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親藩、譜代の家臣
ichikawa2017の回答
- ichikawa2017
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御三家は領国を持ち独自の家臣を抱えていました。 ただ御付家老と呼ばれる監視役のような人物が幕府から派遣されていました。 御附家老 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/御附家老 御三卿は領国も家臣も持っていませんでした。 領地がないので禄は幕府から支給されていました。 家臣も幕府からの派遣でした。 現在で言えば親会社の社員が子会社へ出向しているのと同じようなものでした。 屋敷も江戸城内にありましたのでごく僅かな家臣で充分でした。 譜代大名といえども独立した大名ですので独自に家臣を抱えていました。 執務で登城すれば将軍の家臣の一人に過ぎませんのでセッセと働いていました。 自分の家臣を連れていけませんでしたので業務の補佐は幕臣がやっていました。 補佐する幕臣も大名もお互いに幕府の組織の一員でした。 現在の公務員やサラリーマンと同じように組織内の上役と下役の関係でした。
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