引き続きお世話になります。 代名詞(oneなど除く)には冠詞や形容詞が付かない決まりがあります。冠詞が付かない理由は、 I saw a man standing on the hill. He was looking down at the town and cying. 上の文では、Heは、The manと同じですでに冠詞がついているため、Heに改めて冠詞をつける必要はありません。というよりつけたらThe the manとなり間違いです。 しかしなぜ形容詞をつけてはいけないのか、ということになるとその理由が思いつきません。tal heという表現が間違いであることは当然知っていますが、tall he=the tall manとどうして考えてはいけないのかがよくわからないのです。 訳のわからない質問で申し訳ございません。しかし疑問に思った以上はすっきりさせたいのです。 ご回答はお時間のある時で結構です。どうかよろしくお願いします。

  • 不可算名詞に形容詞がついて可算名詞化する現象

    前回の質問投稿<ものが数えられるものと判定される基準について>の続編です。 まず、私の考えを提示しますので、それについておかしいと思うところがあれば指摘をお願いします。 数えられないものなのに形容詞がつくと数えられるものと見なされることがあります。例えば、 a heavy rain(A heavy rain began to fall.) という使い方があります。ただし、形容詞がついても数えられないこともあります(Heavy rain began to fall.)。 では、heavy rainが数えられるものであると判定される条件はどのようなものなのでしょうか。それと、なぜ、可算と不可算の両用の使い方があるのでしょうか。その二つが今回の質問投稿の趣旨です。 まず、heavy rainが数えられるものであると判定される条件ですが、冠詞の解説書などでは、不定冠詞がつくのはrainが形容詞が付加されることによって種類分けされ個別のものと見なされるからとあります。不定冠詞がつくことは個別のものであることの表明なので、<個別のものと見なされるから不定冠詞がつく>という因果関係は成立しません。ということは、問題は形容詞が付加されるとなぜ個別のものと見なされるのかという点に絞られることになります。 前回の質問投稿<ものが数えられるものと判定される基準について>で説明しましたが、何かが数えられるための基準は、そのものが空間的または時間的に制約(一つのまとまり)を持つことです。  heavy rainの場合、時間的な観点で言うと、ざーざー降っている期間がそれ以外の期間と異なる(種類の)ものと見なされて、あるいは、その期間における降りざまがいつもの降りざまと異なるものと見なされて、その期間を時間的なまとまりとみなすことができます。空間的な観点で言うと、ざーざー(局地的に)降っている場所をそうでない場所を区別して、その場所を空間的なまとまりとみなすことができます。 ところが、heavy rainが数えられないことがある(aがつかない)ということは、heavy rainが上のような降雨(自然現象)として意識されるのではなく、ざーざー降る雨水(流動物)として意識されるからではないかと思います。この場合は、時間的にも空間的にもまとまりを持つものとしてとらえられることはありません。 同じheavy rainという語を話者が降雨(自然現象)ととらえるか、それとも雨水(流動物)ととらえるか、その判定の主導権は話者にあります。よって、話者の考え方や生活習慣やその都度の気分次第でどちらにもなります。この考えでいいと思うのですが、いかがでしょうか。 今回の質問に対する説明がこれで十全なものになったかということですが、そうは思いません。rainにつく形容詞すべてについて上のようなことが当てはまるか確認しなければなりません。つけられる形容詞としてはheavy以外に、mist, fine, hard, light, gloomy --- などがありますが、これらはrainの属性で様相(降りざま)を表すものです。その他の共通点は、どれもが話者の主観的判断と関わるものだということです。ということは、様相(降りざま)を意識するか、それとも空から降ってくる水(流動物)として意識するかの判定が話者にその都度ゆだねられることを意味します。 mist, fine, hard, light, gloomyにrainが後続する場合の空間的・時間的まとまりは容易に把握可能です。普段と異なる降りざまなので降雨の場所と時間帯がそのときだけ際だったものとしてとらえられるはずです。gloomy rainの場合は話者の気分が降りざまに投影されていますが、同じように考えることができるはずです。  ところが、acid, radioactive, caesium-contaminatedという形容詞もつきます。これらは降りざまを表すものではありません。また、化学物質の含有量は測定されるものなので話者の主観が関与することもありません。普段の雨とは性質の異なるものなので、それらが降る地域や時間帯をそれ以外の地域や時間帯と区別して不定冠詞をつけることができそうですが、実際には検索結果を見ると不可算扱いです。 このことから仮説を提示できます。<rainに形容詞を付加することで可算扱いにできるのは、その形容詞が話者の主観的判断と関わるものである場合に限られるのではないか>というのが私の仮説です。いかがでしょうか。 (ただし今回の議論においてはSeptember rainというふうに固有名詞がつくケースは除外します。全く別の議論だと思うからです。又、<acid rainは慣用表現化しているために形容詞acidの限定力がなくなりrainを個別化することができない>といったような議論も棚上げにします。汎用的な議論ではないからです。caesium-contaminatedは慣用表現ではありません。)

  • "at night"と "in the evening"の違い

    曜日や特定の日を表す on 時の一点を表す at 比較的長い期間を表す in と覚えていたのですが、同じようなものをさす下記の二つの文はなぜ前置詞が"at"と"in"に分かれるのでしょうか。 at night in the evening お教えください

  • 時間帯を表す英語

    時間帯を表す英語をまとめて覚えたいと思い、辞書などで調べた結果、下記の11個の言葉を見つけたのですが、いくつか疑問に思うことがあるので、質問させていただきます。 (1)dawn(夜明け) (2)early morning(早朝) (3)morning(朝・午前) (4)day(日中・昼間) (5)noon(真昼・正午) (6)afternoon(午後) (7)twilight(日暮れ・たそがれ) (8)dusk(日暮れ) (9)evening(夕方・夜) (10)night(夜・晩) (11)midnight(夜中・夜の12時) 【質問1】足りない言葉や、単語はありますか。 【質問2】順序(上にいくほど早い時間帯)が間違ってないでしょうか。 【質問3】(1)dawn(夜明け)(2)early morning(早朝)(3)morning(朝・午前)の使い分け方を教えてください。 【質問4】(4)day(日中・昼間)(5)noon(真昼・正午)の使い分け方を教えてください、 【質問5】(7)twilight(日暮れ・たそがれ)(8)dusk(日暮れ)の使い分け方を教えてください。 一つだけでも結構ですので、アドバイスしていただければ幸いです。 宜しくお願いします。