• ベストアンサー

子育てにおいて、子どもを叩きますか?

宜しくお願い致します。 児童虐待の研究をしております。 そこで問題となるのが、躾としての体罰と虐待との境界です。 境界が明らかでない事、家庭内の問題に他人が口出ししにくい日本独特の文化のせいで不幸な結果に至る事が多いと考えています。 そこで皆さまがどのような方針で育児をされているのか、率直な意見をお聞きしたいと思います。(アンケートではありませんのでご安心ください) お聞きしたい内容としては、 (1)育児の際に体罰を与えているか。 YESの方は (2)子どもの躾に体罰は必要と考えあえて行っているのか。 (3)手をあげたくないのに、つい手が出てしまうのか否か。 (4)ご自身が子ども時代に手を挙げられて育ちましたか? (5)子育てのストレスを感じていらっしゃいますか? NOの方 (6)体罰を与えない理由をお聞かせ下さい。 ここで体罰の是非を議論するつもりはありません。皆様の意見を幅広くお聞きしたいと考えております。 どうぞ宜しくお願いします。

  • 育児
  • 回答数7
  • ありがとう数6

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#89964
noname#89964
回答No.2

(1)  いいえ (6) ・体罰をしないと育児は失敗する、というような事例をきかないから。 ・言葉や表情で子どもに訴えかけるという手段で日々足りていて、親にストレスはないから。 ・親子で話し合いわかり合って丸くおさまるのが通例なので、体罰が登場する場面はないから。

ayaayahana
質問者

お礼

とても参考になりました。 どうもありがとうございました。

その他の回答 (6)

  • harusasu
  • ベストアンサー率17% (13/76)
回答No.7

2歳10ヵ月の息子を持つ母親です。 気になったので、答えてみます(^-^)] 1)体罰はしません 6)子供はおしゃべりできない時から、両親間の会話を聞いて日本語を習得しています。要は、話せるようになる時までの間に、例え話さなくても頭で理解できています。体罰を与えなくても、言葉で理解できます。分かっていて悪さをするのは、好奇心が強いからと思っています。 体罰でおりこうさんになっても、痛いからそれはしてはダメなんて思って育ったら、親の見ていないところで何をするか分かりません。 体罰はきっと親の一瞬の感情をそのままぶつけている、躾か虐待かなんて、行ってる本人は絶対に分からないと思います。 子供は親が思う以上に理解しています。 と私は思って体罰なしの育児をしています。

ayaayahana
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 確かに子どもは分かっていないようであっても実際は良く分かっている場合がありますね。 私も幼い時、大人同士の会話を理解しているのに、子どもだから分かっていないふりをしていた事を思い出しました。 子どもの好奇心を「いたずら」、第1反抗期を「わがまま」と捉えて子どもを罰するケースは本当に多いと思います。 私自身子ども時代叩かれてばかりいたので(理由が分からない事が多かった)、何がいい事で何が悪い事か良く分かりませんでした。 親に怒られないように行動するのが精一杯でした。(それもどうすればいいのか良く分からず、顔色を伺うくらいでしょうか…) harusasu様はポリシーを持って育児されているのですね。 とても明解な回答ありがとうございます。 嬉しいです。

  • genki-mama
  • ベストアンサー率26% (334/1267)
回答No.6

再度こんにちは。おっしゃること痛いほどよくわかります。良いお友達をお持ちですね、簡潔明瞭に逆のことをするだけ。アッパレですね、素敵だわ・・。親になって余計に親がわからない・怒りを感じる。そうおっしゃる方、ここでの質問にもチョクチョクお見かけしますが、私も正直に言って全く同感です。  人生歩いていると、色んな方の人生に触れることがありますが、ああ大変なんだな、とどれだけ気の毒に思っても、実際に体験した人とそうでない人とは大きな違いがありますよね・・例えば発達障害の子を育てる苦労・・(うちにも)。どれだけ体験談を聞いても、読んでも、近所に居て見聞きしてても、実際に24時間・育児した人ほどには理解できない『何か』がある・・・気がします。たかが旅行でさえ、どれだけ映像や資料で知識を入れても、実際に行ったかどうかでは大違いなのと同じかな・・と。 ですから、戦争で大変だったんだろうな。というのは想像できますが、やはり私達がどれだけ戦争資料を洗いざらい掘り起こしても、未体験という意味で、『理解し難いぐらいの 体験しないと分からないスゴイ大変さ』があったのだろう・・とわたくしは受け止めております。それ以上追求しても、やはり無理なのかな・・、と。ですから、せめて「戦争はもう二度としないで」と生存者が声を高らかに挙げるその想いを、真摯に引き継いで行くのが、私達子孫の勤めなかもしれない、と。 欧米との、虐待防止法の甘さの違いもよくわかります。確かにニッポンは甘いですね・・。でも厳しくできない日本の現状。これが今のところ目一杯なのでしょうね。欧米ではとっくに当たり前のカーシートの義務化でさえ、日本では最近なのですから。・・とにかく戦後 経済で欧米に追いつくのに必死で、そういう部分で法の粗が目立つといいますか・・。まだまだニッポンはこれからなんだな・・と思います。 叩くケースは『言葉で言ってもわからない・でもどうしても止めてもらわないと困る場面だから』『とっさに静止するのに必要だったから』『一度も叩かれないで育った子にロクなのが居ないから必要だと思っているから』などが挙げられますね。手を挙げない親も観察していると、育児や子どもや自子そのものに「無関心」なケースが案外多くみられること。ネグレクト気味のケースが多いです。体罰体験があるから、自分の子には絶対にしないのだ、といって理性で抑える体罰ゼロの方は少数派です。自分で育てると親と同じこと(体罰)をしそうだから・・と保育園などの長時間保育で他人の手に育児をゆだね、仕事を持ち、意識して別の方向へ心を向けている方もあります。実際の過去の調査結果においても、専業主婦と仕事持ちの母親の意識調査で、仕事を持つ母親の方が、育児ストレスも少なく、子供に対しての愛情も豊かで、子供に対して悪いなあと思っていることが少なく(これが意外でしょ?)、体罰も少ないとあります。活き活きと心豊かに過ごせている証拠ではないでしょうか。 母親が活き活きと過ごすことの大切さ。母の笑顔が家庭の太陽だと言われますが、本当にその通りだと感じています。母親の母親は・・そしてその母親は・・・次々とさかのぼって考えると、やはり日本の強い男尊女卑・そして戦争などが切っても切れないのだと感じます。チェンジ。日本こそ必要な言葉なのだと思います。日本に女性総理大臣が当たり前に誕生する日はくるのかな・・(笑)。

  • genki-mama
  • ベストアンサー率26% (334/1267)
回答No.5

 アナタ御自身が実際に親になって自子を育児するのが一番よく理解できると思いますが、親も様々、子も様々、そして育児をする環境も様々・・なのですよ。 親が体罰を受けて育った。子供を叱るときは叩くモンだ、と認識しているケースもあるでしょう。とっさに思わず親と同じ事を。というケースもあるでしょう。 そして、子供も性格色々です。粘り強く親が説明して『分かってくれる』子もあるでしょうし、『言えども 言えども・・』分からない子も居ます。仕方なく、サーカスで躾けるような動物的な対応(つまり体罰)を取らざるを得ないケースもあります。体罰を軽蔑し・頭から全否定する方も世の中にはありますが、一概に悪い行為と言い切れないのが現実です。何せ、人間社会の中で生活しつつ、なのですから。人間社会のルールを守らない場合はどうしても修正する必要がありますからね。放置すれば、それこそ親の責任問題になりかねません。親は何をやってんだ!?と。 子供側から見ると、理不尽な体罰を受けた、と思い込んで根に持っているのかも知れません。だからこそ、『親になって知る親の心』ですよ・・。 日本の育児は確かに大変です。とくに母親は。妻も母も家政婦もすべて兼任ですからね・・。ああ、あの時母親はこういう状況だったんだな、と察することができる日がくると思いますよ。 そして、私見ですがこれも付け加えておきましょう。 日本は親や祖父母の代に戦争をしています。子供の教育的配慮なども置き去りでした。とにかく食う・生きのびる・のが精一杯。そんな状況下で育児をし、子供がダダをこねたら根気強く言い聞かせられたでしょうか。空腹と爆撃などの不安で親自身も一杯一杯だった時に。まず無理だっただろうと想像できますね。そしてそうやって不満足・不安定な状況下で生育した子供が成人し親になり、理想の正しい育児が出来たでしょうか。やはり無理だっただろうと想像できますね。負の連鎖なのだと思います。戦争の爪あとは、まだまだ転がっているのだと。

ayaayahana
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。長女は生後退院後から1歳半まで昼も夜も泣きっぱなし… 生後1週間ぐらいの時に思わず「うるさい」と怒鳴ったところ、火がついたように更に泣きだし、無駄な事を言ったなと思いました。 結局毎日夜もあやしながらソファーでうとうとするだけで、朝から仕事に行くという毎日でした。 次女は発達障害を抱えていました。(診断を受けたのは小学校入学後ですが)そのせいで1歳前後にはかなりの風変わり、こだわり・自分の思い通りにならないと何時間も泣き叫ぶ、返事をしないetc… 我儘と誤解される事は多々。 小学校時代は不登校もありました。 学校に行けないときは、余程しんどいだろうなと思い、一定のルールを作り休ませ、明るい不登校を目指してやってきました。 しかし夫や両親・義両親からは「母親が甘やかしているから…」と言われました。 育児に対して理想を掲げるつもりはありません。 私の親は戦後苦労したまま大人になり、自分が出来なかった事を子どもにさせてあげたいと思っているうちに、子どもに対する他者の評価が自分自身の評価となってしまったのだと思います。 生活や自分自身にゆとりがなく、手や暴言が出ていたのだと理解しています。 また私自身が育てやすい子どもではなかったかと思います。 同じように親から暴力や暴言を受けて育った友人が、私より先に子どもを産み、「子育てなんて簡単。自分が親からされた事の反対の事をすればいいだけ」と言い、育児を楽しんでいたのが参考になりました。 体罰の世代間連鎖を断ち切れる場合とそうでないケースは、思春期の友人関係にも関連すると思います。 確かに子どもに対して「言い聞かす」だけでは不十分な事は多々あると思います。 しかし、子どもの取る行動の意味を理解した上でその対応をとれば、体罰に頼らない子育ては可能ではないでしょうか。 日本の「児童虐待防止法」は、改正がなされているとはいえ、欧米諸国に比べ不足している点が多々あると思います。 それもおっしゃられてるように戦争の爪痕や、日本文化の影響を受けているせいではないかと考えております。 体罰が善か否か。 その答えを求めているのではなく、どのような時に体罰を行う必要又は事情があって行っているのか、私には分からないので皆様に教えて頂きたいと思って質問致しました。

ayaayahana
質問者

補足

一応私は二人の子どもの親です。(もう子どもは大きいですが…) 子どもを育てながら、仕事をしながら大学・大学院へと通いました。 当然様々な苦労はしてきました。 しかし不思議と育児そのもののストレスは感じませんでした。 >『親になって知る親の心』 一般的にはそうでしょうね。 でもうちの場合は全く逆でした。 親になってから実親に対する怒りが大きくなりました。 私の子どもに対しても支配的態度を取ろうとし、叱責や思い通りの結果を残せない事に対して(子どもは精一杯頑張っているにも関わらず)「あんな子は知らん。期待して損をした」等と言われた等で疲れ果てました。

  • cham_poo
  • ベストアンサー率38% (74/190)
回答No.4

(1) いいえ (6) 親の体罰が悪い見本となり「悪いことをした子には叩いてもよい」という認識を持たせては困るから。 結果、よその子や下の子をすぐに叩く、という行動に出る恐れがあるから。 ただ、成長するにつれて「愛のムチ」として、例外な場面も有り得るとは思っています。

ayaayahana
質問者

お礼

とても説得力のあるご回答ありがとうございました。 「叩く」という行為は普通ではない(他に方法がある)と教える見本になるのでしょうね。 普通の事でないからこそ「愛のムチ」も効果があるのでしょうね。

  • eiji5620
  • ベストアンサー率14% (78/538)
回答No.3

やはりアンケートですからアンケートカテゴリーでしてください、ここは育児の悩みや相談を聞くカテゴリーで体罰などをどう思うか聞くカテゴリーではありません 運営スタッフに連絡しカテゴリー変更を要求してくださいこのままアンケートカテゴリーで集計できます. サイトのネチケットを守って正しいカテゴリーを利用しましょう、トラブルの原因です.

ayaayahana
質問者

補足

誤解を招く質問をして申し訳ありません。 実は私自身親から叩かれて育ち、その事については自分自身で消化しているつもりでおりました。 仕事上では自分の体験と全く切り離して考えられていましたが、最近このカテゴリーの中で、叩く・叩かないの質問回答をしばしば見ているうちに、自分の昔の体験がよみがえるようになりました。 また私自身の子育てにおいても、子どもを叱らない主義(他人に迷惑をかけていない事に関して)の事で、他のお母さん方から批難される事が多々ありました。 もう一度自分自身の体験を消化するために、皆様の意見をお聞かせ願いたいと思い質問致しました。 研究とは全く別のもので、アンケートとして集計するつもりもありません。 詳しく書かない方が色々な意見が聞けるかと思い、あえて書きませんでしたが、誤解を招きかねない質問の仕方であった事を反省致します。

noname#155097
noname#155097
回答No.1

>(1)育児の際に体罰を与えているか。 YES (2)子どもの躾に体罰は必要と考えあえて行っているのか。 必要と考えています。 (3)手をあげたくないのに、つい手が出てしまうのか否か。 それは体罰とはいいません。そういう時もありますけど。 (4)ご自身が子ども時代に手を挙げられて育ちましたか? 親から手を出された記憶はありません。 (あったかなかったかも未確認) (5)子育てのストレスを感じていらっしゃいますか? もちろん。

ayaayahana
質問者

お礼

貴重なご意見どうもありがとうございました。

関連するQ&A

  • しつけと体罰の境目は、一体どこにあるでしょう?

    学校の先生にしても親にしても、よく体罰が取り上げられます。 ですが、いざ問題となったら“しつけのつもりだった”と言います。 さて、昔は学校で悪戯をしたら、先生の鉄拳やビンタが飛んできました。 なぜかといったら、悪さをしたから。鉄拳やビンタは、その悪さを直す「しつけ」です。 ですが、今では「体罰」と言って問題となります。 そこでこのしつけと体罰ですが、その境目はどこでしょうか? “これはしつけだよ、これは体罰だよ”と判定する根拠はどこにあるのでしょうか? 子供にアザらしきものがあったら(子供がどんなに悪さをしていても)体罰?、子供が痛がること・いやがることをしたら体罰?、街中で子供を殴って叱っていたら体罰?、しつけによって、子供が精神的傷を負ったら体罰? しつけか体罰かは、見た人や子供本人の主観的判断が働いていると思いますが、どうでしょうか?与える側と与えられる側のそういう「かい離」は、仕方ないことでしょうか? しつけも度を超すと体罰になると思いますが、そこの境界が知りたいです。 しつけで子供が直らなかったら、だんだん「体罰化」せざるを得ない? 逆を言うと、しつけで済むにはどんな方法があるのでしょうか? 一番知りたいのは、今時の子供を叱るにはどうしたらいいのでしょうか?「体罰=悪」のように語られていますが、果たしてそうでしょうか? ちなみに、私は子を持つ父親ではありません。 皆さんが感じている「しつけと体罰」について、見解をお教え下さい。

  • しつけと虐待の境界線

    今虐待について調べているのですが そこで思ったのが、  「しつけと虐待の境界線」はどこ・どのようなことなのだろうか。 皆さんの意見を聞きたいので、よろしくお願いします。

  • 手加減が分からない子供達の責任(長文です)

    昔と今は違います。 自分が小さい頃は、親や教師から悪い事をすれば、ぶん殴られるのが普通でした。 今では、速攻「虐待」や「体罰でPTA問題」となりますよね。 でも、殴られなければ分からない事ってあると思いませんか? いつぞやのTV番組で、「体罰賛成派」と「体罰反対派」に別れて討論している番組を見ました。 「体罰賛成派」は、自らが「虐待ではない体罰を受けた」人達が多く、そのおかげで、痛みを知る事ができ、手加減も出来る、と言っていました。 「体罰反対派」は、どんな理由があろうと、暴力は暴力。 ちゃんと話をすれば、暴力は使わずとも、相手を必ず理解させる事は出来る、と言っていました。 自分には、どちらも納得が出来る事です。 ただ、一つ、反対派で納得がいかない所があります。 「ちゃんと話をすれば」とは、その子供の親であればとことん話に付き合ってあげる事も出来るでしょうが、その他の人にも「それを強制する」と言う事でしょうか? 「ちゃんと話をすれば分かる」とは、逆に言いかえれば「ちゃんと話をしなければ分からない」とも取れないでしょうか? そもそも「ちゃんと話す」の「ちゃんと」とは、誰の基準なんですかね?親?子供? そこから間違ってるような気がしませんか? 人間の「喜怒哀楽」の感情の表現の仕方は、人それぞれです。 自分の親が、自分がどんなに悪い事をしても殴ったり叩いたりしない人であれば、子供は「みなそうだ」と勘違いしたりはしないのですかね? どんなに規制を厳しくしても、どんな教え方をしても、先日の中学生の事件のような事は、この先も起こるのだと思います。 自分が幼い頃、親からぶん殴られていた時、「怒っている」とは感じても「楽しんでいる」と感じた事はありません。 親や教師の暴力を進める訳ではありませんが、親や教師が、子供に「暴力の使い方」を教えるのも、しつけの一環ではないかと、自分は思うのです。 それが、子供に取っても、「自分の命」や「他人の命」を守る事につながるのではないか?と思うのですが、みなさんはどうお考えでしょう? 改めて申し上げますが、暴力を推進している訳ではありません。 ただ、どんな状況でも「暴力は絶対にいけない」と押し付けるのはどうか?と思った質問です。

  • 虐待防止のために、体罰禁止の育児について

    「虐待で犠牲になる子どもをなくすためには、体罰を禁止するしかない」 大学の講義で児童福祉などの研究に携わっている男性の先生が仰った言葉です。 虐待で亡くなる子どもが救えない、その原因の一つは躾と虐待の線引きができないことだ、 と先生は仰っていました。 傍から見たらひどい暴力を受けているように見えても、その両親が「躾」と言い張ったり、 周りの人が「ひどいように見えるけど、あれが躾だったら…」と思い、通報する手を止めてしまったりで、犠牲になる子どもが多いようです。 子どもはペットじゃないんだから、叩かなくても、時間をかけて言葉で伝えたら分かってくれる、 線引きのできない体罰を放っておいたらまた子どもが犠牲になるから、 子どもに手を上げない育児(軽く小突くことも禁止)をすることがベストだと。 私がそのことを母親に話したら、その話に賛同とは言い難い表情で 「その先生にはお子さんはいるの?」と聞いてきました。 先生には成人している3人の男の子がいらっしゃるようで、叩かない育児をしてきたらしいです。 ただ、次男が中学生の時、たくさんの人に迷惑がかかるようなことをしておきながら反省の色が全く無い態度だったときにその次男をひっぱたそうです。 先生が子どもに手を挙げたのはそれが最初で最後のことだったようで、 先生はそのときのことをとても後悔しているし、とても悲しかった、と振り返っています。 一度も叩かれずに育った、あるいは1回だけ叩かれた先生のお子さんたちは、 自分が叩かれる痛みを知らないから、人を叩けない、喧嘩ができない人に育ったらしいです。 子どもを叩く、という行為はそれと同時に「場合によっては人を叩いていいんだよ」と子どもに教えているんだ、先生は仰いました。だから私たちが好きな人と結婚して、子どもを授かった時はそのことを思い出してほしい、と。 私の両親は躾には甘い方ですが、それでも私が小さい時は普通に叩かれることはありました。だけど、どうしてそれをしたら悪いのか、それをしたらどんな人が困るのか、どんな人が悲しむのかを時間をかけて言葉でも伝えてくれました。 私は学生で、親ではありませんが、もし自分に子どもがいたら絶対に叩くなんてことをしたくないし、 みなさんもそうだと思います。でも人間は感情の生き物です。先生の次男さんのような場合のことがわが子にあてはまったら思わず叩いてしまうと思います。 つまり私の意見は、先生の意見には賛成ですが、本当に叩かずを貫けるかは自信がありません。 でも先生のように、私の両親のように叩いて叱るのではなく、時間をかけて言葉で諭す、そんな親になりたいと思っています。 私がみなさんにお聞きしたいことは、 1、「叩かない育児」に賛成か、反対か。(理由も添えていただけると幸いです) ということと 2、よくテレビで「親にも殴られたことないのに!」というセリフを聞きます。本当にそんな人はいるのでしょうか。(実際先生のお子さんがそうですが) この2つです。ここまでお読み下さりありがとうございます。 回答よろしく願いします。

  • 躾と虐待の境界線あるいは違いについて。

    たまにネットで議論されます、躾と虐待問題です。 殴る行為をせず、言葉だけで子どもは成長出来る!っと言う人と悪いことをした時にダメだと殴った方が物分りが良い。と言う意見の人達がいます。 そこで質問です。 僕は子どもの物分りが悪く、悪いことをした時だけ殴ることは良いと思います。 理由としてまず、人を殴ったりした時に殴られたらどれだけ痛いのかと学ばせることが出来ると思います。 2つ目、悪いことをした時に殴ったらこれをやったらダメだと子どもは言葉よりも理解すると思います。 3つ目、まず、そもそも言葉だけで子どもを悪い方向に進ませず、成長させることが出来るのならみんなやっています。ですが、出来ていない現状です。それはやはり、言葉よりも殴る方が効果があるということでは? そして殴ると言った愛のある躾でも限度はあります。 青タンが出来たり、血を流させるまでいったらやり過ぎです。 せいぜい、お尻を叩くか頬っぺを叩くくらいが躾としての限度だと思います。 躾=虐待だと感じている方がいましたら、回答で意見を述べてくださることを願います。 この質問が議論喚起と言う文章に触れるか分かりませんが、さすがに触れないと思いたい。。。

  • 体罰

    体罰については十分な議論があると思います。 少しは有意義な議論をしたいものです。 いろいろな意味の日本人の幼稚化は問題視されています。 諸外国の体罰はどうなんですか?日本以外も体罰禁止してますかね? 体罰がないと子供が言うこと聞かないのではないか?大人をなめるのではないか? どうすれば体罰にみんながけちをつけない社会になるのだろうか? 体罰を堂堂と行って保護者がけちつけない学校は日本にあるのか? ご意見お願いします。

  •  欧米での子供のしつけに関する質問です

     アメリカやヨーロッパでは公共の場で騒ぐ子供は問題視されるが、かといって人前で子供を大声で(頭ごなしに)叱り付けるだけでも虐待だと思われ、ましてや人前で(拳骨などの)体罰や強烈な言葉による罵りは問題外という人もいるようですが、実際はどうなのでしょうか? (ただし欧米では家庭内でのしつけは厳しいらしく、また日本国内でも公共の場で騒ぐ子供はモラルを問われると思いますが)

  • 育児のイライラについて…

    育児のイライラについて… 1歳の息子のことでしょっちゅうイライラしてしまいます。同居のストレスを子供に八つ当たりもあると思います…。時には「ダメ!」っておしりや手を叩いたりもしてしまいす。これはしつけの範囲に入るのでしょうか。虐待になるのでしょうか。 最近はご飯にもかなり食べムラがあるし、口に入れてあげるとそれを出してまた手で入れる…みたいな事もよくあり、離乳食の度にイライラしてしまいます。時期的なものもあると思いつつも手が出てしまったり… みなさんも育児でこんなにイライラするものなのでしょうか。こういうのが育児ノイローゼと言うのでしょうか?また、育児ノイローゼになった場合はどういう治療をするのでしょうか… 相談所に行ってみようかなとも思いましたがなかなか足が進まず…みなさんの意見聞かせてください。

  • 虐待と体罰の違いを教えてください

    私は小学生のときと中学生のとき、両親から体罰を受けていました。 高校になった今、手を出されることはありません。 それはひとえに体罰の原因が私が叱られても仕方ないようなことをしていたのが、ほぼなくなったためです。 最後に体罰を受けたのは中学1年のときです。 両親はより良い勉強する環境をつくるために私を小学校から私立にいれていました。 父のお給料はとてもいいとは言えず、いつも学費で家計は火の車でしたが、私はそれでも成績は普通だったのであまり勉強をせずゲームばかりしていました。 それを見かねた父は無言で私のゲーム機を取り上げて折り、体罰をしました。 今までも体罰の原因はほとんど私が勉強しないことにありました。 単に勉強しない娘を叱るならばゲーム機を折って叱咤するだけでも十分インパクトがありますが、父は今までの度々の体罰でも私が懲りないと思っているのかなとも思いましたし、(私自身は体罰によって親も勉強も嫌になってしまったのでむしろ逆効果だったのですが) 確実に原因をつくった私が悪いことは今ではきちんと自覚しています。 しかしその体罰は、中学生女子には少し堪えました。そのときの体罰がそれまででいちばん痛かったのをよく覚えています。 (具体的にはお腹を何度も踏みつけられるなど。ジャンプまでされて勢いがあったので余計いたかったです(笑)その他はオーソドックスに手や物で頭を殴られるなど、軽いものです) それでも、今思えば父が怒っても仕方のないことだと思います。 今まで虐待と体罰の違いは原因が子どもにあるかないかだと思っていましたが、よく虐待について考えると、例え子どものほうに原因があっても親のしつけとしての暴力がいきすぎているなど、様々なケースがあることに気づきました。 そしてもしかしたら、私は虐待されていたのかもしれないとも思いました。 少しだけトラウマのようにになった経験もあります。 そこで質問です。 個人的にもいろいろと調べましたが、私の悪い頭では体罰と虐待の違いは明確にはわかりませんでした。 皆さんの見解をどうかお聞かせください。 そして確実に原因が自分にある私のケースですが、皆さんはこれを虐待と体罰、どちらだととらえますか? 私自身はしつけは必要なものだと思います。 しかし麻痺しているので同じことを自分が他人にしてしまうかもしれないと思うと少しこわいのです。

  • 子供のしつけ

    息子は三歳で自我の芽生えは喜ばしい事ではありますが、駅前やバスの車内で泣きわめく反っくり返るなどとても手に負えない感じです。 子供に毅然とした態度でしかりたいのですが公共のしかも人混みでまだ幼い子供をしかる事がやり過ぎと今は何でもヒステリーだ虐待だと結びつける所もあるので、そんな事を考え家庭の様にはできなくてもどかしく思います。 この様な子供を見て、子供のいるいない問わずに社会では現在の親のしつけについて捕らえているのかあらゆる面での意見を聞きたいと思いました。 多くの意見を聞きたいのですが、特に子育てを一段落した年輩の方の意見を聞きたいと思います。 今日は相談できるところが無かったので電話の無料育児相談で大部落ち着いたのですが、イライラとした気分で過ごす自分が嫌です。私の理想は常に笑顔でしかる時は毅然とした態度で・・という母親が理想だったのに実際は思う様にいかないので行き詰まっています。