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鎌倉将軍家と執権北条氏の対立。

鎌倉将軍家と執権北条氏との対立では将軍家は権力闘争に敗れ、京に送還されますが何故負けるのですか?それだけ執権北条氏の権力がすごいということ?? 詳しい方、教えて下さい。

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  • fujic-1990
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回答No.3

 もともと武士は寺院や貴族らが所有する「荘園」を、盗賊たちから守るのを本分としてきたわけです。  命をかけて守るのは自分の土地ではなく、寺院や貴族の物であったわけです。  鎌倉幕府(武士の利益代表)が成立してから、自分たちの物でなかった土地が自分たち武士の物になり、自分たちの物として認め続けられているわけです。  つまり、「ご恩(封土)は自分たちの代表である北条氏から受けている」と御家人が認識していたから、「恩返しは鎌倉殿(北条氏)へ」になるわけで、御家人は誰も将軍家(宮家・貴族など旧所有者)の指示に従わなかったのです。  将軍家(宮家・貴族など旧所有者)が勝てば、「荘園を元の所有者に返還せよ」という命令が出る恐れがありましたからね。誰も将軍の味方などしなかったのです。  事実、鎌倉幕府滅亡後の「建武の新政」で実権を握った旧勢力(後醍醐天皇や貴族ほか)は、鎌倉幕府やその仲間から取り戻した土地を武士には渡さず、天皇家や貴族・寺院などで分配して政治を行おうとしました。  その結果失敗したのですが、鎌倉幕府の御家人たちの「将軍家に味方すると領地を失うかも」という心配は正しかったのです。

cma79458
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 源氏3代以降の将軍は「武家」ではなく「朝廷」からの身分なので、警戒され忠誠心もあまりなかったんですね。 源頼朝が関東の鎌倉に拠点をおいたのも京都から遠く平野が広いためということですね。

その他の回答 (3)

  • jkpawapuro
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回答No.4

京に送還となると宮騒動の話ですよね? 時の藤原将軍家など傀儡で、北条氏嫡流の北条経時一派と、名腰北条家の一派の争いですよ。 名腰北条家が担いだのが4代将軍・藤原頼経、本家経時が担いだのが後の5代藤原頼嗣で、敗れた名腰側が退場です。この時代の藤原将軍は北条家が京から連れてきただけの完全な傀儡です。自分の領地も手兵も決定権もなにもありませんからねえ。

cma79458
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 手持ちの兵を持っているか、いないかの差なんですね。

回答No.2

将軍家はお飾りであり 執権の北条家の方が力があったからです

cma79458
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど。

  • stss08n
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回答No.1

封建時代のしきたりと、時代の実力者為政者の独断上。

cma79458
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど。

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