古代ローマの多神教をザックリ教えてください。
古代ローマの多神教をザックリ教えてください。
タイトル自体が質問の目的です。
私なりの考え方もあって、参考に質問主文にしますから、それを読み物として参考に、ご回答ください。
古代ローマは多神教が主流だった。
私が承知しているのは、その伝聞のみです。
そこから膨らませました。
その前に私の立ち位置として、神道と日本の国家主権の関係を説明しましょう。
「日本は地上に存在する唯一の真の王国」です。
日本で神話時代から歴史時代への転換を成立させた当時の王朝が今も存在している。
その事実により、国家主権の根拠に関しては、国際法の論理を超越して世界一強固な国家になっています。ある意味部分的な根拠であっても、国家主権という題罪で世界を見渡してみると、学問的に実に興味深い事だろう。
その真の王国の長をなぜ「帝(みかど)」というかというと、神道の体制というのは、「国家主権を司る神であるアマテラスがすべての諸神を容認した。」という多神教と形容可能でしょう。
話を戻すと、古代ローマ帝国の多神教に関して、日本の神道は参考にならないかと、類似性と絡めて考察の台上にあげたいと考えて、ローマに関して教えてほしいのです。
それから古代ローマの政治システムも高い理想を掲げた制度が目論見通りに機能しないで時代が下るにつれて自壊していったと聞いています。
それに近い事でもなかったかという疑問が宗教にもあります。
そしてです、ローマを破壊したのはキリスト教の採用による唯一神への転換がとどめでもないかと考えています。
帝国というのが、寛容を放棄して中央集権的な圧政を敷くのに最も好都合なのがキリスト教でもあるからです。
ユダヤ教の唯一神とは神道で言う氏神の事です。
独自の共同体を取りまとめて隣人と結束するために有効です。
そのユダヤ教が参考書としてイエスの故事とともに拡散していく経過には唯一神という合言葉は、民衆によるローマへの抵抗運動でもあった。
しかしローマがキリスト教に屈したら唯一神とは最悪の帝国主義を表す合言葉になった。
こういう考察は面白みを感じます。
お礼
あー、印象的にはそりゃそうだな~。 前提で、日本は多神教。 神話時代と歴史時代の転換期を演出した王権が現在も存続する世界唯一の真の王国。 これを比べながら、帝(みかど)という言葉の意味と、一般的な帝国制度の差を考えてみたんだよ。 どうも他国を滅ぼすという発想と関係がある着想になるだろう。 中卒並みの学力で、それ以上はよくわからないからよろしくたのんますは。
補足
わり~けど、備忘録として活用するよ。 下記テキストは質問内容があいまいだ。 ファックはちょうど良かったのだろうが、あえて私なりに愛を美化するとこうなるという慰めだよ。 キリスト教圏の聖霊と交渉するために打診する、相互理解の言葉は、「おっぱい~、おっぱい~、おっぱい~」だったんだ。 キリストちゃんたちにとても尊敬されるらしい。 男性である私が、この謎の脳内信号にいかに悩まされたか、あまり多くは語るまい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 西洋は愛を汚すための哲学を展開する 人と人の相互理解が結ばれた状態は日本語で「絆」人間を成立させ、自己の善性を自覚可能になる。 西洋での愛の命題は、この確定した絆の概念を感情面で補足する概念だ。 西洋社会はファッキンで成り立つ風土だろう。 ファッキンは生殖行為であり、人が人を生む個人的な単位であり、社会性の獲得と人間の成立とは確かにかかわる。 しかし極めて社会性が低い、言葉を交わし理解した者同士の絆より圧倒的に狭い。 それが愛の概念の限界であるために西洋は迷走した。 この愛の概念をアマテラス善性を踏まえたうえで、新概念に更新する研究を行いたくて、説明的に質問を投稿しているんだ。 愛を果実に向けてはいかがか。 生まれてきた時の産声だ。 愛は気力発揮とかかわって、命題に採用され、その概念の理解がファッキンにとどまっていることが不完全で劣化したショボイ命題にされている。 フンギャ~。という産声で差し出されるのは乳房だ。 この根源的な愛(赤子の発情行為)は、自らに手を差し伸べる存在を、それが母だと理解しないまま自覚させる。 すなわち母が赤子に人と人の交わりの原始的な姿を教え、それで生まれてすぐ人間を自覚するとはいえるのだろう。 問題は、陰毛が生えると愛を忘れることだ。 そういうわけで、愛という不完全な命題の結論を教えるのは母なのだろう。 場合によっては産婆がみとるのが先かもしれないけどね。 これらはしょせん、絆をいう広範囲な社会の成立を補足する日本人による西洋への教えだ。