現代の統辞論・意味論についての問いです

このQ&Aのポイント
  • 意味構造プロパーと統語構造の関係についての論争は続いています
  • 一部の研究では、意味構造プロパーを超えた概念装置が存在すると主張されています
  • 統辞論と意味論が連携し、文法の創造性を真に記述することが求められています
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現代の統辞論・意味論についての問いです。

現代の統辞論で、次のものは有りますでしょうか。: 1.意味構造プロパーという入力に起因する出力でしかない統語構造を、意味構造プロパー論の前提としてい「ない」もの。 2.その意味構造プロパー論の内の動詞句論に、力 一般、応力、慣性力などだけでカバー出来るものを超えた概念装置を含むもの。 3.文法の創造性を真に記述・説明するもの。つまり、意味構造プロパーは適格ではあるが、統語構造は不適格で、「非文法的ないしは半文法的な」文、の創造を記述・説明できるもの。なお、そのような文には、次の階層があるのではないでしょうか。: (1)文法(語法)混交文(関口存男の「倒錯構文(略称: 錯構)」) ⊃ (2)破格構文(関口の「移轍文」) ⊃ (3)等位節・従位節混成文 ⊃ (4)半間接話法文章(テクスト・談話)の文ども ⊃ (5)clipped style 文 (3)の例は、Todd Walton: "Inside Moves" (Pharos Editions, reprint edition, 2013), p. 1 の冒頭の第2文です。 (5)の例は、Conrad の小説などにあります。

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回答No.2

言語学が意味と形式の対応を科学する学問である以上、形式(統語)を前提としない、ということ自体があり得ない。 意味と形式(統語)は独立していると考える理論は多いが、それでも最終的には対応させなければならない。 だから、対応させられるような統語論・意味論でなければならない。 認知言語学・認知文法では、形式は意味に依存すると考えるが、形式化できない意味、統語的に実現されない意味は、扱いようが無い。 では含意(implicature)はどうか。 これは表に現れていないので、話し手・聞き手の脳内にしかない。 これは統語を前提としない意味か? いや、含意の内容自体を明示することは可能だ。 (今の段階で)できないのは、推論過程の明示化。 そう考えると、統語を前提としない意味論というのは、言語学としては、「売ることを前提としないスーパー」のようなものだ。 哲学や数理論理学・形式意味論(Montague Grammarのような)なら可能かもしれないが、少なくとも言語理論ではない。 統語論が形式を扱う以上、機械論的な側面は避けがたい。 構文文法のように、すべてを単語と同じように扱うのであれば、機械論的側面はかなり軽減されるだろう。 しかし、ゼロにはならない。 統語が数学的計算能力と同じ認知システムであるとするならば、そして、微分や積分ができたからといって、自然淘汰にあらがえるわけでもないのに進化の偶然によって手に入れてしまった能力なのだとしたら、つまり、統語と四則演算が同根であるならば、機械論的側面を無視することは、百害あって一利なしではないか。 いやまあ、仮説に想像を重ねただけではそれこそ無意味かもしれないが。

kimko_379
質問者

お礼

またまた誠に有難う御座いました。

kimko_379
質問者

補足

 「Wolfgang Wildgen: "The Catastrophe-Theoretic Semantics" の後継理論」、つまり、「形式意味論(ただの記号計算主義の記号列形式論)の如き『意味』形式を含む統語形式には関わらない、概念幾何学的なイメージ・図形の形式を扱う意味論プロパ」は有りませんでしょうか。

その他の回答 (1)

回答No.1

よく理解できないまま回答いたしますので、誤解がありましたらご指摘ください。 >1.統語構造を、意味構造プロパー論の前提としてい「ない」もの。 これは意味論であって、統辞論ではありませんね。 あえて言えば、記号論理学でしょうか。 統語構造とは独立して、意味の表示をしようとしているので。 >2.その意味構造プロパー論の内の動詞句論に、 >力一般、応力、慣性力などだけでカバー出来るものを超えた >概念装置を含むもの。 「意味構造プロパー論の内の動詞句論」というのが、私の理解を超えます。 「意味論の動詞句論」というのが、私には「魚屋で作っている牛肉」と同じくらい、矛盾と選択制限違反の入り交じった表現です。 「動詞句の意味論」というなら、かろうじて分かりますけど。 「力」+アルファというだけなら、ラネカーやタルミーが思い浮かびますが、そういうことではないんですよね? >3.文法の創造性を真に記述・説明するもの。 それはあらゆる文法理論が目指していて、未だ達成できていない夢でしょう。 森羅万象の説明を目指す物理理論のようなものです。 >意味構造プロパーは適格ではあるが、統語構造は不適格で、 >「非文法的ないしは半文法的な」文、の創造を記述・説明できるもの。 生成文法はそういう理論を目指しています。 >そのような文には、次の階層があるのではないでしょうか。 私には、(1)から(5)まで、すべてが文法的で、かつ説明を要する表現であるように思います。 たまに言語学の論文で取り上げられるテーマですので。 少なくとも、「非文法的ないしは半文法的な文」だとは思いません。 特に(4)がいわゆる「描出話法」「自由間接話法」を指すのであれば、ますます何が問題なのか、分かりません。 ところで、意味構造も統語構造も適格なのに、容認できない文というのもあります。 This is the cheese that the mouse ate. これは分かりますね。 This is the cheese that the mouse [that the cat chased] ate. これも、まあ分かる。 でも、この the cat をさらに関係節で修飾すると、全く容認できない文ができあがってしまう。 意味も問題ないし、統語規則にも従っている。でも容認できない。 This is the cheese that the mouse that the cat [that the dog bothered] chased ate. こういうのは、「人間の解析能力を超えるから」としか言えないのかもしれません。

kimko_379
質問者

お礼

またまた、誠に有難う御座います。

kimko_379
質問者

補足

 またまた有難う御座います!  1.舌足らずでした。その様な、統語論を前提としていない意味論の装置を、入力用のプレ装置としている統語装置の統語論、でした。複雑なので、言い損ないました。  2.仰る通りの、動詞句の意味論、でした。ラネカ、タルミのを超えるものです。機械論の誹りを免れるものです。  最後の御評言につきましては、仰る通り、言語運用=言語能力=言語運用能力 と見るしかない様な問題が多々ありますね。そういう問題の本質を示す具体例をお求めならば、引用して差し上げますので、御一報ください。また、記録類を捜しませんと・・・。

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