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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:体罰を受けた、与えたという経験は有りますか。)

体罰の程度について、どう思いますか?

からあげ ミームン(@marc2bolanti)の回答

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回答No.19

今晩は、先づ自分の体験申し上げる前に、ご参考までに前近代の教育事情を挙げときましょうか、御判断は其れからでも結構かと存じます 📘 此処に, 渡辺京二著『逝きし世の面影(”99年』という, 江戸~明治期に来日した欧米人が見た日本” の印象纏めた名著が有りますが、 どうも…江戸時代までは、あまり子供に体罰を科さなかった様なんです❣️ https://blog.goo.ne.jp/higa58/e/82ccbdaab02b08a8cd8e977b8855249e 各章の簡潔な紹介 : 第10章 子供の楽園by英国公使オールコック. ご参照 [ ムチ打たない。言葉で叱るだけ。…女子も含め、春画などから隔離されてない(*^^*)。/大人の世界から隔離すべき“純真な子ども”という観念もない。〕 http://yamakoshikansuke.blog.fc2.com/blog-entry-1263.html?sp 抜粋引用、写真の大人達も麗しく子供達は可愛らしい。 著者は、柄谷行人のエポックを画した「日本近代文学の起源」も当然念頭に置いてますね、各国語に翻訳された名著です、 http://www.arsvi.com/b1900/8001kk.htm 児童の発見〕の章に書かれてますが、学校制度が始まる前は、子供は小さな大人として扱われたそうです、働いてた子供も多かったし、大人社会の分別はついてたのでしょう、寺子屋に通ってたとしても…。だから不正を働けば何らかの処罰もされうる。体罰とは別の。 ●体罰が学校や家庭に入り込んだのは、軍事制度に倣ってだと思われます。~伝統の教育だと思い込まされて来ましたが、明治以降のものが実に多いですね。 正座とかもそう!、武家でも正座は江戸後期からでしょう ⁉︎、戦国に正座なんかしてたら即座に戦えませんから❗️、それ以前は胡座が正式ですね、奥方もそう、信玄の奥方も胡座で肩脱ぎの肖像画が有る… http://www7.plala.or.jp/juraian/jpnrep.htm 欧米から見た日本 ( 目次の人物名をクリックして頂ければ、該当記事に飛びます.) ⚫︎フランソア・カロン東インド会社長.「彼らは子供を注意深く、柔和に養育する。…打擲することは殆ど、或いは決して無い。」 ⚫︎C・P・ツュンベリー(高橋文訳)『江戸参府随行記』 「子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船でも子供を打つ、叩く、殴るといったことは殆ど無かった。」 ⚫︎大森貝塚発掘の, E・S・モース 「日本は子供達の天国だという…子供達は親切に取扱われるばかりでなく、他の何れの国よりも多くの自由を持ち、その自由を濫用することはより少なく…」 ⚫︎イザベラ・バード『日本紀行』~「此れほど自分の子供たちを可愛がる人々を見た事有りません。…他人の子供に対しても其れ相応に可愛がり世話焼きます」 / 如何でしょう、誰しも思い当たる節が御座いませんか?、その良き伝統は廃れても、綿々と時代劇~小津映画とかに受け継がれたか⁉️、例えば、阪妻さんの人情映画の名作 🍂狐の呉れた赤ん坊』S20年),此処でも子供は可愛がられてました http://blog.livedoor.jp/hanahenro1973/archives/12590690.html ~ 津川雅彦は確かに小さな大人だ、平気で生意気。現代の感覚で見ちゃイケナイのですね⁉︎ (動画は無し ~勿論、折檻する親方も居たでしょうが、我々が想像してきたより遥かに少ないのかも…、麗しい養育法が面倒で体罰に走ったというより、学校制度の強制力なんですね ~あと、子供は世間の皆で育てた。核家族化した時勢では母親の負担が大き過ぎ❗️、ですから私見では軽い体罰は容認されて然るべきとも思いますが迷う処で 他に良い教え諭しが有ればねぇ、、昔は方便として例えば各町の御堂に、地獄絵が有って絶大な効果発揮したと云う…、父母の世代迄はそうだったと聞きます、👹閻魔様は実在で。~坊さんの講釈も巧かったのでしょう。 ~長くなりましたので私の体験は間に合えば又明日にでも…では。

5mm2
質問者

お礼

marc2さん、こんばんは。 面白い資料をありがとうございます。 僕は幼いころから本を読む習慣があまり無かったので、このようなことは殆ど知らなったったですね。 最近ようやく、動画などでもちらほら見ることができますが、実に面白く、驚くことも多いですね。 特に子どもの躾については、今回初めて知った内容でした。 そういえば、映画「IF」も面白い映画でしたが、慣習化されている教師による生徒への体罰も、かなりクローズアップされていたと思います。 https://youtu.be/bz41QZmkh94 この映画に限らず欧米の映画では、鞭による体罰はよく出てきますね。 それに引き替え、江戸時代の映画では、あのようなきつい子どもへの体罰は見た記憶が無いですね。 童話も、日本の物は「めでたしめでたし」で終わりますが、あちら物は赤ずきんのようなかわいそうな終わり方が多いように思います。 一説では、世の中には怖くて危険なものが多いから気を付けてということらしいですが、日本も近代化とともに、注意するが叱るに、叱るが怒るから体罰になったのかも知れませんね。 たけしの「赤信号みんなで渡れば怖くない」のような大らかな時代であれば、もっと大らかに育てられたのかも知れませんね。 今では車以外に、誘拐や危険薬物など危険なものが溢れてますから、一人っ子などは目が離せません。 ただ、躾以外の体罰は何なんでしょうね。 やはり、親になる人への躾が良くなかったのか、みんなが大らかでいられなくなった、近代化による貧富の差が原因なのでしょうか。 ありがとうございました。

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