羽田空港の再拡張が俎上に載る背景には何があるのか。
旧羽田空港は広さが限界に達した時、ジェット機の爆音による騒音被害の解決も兼ね、沖合に移転することが決まり、1984年に着工しました(完成は2007年)。新しく沖合に空港を作ってそっくり移転した訳ですが、通称オキテンと呼ばれたこの工事のマスタープランでは、新たな滑走路の位置、長さなどは東京港第一航路を航行する船舶に支障が無いように配慮、取り得る最大限の条件を突き詰めて、その下に様々な最新の技術開発力を投入して作られました。当時「これでもう羽田は開発し尽した、これ以上やれることは何も残っていない」と言われたものです。
その後さらに首都圏の空港需要が逼迫することが予想される状況となって、2000年に運輸省航空局に「首都圏第3空港調査検討会(座長:中村英夫 武蔵工業大学教授)」が設置され、研究会・懇話会・商工会議所などから提案を募り、8ヶ所への候補地の選定までは行ったものの、そこから先への絞込みは遅れ、陸上案や軍民共同案の困難性を指摘するに留まっていました。一方で、1999年に東京への一極集中を推し進めたい石原都知事が誕生していて、第三空港ではなく羽田空港の拡張を強く要望し、定期航空協会と連名で羽田空港を拡張する案(C滑走路に平行で3500M)を提案していました。調査検討会は設置後次第に、第三空港の適地決定という任務を事実上棚上げにし、(暫定的な措置だと言いながら)羽田の拡張が出来ないかというテーマを検討課題とするように方向転換していきます。(後日石原都知事自身が、羽田空港を拡張できたのは自分が強力に推進したからだと公然と述べています。)
空港敷地はオキテンの際、既にぎりぎりの位置まで沖合に出しており、日本船主協会は、大井埠頭に出入りする大型コンテナ船について、航路が空港を迂回するために屈曲させられ、今以上の危険を強いられることになれば、将来東京港に大型船が入港しないという事態になりかねないと警告していました。
調査検討会では、定期航空協会の提案と並行して、新たに南風悪天候時にも使える「B滑走路に平行で2500M」という案も作っていましたが、港湾機能の維持については依然として課題のままで残りました。最終的には滑走路が第一航路に突出さないように、滑走路(島)全体を逆方向の多摩川の中に1キロメートル押出す(川に出る部分は桟橋構造にする)ことで打開され、東京港第一航路がぎりぎり保たれる見通しがついて、2002年1月、B滑走路に平行で2500Mとする案が成案となりました。
羽田空港の拡張によって成田空港が相対的に地盤沈下するため、羽田の開発に激しく抵抗した千葉県に配慮し、浦安の市街地上空を進入経路から外すために、D滑走路をB滑走路平行から7.5度振った向きに変更する、航空機が下を通る大型船に脅威を与えないよう、滑走路を傾斜させて第一航路側の標高を高くするなど様々の変更を加え、最後に千葉漁協への補償を終えて、2007年5月第4(D)滑走路は1年遅れで着工となりました。(東京側の羽田の周辺では、先のオリンピックの際に既に補償を受入れる形で、漁業権を放棄させられていて、漁協や漁業権そのものが存在しない。)
工事期間中に、神奈川サイドが羽田は国際化しなければ事業費の分担は留保すると言い出し、多方面から羽田の再国際化への圧力が強まったため、羽田は国内線(外国向けは高々近隣止まり)とし、国際線は成田だとしていた国交省もいつしか変節、羽田の再国際化が決まってしまいました。新たに必要となった国際線用のターミナルの敷地は、オキテン後の跡地を召上げるなどして工面されました。(オキテンが計画された当初、移転跡地の地元への返還は200平米程度と予想されていましたが、現状では16平米程度までに縮減され、返還用地は事実上消滅したと言って過言ではありません。)
このように羽田空港の現状は経済合理性至上主義や東京の一極集中に不可欠と考える発想に主導され、後付けで強引に行われたものです。よく目標として比較される韓国の仁川国際空港は、同じように金浦空港が手狭になった折に、ソウルから50キロメートルほど離れた干潟を埋め立てて造られ、2001年に開港しました。4000メートル級の滑走路4本を擁し(全て平行、現行は3本、羽田はA,Cが3000、B,Dは2500)、中央にターミナルや搭乗棟を配置し余裕を持って整然と建設された空港です。仁川国際空港が国際的に高い評価を受けているのは当然で、彼我の優劣の差は歴然ですが、それは日本では成田で失敗した後、(横田、入間、厚木などの軍民共用化の可能性を追求することも含め)早期に首都圏第三空港を作ろうとせず、土壇場になって、あろうことか開発し尽くしたと言われていた羽田に舞い戻ってくるという、信じ難い選択を行っていたからです。
羽田空港の前身は占領軍が物資や人員を輸送するために、大型機が離発着出来る飛行場を必要とし、海老取川以東を強制収容して、突貫工事で作った空軍基地でした。講和条約発効後この空軍基地(既に軍民共用化されていた)の返還を受け、東京国際空港として民間航空の拠点空港としたもので、住宅地や工業地域に密接していて、東京上空や川崎の石油コンビナート上は飛ばないなど、慣行として飛行を制約されてきた空域が広く、オキテン後唯一どちら側にも離発着できるとされているC滑走路も、実際には東京側に離陸した場合には直ちに右旋回しなければならないなど、滑走路の本数の割には窮屈な空港です。
強引な拡張によってD滑走路を作った羽田空港の現状は、滑走路が井桁状の配置となっていて、4滑走路の同時運用に於いて平面的には航路が交錯するという潜在的な危険性を抱えています。さらに国際線ターミナルが井桁の外に作られたため、仮にD滑走路に降りた機体が国際線のエプロンに入る場合にはA滑走路を横断して行くなど、地上を機体がウロウロすることが常態化し、地上で誤動作を誘発し易いという危険性も内包しています。離発着が1分刻みという過酷な条件の中で、管制官が見なければならない箇所や指示する場面が多過ぎ、エンジントラブルによる緊急着陸や突風、バードストライクなど、何か異常が起きた場合に対処しなければならない事項は尋常の範囲を遥かに超えるでしょう。
オキテンの際新規に作った管制塔ではD滑走路が見難いということで、より高い管制塔が新しく作られましたが、管制は基本的には人が行うものです。平時には運用ができていても、それがぎりぎりの状態であれば、有事の際に行いうることの許容範囲は極端に狭められ、いつ危険レベルに陥らないとも限りません。
そんな中2020年の東京オリンピックが決まったことを契機として、東京再開発のプランが出始めていますが、今又「羽田空港の再拡張は出来ないのか」という案が俎上に載りそうな気配があります。
東京港は日本一の荷扱い量を誇る港であり、貨物の99.7%が船舶によって輸入されているというのが実態ですが、この際その機能を千葉港か横浜港に移管し、東京湾の湾奥は空港機能に特化させようという極論が出てくるかも知れませんが、滑走路さえ増やせば離発着便数を増やせられるというのは算数レベルの話であり、滑走路を幾ら増やしても空域が広がる訳ではありませんから、先ず安全性はどう確保されるのかという議論が先行しなければなりません。
JR西日本の福知山線の事故や東電の福島原発の件などを見ると、この国には重大事故が起きても誰も責任を問われないという慣習が定着しつつあるように見えます。現実に悲惨な被害者が出ているのに、そんな重大な事故が起きると想定することは不可抗力であったし、それまでそのような環境状態を認めてきた国民全体の共同責任ではないのかということにされてしまうのです。
羽田空港の再拡張は安全性から考えれば有り得ない暴案ですが、こうした案が公然と出てくる背景には何があるのか、是非とも知りたいと思います。猪瀬都知事は石原前知事とは違うように見えそんなことを言い出すとは思えません。自民党の族議員が暗躍することはあるでしょうが、それだけで物事が動くのでしょうか。今次の安倍内閣で経済財政諮問会議が復活させられましたが、起用された民間議員4名のうち、現役の会社社長2名を除く2名(東大教授と日本総研理事長)はテレビなどへの露出度が高く、偶然と思いますが二人とも第4滑走路が開業する以前に「羽田に第5滑走路を作れ」と唱えてきた人物です。いずれも経済合理主義からの発想で安全面の裏付けについては聞いたことがありません。私には常軌を逸した主張と聞こえますが、こういう無節操な声でもマスコミが好意的に扱っていると、意外に共感者が次々に現れ、それが大きなうねりになっていくケースがあります。国土交通省には航空交通管制部があり、羽田空港の厳しさは誰よりも良く知っている筈ですが、このようなケースで官僚が表立ってものを言うことは難しく、「更なる滑走路の増設など論外である」として一蹴する立場にある国交大臣が素人であることは何とも気掛かりです。
2010年10月第4滑走路が開業した時、マスコミの多くは桟橋方式で滑走路を実現した技術力を称賛し、東京はすごく便利になったと羽田の拡張や国際化を喜び、世界に類を見ないなどと大はしゃぎでした。羽田は便利だ、もっとやれという声が通るかもしれない地合が無いとは言えません。しかしマスコミは火のない所に煙を立てることは出来ず、誰かが火を燻らせ始めるのです。それが誰なのか、現に検討プランに組み入れられそうなのは、どういう経路でそうなってきているのか、真相をご存知の方がいれば、是非その正体を教えて欲しいと思います。
お礼
pooh26 様 コメント、ありがとうございます。 計画経路の中央位置は国土交通省が説明し今も公開している南風時の新飛行経路図においてやや太い道路の曲がり角横の位置を読み取りその住所を確認しました。 この地点と当方関連建物との距離(130m程度)は、地図上で測定しました。 当方関連建物の真上を飛んでいることは目視で確認しています。 また少し離れた処でもこの実際の経路は確認しました。 一方、当方関連建物より西側へ離れた処(計画経路の中央位置付近やさらに西側)の上空を飛行していることもあります。 この飛行についても、当方関連建物の屋上や地上の複数地点から確認しています。 地上では、幅員が4mの路地や両側に中層ビルが並ぶ幅員10mの道路等複数個所(計画経路の延長上の地点、そこから東西方向へ離れた地点とその南側の地点)において、その真上や南側の上空を飛び飛行機の経路を周囲の中層ビル等との相対位置も含め何度も確認しています。 このため、確認している実際の経路の平面的位置(東西方向)が100m程ずれていることはないと思います。